2017年 01月 01日
追悼と平和の象徴:「紫金草」の来歴について |
先月25日から29日まで再び南京を訪問した。訪問した南京第一中学(日本の高等学校)の授業を参加した時に頂いた「紫金草」徽章について調べてみた。その来歴は以下の通りである。
ーーーーーーーーー
この花の来歴は1912年(明治45年)東大薬学科を卒業した山口誠太郎さんが中国人留学生(王長春さん)とともに上海、蘇州、南京を訪れたことから始まる。南京の美しい街並みとともに紫金山の姿が故郷・茨城県石岡市から見える筑波山に似ていることに親しみを覚えたという。
しかし再び1939年日本陸軍衛生材料廠長として訪れた南京は、その光景が一変し、大虐殺直後の凄まじい廃墟であった。この荒廃と化した街でしかし健気に咲く紫色の花を見つけ、戦争の悲惨さの反省と、平和への「鎮魂花」にしようとその種子を日本に持ち帰り、この花が、紫金山の麓に咲いていたことから「紫金草」と名付け1940年春に庭に咲いた花を平和の花として、その後種を東京の山の手線沿線をはじめ各地に広めたと言う。
1966年4月日本に住む華僑青年が朝日新聞文芸欄に日本にないはずの紫色の野草は「二月蘭」と呼ばれ、この花をみてとても懐かしいと投稿し、当時77歳になっていた誠太郎さんは夫人からこの文章を読み聴かされて、朝日新聞に連絡し、その来歴と種を無償提供することを申し出たと言う。
1985年筑波世界園芸博覧会にて息子さんが参加者に100万粒の種を提供し、世界にこの由来を告げたと言う。
この来歴に感動した大門高子さん(小学校教員)が「紫金草物語」という合唱朗読詩を作詞し、大西進さんが作曲し、1998年に初演されてから、これを歌う合唱団が日本各地(東京、府中、千葉、石川、大阪、奈良、宮城)に誕生し、全国紫金草ネットワークとして発足し、2001年には南京で公演して以降、南京と北京で計5回の中国公演を行ってきたという。
2014年11月、来る12月13日に公祭日式典を迎えるにあって、南京電視台が紫金草行動を呼びかけ、その一環としてデザインされた紫金草徽章を付けて、紫金草を献花する慰霊式典が挙行されたという。
紫金草徽章を「受難者への慰霊と平和を願う」象徴として普及したいと言う。
以下の歌詞を添付する。
「平和の花 紫金草」(ピンイン:hepingdehua zijincao)
【作詞】大門高子【作曲】大西進【編曲】山下和子
1、花が咲いている 紫の 野の花
風にゆれる やさしい花よ 海を越えた 平和の種
想いをよせて 花が咲いたよ
和平的花 紫金草 フォービンディホァー ツーチンツァオ
(一回リフレイン)
2.花は見ていた 戦争の悲しさ
風と歌う レクイエム 過去のあやまち 忘れぬように
祈りをこめて 花を捧げよう
和平的花 紫金草 フォービンディホァー ツーチンツァオ
(一回リフレイン)
3.花と生きる 広い空見上げて
風よ教えて 心のきずなを 大地の友と 共に生きる
誓いを胸に 花を咲かそう
和平的花 紫金草 フォービンディホァー ツーチンツァオ
(以下三回リフレイン)
ーーーーーーーーー
この花の来歴は1912年(明治45年)東大薬学科を卒業した山口誠太郎さんが中国人留学生(王長春さん)とともに上海、蘇州、南京を訪れたことから始まる。南京の美しい街並みとともに紫金山の姿が故郷・茨城県石岡市から見える筑波山に似ていることに親しみを覚えたという。
しかし再び1939年日本陸軍衛生材料廠長として訪れた南京は、その光景が一変し、大虐殺直後の凄まじい廃墟であった。この荒廃と化した街でしかし健気に咲く紫色の花を見つけ、戦争の悲惨さの反省と、平和への「鎮魂花」にしようとその種子を日本に持ち帰り、この花が、紫金山の麓に咲いていたことから「紫金草」と名付け1940年春に庭に咲いた花を平和の花として、その後種を東京の山の手線沿線をはじめ各地に広めたと言う。
1966年4月日本に住む華僑青年が朝日新聞文芸欄に日本にないはずの紫色の野草は「二月蘭」と呼ばれ、この花をみてとても懐かしいと投稿し、当時77歳になっていた誠太郎さんは夫人からこの文章を読み聴かされて、朝日新聞に連絡し、その来歴と種を無償提供することを申し出たと言う。
1985年筑波世界園芸博覧会にて息子さんが参加者に100万粒の種を提供し、世界にこの由来を告げたと言う。
この来歴に感動した大門高子さん(小学校教員)が「紫金草物語」という合唱朗読詩を作詞し、大西進さんが作曲し、1998年に初演されてから、これを歌う合唱団が日本各地(東京、府中、千葉、石川、大阪、奈良、宮城)に誕生し、全国紫金草ネットワークとして発足し、2001年には南京で公演して以降、南京と北京で計5回の中国公演を行ってきたという。
2014年11月、来る12月13日に公祭日式典を迎えるにあって、南京電視台が紫金草行動を呼びかけ、その一環としてデザインされた紫金草徽章を付けて、紫金草を献花する慰霊式典が挙行されたという。
紫金草徽章を「受難者への慰霊と平和を願う」象徴として普及したいと言う。
以下の歌詞を添付する。
「平和の花 紫金草」(ピンイン:hepingdehua zijincao)
【作詞】大門高子【作曲】大西進【編曲】山下和子
1、花が咲いている 紫の 野の花
風にゆれる やさしい花よ 海を越えた 平和の種
想いをよせて 花が咲いたよ
和平的花 紫金草 フォービンディホァー ツーチンツァオ
(一回リフレイン)
2.花は見ていた 戦争の悲しさ
風と歌う レクイエム 過去のあやまち 忘れぬように
祈りをこめて 花を捧げよう
和平的花 紫金草 フォービンディホァー ツーチンツァオ
(一回リフレイン)
3.花と生きる 広い空見上げて
風よ教えて 心のきずなを 大地の友と 共に生きる
誓いを胸に 花を咲かそう
和平的花 紫金草 フォービンディホァー ツーチンツァオ
(以下三回リフレイン)
by inmylife-after60
| 2017-01-01 16:05
| 歴史認識・歴史学習
|
Trackback
|
Comments(0)