2010年 10月 06日
尖閣諸島の領有権はどこに帰属するのか |
尖閣諸島周辺における中国籍漁船の公務執行妨害逮捕事件をうけて、中国との外交係争事案になりつつある「尖閣諸島」の領有権はどこに帰属するかを考察する。
1)国際法の紛争処理の概念は何か?
国際裁判所などの国際法上の領有権問題は、「先占」の法理に基づき処理されることが前提である。
「先占」とは、「主権の継続的で平和的な発現」をその要件とし 、それは
1)占有の対象が無主の地であること
2)国家による領有の意思の表明
3)国家による実効支配の有無の3つである。
尖閣諸島がこの「先占」に当たるかどうかを検証すればよいということである。
2)無主の地であるかどうか?
尖閣諸島を探検したのは、1884年(明治17年)古賀辰四郎である。翌年貸与の願いを明治政府に申請、しかし、国標を建てて開拓にあたるのは後日との判断(日本外交文書)があったが、その後1895年1月14日の閣議決定にて尖閣諸島の日本領に編入した。
先占には、関係国への通知を義務とはされていない。
3)日本の実効支配があるかどうか?
日本政府は、尖閣諸島を沖縄県八重山群に編入後 1896年9月、先の古賀辰四郎宛に4島(魚釣、久場、南小島、北小島)を30年の無料貸与を許可し、開発に着手、「古賀村」が生まれる。
この領有を裏付ける事実として、1919年の中華民国(孫文が1911年(宣統3年)辛亥革命で清朝を倒した政権)が中華民国長崎総領事に宛てた感謝状に「日本帝国沖縄県八重山群尖閣諸島」と明記されていることが挙げられる。
また日本が中国から奪った台湾などの中国への返還が求める敗戦処理文書(カイロ宣言、ポツダム宣言)には、尖閣諸島は含まれていない。
それは、1951年のサンフランシスコ講和条約(現中華人民共和国はこの条約に加わっていない)以降、米国の施政権下におかれ、尖閣諸島の大正島と久場島を射爆場として使用されており、これに関する中国側からの抗議さえもないことからも明瞭である。
その後沖縄返還協定(1972.5.15)によって、日本に返還され、今日に至っている。
尖閣諸島:
魚釣島(うおつりじま、中国名:釣魚台、釣魚嶼など): 東西に約3.5 km、南北に約2 kmの島で面積は 3.82 km²。島南側に海抜 200 - 250 mの急峻な崖が東西に横断している。最高部は標高362 m。
久場島(くばじま、中国名:黄尾嶼、黄麻嶼、黄毛山など): 面積は 0.91 km²。
大正島(たいしょうじま、中国名:赤尾嶼、赤坎嶼など): 面積は 0.06 km²。
北小島(きたこじま、中国名:北小島、薛坡蘭、黄茅嶼など): 面積は 0.31 km²。
南小島(みなみこじま、中国名:南小島、薛坡蘭、黄茅嶼など): 面積は 0.40 km²。
沖の北岩(おきのきたいわ、中国名:(北岩)正式名なし)
沖の南岩(おきのみなみいわ、中国名:(南岩)正式名なし)
飛瀬(とびせ、中国名:(飛礁岩)正式名なし)
by inmylife-after60
| 2010-10-06 12:33
| 政治・外交・反戦
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