2010年 12月 02日
2010年師走に銀座を走る! |
現在の銀座中央通りの銀座二丁目周辺は、江戸時代に銀座役所があった場所である。繁華街の代名詞「銀座」の由来の地である。ここ銀座2丁目にあるティファニー本店の前の植え込みに建てられた「銀座発祥の地」の記念碑には「慶長十七(紀元2272年西暦1612年)年徳川幕府、この地に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置す。当時、町名を新両替町と称せるも、通称を銀座町と呼称せられ、明治二年遂に銀座を町名とすることに公示さる」とある。
慶長17年は巌流島で宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した年として記憶される年である。
徳川家康は、慶長6(1601)年5月、全国流通を目的とした金貨、銀貨、銭貨からなる三貨制度を確立し、金貨の品位を統一し、重量においても「一分」は「一両」の四分の一と定位定量化する金本位通貨制度を創設した。
銀座は慶長6(1601) 年伏見に最初に開設され、その後慶長17(1612)年に江戸に移転し、最終的には勘定奉行の支配を受けたが、金座同様幕府の官営ではなく町人による請負ギルド組織であった。
現在の銀座付近は公儀の銀座役所屋敷の跡地であり上納銀の包封を行う堺出身の大黒常是が銀吹所として使用した屋敷跡地でもある。
*上記徳川家康以降の文章は日本銀行金融研究所/金融研究/1999. 9大貫 摩里「江戸時代の貨幣鋳造機関 (金座、銀座、銭座)の組織と役割」を参考にして記述した。
by inmylife-after60
| 2010-12-02 11:05
| 江戸歳時記
|
Trackback
|
Comments(0)