2011年 04月 16日
内橋 克人:「原発安全神話」はいかにしてつくられたか〜 |
内橋克人:巨大複合災害に思う(『世界』5月号より)〜「原発安全神話」はいかにしてつくられたか〜
写真(下段)は、島根原発1号機。 原子炉形式: 沸騰水型軽水炉 (BWR) 運転開始: 1974年3月29日 定格電気出力: 46.0万キロワット
[つくられた原発安全神話]
被災の当事者、被災地で身を削って献身する人びと、おびただしいボランティア、社会連帯のたいせつなこと、もはやここに繰り返すまでもない。救援が先行されなければならない。しかし、それらと、事ここに至った国、行政、電力会社の責任を糺す作業は、厳しく峻別されなければならない。
ここに電気事業連合会、略して電事連の行ってきた「報道統制」を思わせるおびただしい資料がある。
たとえば、『週刊朝日』の「知っていますか?試運転中 六カ所村再処理工場の切なさ」(06年6月30日号)と題されたわずか四ページの記事に対して計七項目に及ぶ詳細な「抗議」書が届いている。次の通りだ。
「題記記事中には、下記の通り不的確な記事や事実誤認の記述などが見られます。つきましては、正確な情報に基づき、正しい理解を賜りたいと存じます。」
この一見、丁重にみえる記述につづいて、次段からは「記」と題した詳細な指摘がえんえんと展開される。(以下、原文のまま)
[1]五月十七日に再処理工場で発生した「精製建屋内の試薬の漏えい」(内容略)
[2]放射線による健康への影響について(内容略)
[3]放射線業務従事者の健康影響について(内容略)
これらにつづく[4]〜[7]はここでは省略せざるをえない。
いずれも同じ形式をとって反論の記述がなされる。書いた人物の名はすべてふせられ、組織の中に身を隠したままの匿名で通す。だが、その背後に控えるものの正体は明らかだ。
[教育現場に配布された「電事連版・教育指導要領」]
電機事業連合会はその本部を日本経団連会館のなかに置く。その地から「安全だから安全だ」「世界の流れだ」と発信を続けた。政財学一体の整然たるチームワークが保たれ、「原発安全神話」は日本列島を被いつくすこととなった。戦前、戦中の「皇民化(こうみいか)教育」に酷似している。小学校低学年から中学、高校へと「エネルギー・環境教育」という名の原発礼賛・是認教育が授業として実施されてきた。
原発は、安全かつクリーン、そして持続可能で地球に優しいエネルギーである、と教え込むのが教師の役割とされる、児童に示すボードがつづく。
「これから」「天然ガス あと60年」「石油 あと40年」-----それからを示した後、教師に画像つきのボードを生徒に示し、選択を迫るのである。何と書いてあるか。
「1 便利なエネルギーを使う代償」(原注:「代償」のみ大文字が使われている)つづけて、2 今の生活を捨てられる?」「3 未来を生きていくのは私たち」(原注:「40〜60年しかもたない石油と天然ガスではなく原発こそが未来に生きる君たちにふさわしい」と信じさせる、それを狙いとしている。
[「安全神話づくり」に馳せ参じた学者・文化人たち]
財団法人・日本原子力文化振興財団の企画委員会(委員長:田中靖学習院大教授当時)によって展開され、蓄積された調査結果(1981年6月)は、専門家グループのなかでもとりわけ評論家、ジャーナリストが原子力に対して「最も強い不信感を抱いているグループである」との結論を導き出した上で、今後のPA戦略(パブリック・アクセプタンス:社会に受け入れられ、認知を求めるための働きかけ)では、何よりもその評論家・ジャーナリストを見方につけることが重要であると強調している。新聞社内の記者、デスク、整理部などの役割分担まで子細に分析されている。はるかに壮大な規模でPA戦略がくり広げられ、実践されてきたことがわかるであろう。
島根原発二号炉を増設するとき、住民と話し合う「第二次ヒヤリング」が開かれた。1983年5月のことだ。原発炉心から9キロの人口密集地域に住む、子供を二人もつ母親の悲鳴が忘れられない。
「もし、原発に事故があったら、私たちは宍道湖を泳いで逃げろ、ということですか?なぜそんな大事なことが安全審査の対象にならないのですか?」
議長は一蹴した。「本日は、(原子力)安全委員会としては、みなさんのご意見をうかがうために参っておりますので、意見を発表することはご容赦願います。」さっさと次の発言者を促し、「次、通産省の方!」----「大政翼賛会ヒヤリング」と私は書いた。
[一大社会転換を]
「FEC自給圏」の形成に向けて踏み出す。F(フード:食料)E(エネルギー)そしてC(人間ケア)を自らの地域コミュニティの内で自給する。その力を育てることが新たな基幹産業を生み出す。今回の巨大複合災害が教えた。
かって石油危機から17年の間に、エネルギー消費の総量を増やすことなくGDP(国内総生産)を1.4倍に成長させた国がある。石油危機に打たれたとき、デンマークのエネルギー自給率は1.5%に過ぎなかった。いま市民共同発電による。風力はじめ自然の再生可能エネルギーを杖として、同国のエネルギー自給率は200%に迫る。食料自給率は300%を超えた。
写真(下段)は、島根原発1号機。 原子炉形式: 沸騰水型軽水炉 (BWR) 運転開始: 1974年3月29日 定格電気出力: 46.0万キロワット
[つくられた原発安全神話]
被災の当事者、被災地で身を削って献身する人びと、おびただしいボランティア、社会連帯のたいせつなこと、もはやここに繰り返すまでもない。救援が先行されなければならない。しかし、それらと、事ここに至った国、行政、電力会社の責任を糺す作業は、厳しく峻別されなければならない。
ここに電気事業連合会、略して電事連の行ってきた「報道統制」を思わせるおびただしい資料がある。
たとえば、『週刊朝日』の「知っていますか?試運転中 六カ所村再処理工場の切なさ」(06年6月30日号)と題されたわずか四ページの記事に対して計七項目に及ぶ詳細な「抗議」書が届いている。次の通りだ。
「題記記事中には、下記の通り不的確な記事や事実誤認の記述などが見られます。つきましては、正確な情報に基づき、正しい理解を賜りたいと存じます。」
この一見、丁重にみえる記述につづいて、次段からは「記」と題した詳細な指摘がえんえんと展開される。(以下、原文のまま)
[1]五月十七日に再処理工場で発生した「精製建屋内の試薬の漏えい」(内容略)
[2]放射線による健康への影響について(内容略)
[3]放射線業務従事者の健康影響について(内容略)
これらにつづく[4]〜[7]はここでは省略せざるをえない。
いずれも同じ形式をとって反論の記述がなされる。書いた人物の名はすべてふせられ、組織の中に身を隠したままの匿名で通す。だが、その背後に控えるものの正体は明らかだ。
[教育現場に配布された「電事連版・教育指導要領」]
電機事業連合会はその本部を日本経団連会館のなかに置く。その地から「安全だから安全だ」「世界の流れだ」と発信を続けた。政財学一体の整然たるチームワークが保たれ、「原発安全神話」は日本列島を被いつくすこととなった。戦前、戦中の「皇民化(こうみいか)教育」に酷似している。小学校低学年から中学、高校へと「エネルギー・環境教育」という名の原発礼賛・是認教育が授業として実施されてきた。
原発は、安全かつクリーン、そして持続可能で地球に優しいエネルギーである、と教え込むのが教師の役割とされる、児童に示すボードがつづく。
「これから」「天然ガス あと60年」「石油 あと40年」-----それからを示した後、教師に画像つきのボードを生徒に示し、選択を迫るのである。何と書いてあるか。
「1 便利なエネルギーを使う代償」(原注:「代償」のみ大文字が使われている)つづけて、2 今の生活を捨てられる?」「3 未来を生きていくのは私たち」(原注:「40〜60年しかもたない石油と天然ガスではなく原発こそが未来に生きる君たちにふさわしい」と信じさせる、それを狙いとしている。
[「安全神話づくり」に馳せ参じた学者・文化人たち]
財団法人・日本原子力文化振興財団の企画委員会(委員長:田中靖学習院大教授当時)によって展開され、蓄積された調査結果(1981年6月)は、専門家グループのなかでもとりわけ評論家、ジャーナリストが原子力に対して「最も強い不信感を抱いているグループである」との結論を導き出した上で、今後のPA戦略(パブリック・アクセプタンス:社会に受け入れられ、認知を求めるための働きかけ)では、何よりもその評論家・ジャーナリストを見方につけることが重要であると強調している。新聞社内の記者、デスク、整理部などの役割分担まで子細に分析されている。はるかに壮大な規模でPA戦略がくり広げられ、実践されてきたことがわかるであろう。
島根原発二号炉を増設するとき、住民と話し合う「第二次ヒヤリング」が開かれた。1983年5月のことだ。原発炉心から9キロの人口密集地域に住む、子供を二人もつ母親の悲鳴が忘れられない。
「もし、原発に事故があったら、私たちは宍道湖を泳いで逃げろ、ということですか?なぜそんな大事なことが安全審査の対象にならないのですか?」
議長は一蹴した。「本日は、(原子力)安全委員会としては、みなさんのご意見をうかがうために参っておりますので、意見を発表することはご容赦願います。」さっさと次の発言者を促し、「次、通産省の方!」----「大政翼賛会ヒヤリング」と私は書いた。
[一大社会転換を]
「FEC自給圏」の形成に向けて踏み出す。F(フード:食料)E(エネルギー)そしてC(人間ケア)を自らの地域コミュニティの内で自給する。その力を育てることが新たな基幹産業を生み出す。今回の巨大複合災害が教えた。
かって石油危機から17年の間に、エネルギー消費の総量を増やすことなくGDP(国内総生産)を1.4倍に成長させた国がある。石油危機に打たれたとき、デンマークのエネルギー自給率は1.5%に過ぎなかった。いま市民共同発電による。風力はじめ自然の再生可能エネルギーを杖として、同国のエネルギー自給率は200%に迫る。食料自給率は300%を超えた。
by inmylife-after60
| 2011-04-16 21:21
| 読書・学習・資格
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