2011年 05月 09日
第五福竜丸元船員:大石 又七氏の証言(2011.5.8) |

2011年5月8日
みんなで考えよう
ビキニ水爆 被爆者 大石又七
私はアメリカが1954年3月1日に広島型原爆の約1000倍という巨大な水爆実験をビキニ環礁で行ない、その爆発で起きた大量の『死の灰』を浴び被爆した元第五福竜丸というマグロを捕る漁船の乗組員大石又七というものです。このビキニ環礁は負の遺産として2010年に世界遺産に登録されました。
アメリカ軍は、1946年から1958年にかけて、このビキニとエニウエトク環礁を使って67回の大気圏核実験を行ない、合わせて100メガトンの核爆発を繰り返しました。
この爆発は、なんと広島型原爆を毎日一個ずつ一八年間落とし続けた量というから驚きです。それらの放射能は半減期が何十年、何百年というもので人間の骨の中に入り込み、染色体を傷つけながら体の内側から攻撃するという内部被爆を起こしていたのです。染色体を傷つければ死産や奇形児の原因を作りだし、子孫へと繋がっていきます。これが水爆の恐ろしいところです。骨の中では造血細胞が白血球や赤血球、血小板などを作り出して人間は生きています。それらを時間をかけながら破壊し、がんなど作り出していました。白血病や骨肉種を起こすストロンチウム90、甲状腺がんを起こすヨウ素131、遺伝子を狂わせるセシウム135、中には半減期が二万四〇〇〇年かかるというプルトニウム239が含まれています。
この事件の重要な点は、目に見えない放射能というミクロの世界であるということです。半減期の長い放射能が食物連鎖や風などに乗って地球上を漂い、誰のどこに取り付くかは現在の医学では計り知ることは出来ません。
1940年代から50年代にかけて核実験が地球上のあちこちで始まりました。大量の放射能が大気圏や地球上に振りまかれています。そのことを裏付けるように60年頃から世界でガン患者が急増し、日本でも今死亡率のトップはガンで、年間35万人といわれています。
私は、この放射能がその一因になっていると思っています。
私たち二三人の乗組員の内、半数がすでに被爆と関係あるガンなどで亡くなっています。
私も肝臓ガン、最初の子どもは死産で奇形児、今も白内障、気管支炎、不整脈、肺には腫瘍を抱え嗅覚も消え、32種類もの薬を飲みながら命をつないでいます。しかし日米政府はこの大事な事件を被爆者や被害者の頭越しに政治決着を結んで解決済みにしたため、私たちはその時点から被爆者とて認められず亡くなっても発病しても援助も治療も受けていません。
私も他の被爆者と同様、差別や偏見を恐れ、ビキニ被爆者であることを隠し東京の人ごみに逃げ込み隠れていました。だが、仲間たちが一人ずつ亡くなって行き自分にも次々と不幸が襲ってくる。この恐ろしさが何事もなかったかのように忘れられていくことの悔しさが募り、当事者が声を上げなければ又必ず同じようなことが起きる、と思うようになりました。
それからは放射能と内部被爆、核兵器の怖さを何十年も伝え続けてきました。
ビキニ事件は政治がらみのため、元漁師で洗濯屋の親父が一人で訴えてもなかなか振り向いてはくれません。
東日本大地震が3月11日とうとう牙をむきました。そして恐れていた原子力発電所が高さ15メートルの大津波で破壊され、大災害の上に放射能が襲い掛かっています。
私は言いたいです。東海村の原発とビキニ事件は大きな関わりをもっているからです。だが今は誰の口からもビキニ事件という言葉が出てきません。ビキニ事件はもう忘れ去られてしまったのだろうか。当時、核、放射能の恐ろしさをあれほど教え警告したのに。そして平和運動の原点まで作ったのに。隠した結果がどうなりましたか。3万2千発の実弾となって核兵器は人類を脅かしています。
こともあろうに被った膨大なビキニ事件の被害額や、アメリカの核実験を容認し、協力するなどと言い、それらを取引材料にして正力松太郎、中曽根康弘、日本テレビの重役だった柴田秀利各氏たちが水面下で原子力技術やウラン、原子炉をアメリカに要求し東海村に導入したのです。後にアメリカ国立公文書館からそれらの資料が見つかり明らかになりました。
原発導入には、当時大勢の人たちが日本列島は活断層が網の目のように走っている、「危険だ危ない」といって反対しました。その答えが今出ているのです。もし直下型だったら、原子炉の破壊が起こり北海道から沖縄まで、いや世界中に被害は広がっていたはずです。
ビキニ事件以来半世紀以上、歴代の政権は核兵器と放射能の恐ろしさを隠したまま安全だ安心だといって国民に本当のことを教えてきません。これこそが重大な流言飛語だと思います。そのため大人になっても怖さを知らず反対もしない。目の当たりにして初めて驚き、恐れおののいているのではないでしょうか。それは学者も政治家も同じで、自ら原発は安全で安心だという幻想をいつの間にか信じてしまい、この凶器を利益追求する企業に持たせてきました。企業には事故がおきても賠償する能力などないことは素人にも分かっていました。
ビキニ事件後に生れ、原発の成り立ちを知らない政治家たちがまるで現政権の責任でもあるかのように、苦しんでいる被災者をそっちのけにして足を引っ張り合い国会で騒いでいます。
今は野党だ保守だなどと言っている場合ではありません。目の前の難問に力を合わせて解決させ、後に言いたいことがあるなら存分に言い合えばいいのです。
膨大な財源が必要です。原発導入に関わってきた者たちは、原発に有利な計らいをしてその見返りに政治資金や地位、財産にもありついてきたはずです。自分たちの思い違いで大勢の人たちが苦しんでいるのです。責任を感じるなら、溜め込んだ財産や資産はすべて差し出し、苦しんでいる人たちに頭を下げて自ら仮設住宅に入り、発電所の中で陣頭指揮をとるのが筋だと思います。それでないと辻褄が合わない。太平洋戦争の指導者たちとちっとも変わっていない。これが日本人の本質なのでしょうか。
あと一つ言いたいことがあります。アメリカ軍と軍事同盟を結び、毎年5兆円もの税金を使って人を殺す為の軍事訓練を重ねている自衛隊は、日本国憲法に従って今すぐにでもやめ、災害救助隊に名前も内容も替えるべきだと思います。私は何年も前から子どもたちにこのことを言い続けてきました。災害地の現状がテレビで映し出されるたびに、災害救助隊のヘリコプターが今出動していたら助かるのに、飢えと寒さに震えているあそこにはヘリコプターなら行ける、有事なのだ。イライラしながら見ていました。
核兵器を積んで他国を攻撃する最新鋭のハイテク飛行機は要らない。ミサイルやたくさんのレーダーを搭載して人を殺しに行く4000億円もするイージス艦も要りません。
自衛隊員の姿を映像で見たのは確か災害発生2日後だったように思います。外国からの援助隊は敏速でした。嬉しかったです。
憲法9条を持つ日本が世界に貢献しなければならないのは災害救助隊だと思います。毎年繰り返される災害に一刻も早く出動し、助け、喜ばれ、信頼される救助隊、これこそが核兵器や戦争を無くして平和に向う早道で、二一世紀の『人類が目指す目標』平和憲法を持つ日本人が果たさなければならない方向だと思っています。
第五福竜丸被曝事件
1954年(昭和29年)3月1日、第五福竜丸はマーシャル諸島近海において操業中にビキニ環礁で行われた水爆実験(キャッスル作戦・ブラボー (BRAVO) 、1954年3月1日3時42分実施)に遭遇し、船体・船員・捕獲した魚類が放射性降下物に被爆した。実験当時、第五福竜丸は米国が設定した危険水域の外で操業していた。危険を察知して海域からの脱出を図ったが、延縄の収容に時間がかかり、数時間に渡って放射性降下物の降灰を受け続けることとなり、第五福竜丸の船員23名は全員被爆した。後に米国は危険水域を拡大、第五福竜丸以外にも危険区域内で多くの漁船が操業していたことが明らかとなった。この水爆実験で放射性降下物を浴びた漁船は数百隻にのぼるとみられ、被爆者は2万人を越えるとみられている。
予想以上に深刻な被害が発生した原因は、当初米国がこの爆弾の威力を4~8メガトン見積もり、危険区域を狭く設定したことにある。爆弾の実際の威力はその予想を遥かに超える15メガトンであった為、安全区域にいたはずの多くの人々が被爆することとなった。
第五福竜丸の水爆災害(とりわけ久保山無線長(当時40歳)が「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言を遺して息を引き取った。
by inmylife-after60
| 2011-05-09 11:48
| 震災・原発・廃炉
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