2011年 10月 24日
大徳寺塔頭 総見院 |
千利休の自刃の発端となった利休木像安置で有名な山門「金毛閣」をもつ大徳寺塔頭:総見院を特別参観で訪問した。
総見院は、天正10年6月2日本能寺で倒れた織田信長の一周忌に追善供養として豊臣秀吉が建立した大徳寺塔頭の一つである。しかし明治初年の「廃仏毀釈」により、堂塔が破壊され、寺宝が灰燼となったが、大正年間に再建され、昭和36年(1961年)本山に安置されていた信長木像を迎え、今日の総見院となったという。
総見院は、僧院にも関わらず、茶室が三棟あり、秀吉が主催した「大徳寺茶会」ではここ総見院方丈にて自ら茶を点てたと言われており、茶会嗜好をもつ秀吉ゆかりの塔頭である。またこの茶室は貴人口を持ち、茶室内の障子の外側に警護の侍が控える「鞘の間」と呼ばれる畳の間がある。
勅使門の背後に聳える大徳寺山門:「金毛閣」
織田信長一族の五輪塔
総見院本堂(元禅堂を改築)
茶室「香雲軒」
茶室「香雲軒」鞘の間(障子手前に見える四畳の間)
総見院は、天正10年6月2日本能寺で倒れた織田信長の一周忌に追善供養として豊臣秀吉が建立した大徳寺塔頭の一つである。しかし明治初年の「廃仏毀釈」により、堂塔が破壊され、寺宝が灰燼となったが、大正年間に再建され、昭和36年(1961年)本山に安置されていた信長木像を迎え、今日の総見院となったという。
総見院は、僧院にも関わらず、茶室が三棟あり、秀吉が主催した「大徳寺茶会」ではここ総見院方丈にて自ら茶を点てたと言われており、茶会嗜好をもつ秀吉ゆかりの塔頭である。またこの茶室は貴人口を持ち、茶室内の障子の外側に警護の侍が控える「鞘の間」と呼ばれる畳の間がある。
勅使門の背後に聳える大徳寺山門:「金毛閣」
織田信長一族の五輪塔
総見院本堂(元禅堂を改築)
茶室「香雲軒」
茶室「香雲軒」鞘の間(障子手前に見える四畳の間)
by inmylife-after60
| 2011-10-24 20:22
| 京都寺社仏閣
|
Trackback
|
Comments(0)