2011年 10月 31日
有楽町マリオンに「ルミネ」オープン |
正式名称を1984年(昭和59年)10月朝日新聞社と日劇、丸の内ピカデリーを解体して創られた有楽町センタービルという。通称が有楽町マリオンである。
10月28日、テナントとしてこれまでの西武百貨店に変わりJR系ファッションビル「ルミネ」が入居した。
有楽町の由来は、織田信長の実弟で千利休にも学んだ「織田 有楽斎 長益(おだ うらくさい ながます)」の屋敷跡が有楽ヶ原(うらくがはら)と言われたことからと謂われ、正式な町名として呼ばれたのは、1872年(明治5年)という。
現在の有楽町駅周辺は、寺社奉行、勘定奉行とともに徳川幕府の三奉行のひとつであった町奉行所(南町)の跡地であり、呉服橋門(現在の東京駅八重洲北口)にあった北町奉行とともに月輪番で職務を執り行い、大岡越前守忠相が1717年(享保2年)から1736年(元文元年)までの約20年間、大岡裁きを行ったと謂う。
JR有楽町駅からマリオンに向かう通りに掲示されている江戸古地図
マリオンコンコース天井のビルボード
10月28日、テナントとしてこれまでの西武百貨店に変わりJR系ファッションビル「ルミネ」が入居した。
有楽町の由来は、織田信長の実弟で千利休にも学んだ「織田 有楽斎 長益(おだ うらくさい ながます)」の屋敷跡が有楽ヶ原(うらくがはら)と言われたことからと謂われ、正式な町名として呼ばれたのは、1872年(明治5年)という。
現在の有楽町駅周辺は、寺社奉行、勘定奉行とともに徳川幕府の三奉行のひとつであった町奉行所(南町)の跡地であり、呉服橋門(現在の東京駅八重洲北口)にあった北町奉行とともに月輪番で職務を執り行い、大岡越前守忠相が1717年(享保2年)から1736年(元文元年)までの約20年間、大岡裁きを行ったと謂う。
JR有楽町駅からマリオンに向かう通りに掲示されている江戸古地図
マリオンコンコース天井のビルボード
by inmylife-after60
| 2011-10-31 20:46
| 江戸歳時記
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