2012年 08月 13日
2012年深川八幡祭(水掛祭り)を見学した! |
8月12日、深川八幡祭連合渡御を見学した。自宅から自転車で葛西橋通りを西行きし、永代橋通りにある門前仲町まで向かった。7時過ぎに到着。すでに永代橋通りは、45基の神輿が鎮座し、出発の花火の号砲をまつばかりだった。
この祭りを最初に見たのは、 十年位前だが、他の祭りと異なることは、神輿に大量の水を蒔くことだ。それは、ここまでやるのかという位、神輿に浴びせかけるのである。それがとても感動に値する。かける方もかけられる方もとても満足げに水浴びを楽しんでいるからである。
この水掛け祭りの由来は調べたことはないが、想像するに、「火事と喧嘩は江戸の華」と言われる江戸深川は江戸町人街のメッカであり、富くじで一攫千金を願う町民も集う最大の繁華街でもあった。宵越しの金を持たないと啖呵を切って遊べる江戸ッ子が「粋(いき)」と呼ばれていた頃、水運に囲まれた「水の都」深川で、何事もなく「水にながし」、火事を消し、喧嘩に水を入れる「水」は、とても価値をもつ触媒だったのだと思う。神輿に水をかけて、無病息災を祈ったのも不思議ではないと思う。
しかしこの価値感はあまり通用しないらしい。神輿の発祥の地は、京都に違いないが、京の祭りの主役は、祇園祭りでも判るように「山車(山鉾)」であり、神輿は脇役である。もちろん通常の寺社の祭礼は、神輿が主役だが、京の神輿は、ひとが長く担ぐことを想定してない重量がある。山門を出て公道にでるとすぐに担ぐことをやめて、移動用に誂えた台車に乗せて、次の見せ場にいくというスタイルが多い。松尾大社も伏見稲荷もそうだった。そして一番ショックだったのは、雨が降ることが予測されると神輿にビニールが被せられることだった。文化財としての神輿となった京都は、そういう価値感なのだと思った。私にとって一番困るのは、ビニールの光沢がとった折角の写真をダメにすることである。これにはとてもがっかりさせられた。
しかし江戸は、文化財として土砂降りの雨こそが、祭礼としての「深川八幡祭」の価値を最も高める演出になるのだということに誇りをもつ町民だったのだと思う。
この祭りを最初に見たのは、 十年位前だが、他の祭りと異なることは、神輿に大量の水を蒔くことだ。それは、ここまでやるのかという位、神輿に浴びせかけるのである。それがとても感動に値する。かける方もかけられる方もとても満足げに水浴びを楽しんでいるからである。
この水掛け祭りの由来は調べたことはないが、想像するに、「火事と喧嘩は江戸の華」と言われる江戸深川は江戸町人街のメッカであり、富くじで一攫千金を願う町民も集う最大の繁華街でもあった。宵越しの金を持たないと啖呵を切って遊べる江戸ッ子が「粋(いき)」と呼ばれていた頃、水運に囲まれた「水の都」深川で、何事もなく「水にながし」、火事を消し、喧嘩に水を入れる「水」は、とても価値をもつ触媒だったのだと思う。神輿に水をかけて、無病息災を祈ったのも不思議ではないと思う。
しかしこの価値感はあまり通用しないらしい。神輿の発祥の地は、京都に違いないが、京の祭りの主役は、祇園祭りでも判るように「山車(山鉾)」であり、神輿は脇役である。もちろん通常の寺社の祭礼は、神輿が主役だが、京の神輿は、ひとが長く担ぐことを想定してない重量がある。山門を出て公道にでるとすぐに担ぐことをやめて、移動用に誂えた台車に乗せて、次の見せ場にいくというスタイルが多い。松尾大社も伏見稲荷もそうだった。そして一番ショックだったのは、雨が降ることが予測されると神輿にビニールが被せられることだった。文化財としての神輿となった京都は、そういう価値感なのだと思った。私にとって一番困るのは、ビニールの光沢がとった折角の写真をダメにすることである。これにはとてもがっかりさせられた。
しかし江戸は、文化財として土砂降りの雨こそが、祭礼としての「深川八幡祭」の価値を最も高める演出になるのだということに誇りをもつ町民だったのだと思う。
by inmylife-after60
| 2012-08-13 10:03
| 江戸歳時記
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