2012年 11月 23日
第38回皇居マラソン30Km完走記(2012.11.23) |
本日(11月23日)、第38回皇居マラソンに参加した。生憎雨の様である。手賀沼もそうだったが、また雨のなかのマラソンである。雨男ではないはずだが、雨づいてしまったようだ。しかし湿度の高さは歓迎である。
6時起床、6時半出立、7時15分に東京駅丸の内北口に着く。そこに受付があるはずだが、見当たらない。新丸ビル方面かと捜したが、それらしい雰囲気がまったくない。これは騙されたと思ったが、もう一度東京駅方面に戻り、中央口改札方面をみたら、なにか机を構えている集団を見かけたので、聴きてみようと近づいた。しかしそこが受付だった。東京駅中央改札口前の大広場の真ん中だった。
この受付で参加証をみせると、A4の茶封筒が差し出された。ゼッケン番号とピン、番号札と手ぬぐいとポンチョが入っていた。スタートは皇居外苑内の桜田門側である。まだ1時間以上ある。
雨を避けるために、丸の内オアゾにいく。入り口左側にテーブルと椅子のあるスペースを見つけて、そこでカロリーメイトと羊羹、コーヒーを飲んで8時15分まで待機することにした。新聞を読み終えて、スタート地点に向かう。東京駅動輪の広場で、バッグをロッカーに入れて、なるべく地下通路を行くことにした。馬場先門のある日比谷駅6Aで地上にあがり、そこから桜田門へ進んだ。
スタート地点とおぼしき場所にランナーが集まっていた。雨とはいえ、こんなに少ないはずはないとおもいながらトイレの庇で雨宿りしているとハンドマイクが聞こえてきた。「ランナーの皆様、こちらにお集まりくさい」と大会事務局とおぼしきおじいちゃんが促すので、雨のなかを前にすすんで、説明会とやらを聴くこととした。
曰く「当局から、スタートラインをひいてはならない」「ピストルの号砲はダメ」「荷物用とはいえ道路にブルーシートも敷くな(ブルーでなくグレーが敷かれていた)」と言われているとのこと。スタート地点に自転車で当局らしい制服を着た職員が現れ「大目にみてやっているんだよ」との言葉が聞こえてきた。その職員は環境省職員とのこと。内堀通りは、丸の内警察署の管轄で、皇居外苑の所轄は環境省らしい。勿論皇居は宮内庁である。
「歩行者との接触事故があるともうここでは大会ができなくなります。歩行者優先でお願いします。」「食べたり飲んだりは構いませんが、ゴミとして道路には絶対捨てないでください。私がここを一周して回収しなければなりません。」「1周すると1本の襷(赤いビニール紐)を渡します。それで周回数を判定します。」「周回は偶数周でお願いします。1周5キロなので10キロ、20キロ、30キロ、40 キロでお願いします。」(何故そうするのかが最後まで分からなかった。)「完走証を出します。また完走された方には、記念メダルをお渡しします。」「給水は(その方向を指さして)あの内堀通りのテーブルになります。カロリーメイトも用意してあります。」などの案内があった。
時計台を指出してそこからスタートすると言う。「あの時計台は、最近できましたが、私たちの大会は昭和49年(1974年)からやっています。裕仁さんのご崩御のときは自粛しましたが、今年で38回目です。歴史あるマラソン大会です。がんばりしましょう!」。そうか昭和49年は大学を卒業したときである。それは長い歴史だと納得した。
午前9時丁度、マラソン記録大会はスタートした。参加者は100名くらいだと思う。
スタートまで7分もかかる大会とは違い、ホイッスルの合図ですぐにスタートすることができた。スプレッドは1秒くらいであろう。
スタートするとすぐに内堀通りを左折する。そのまま北上して、桔梗門、大手門を過ぎ、右に東京消防庁を過ぎて、気象庁前交差点を左折、竹橋(今はコンクリート橋)を跨ぎ、平川門にむかう。皇居にはたくさんの橋と門があるが、平川橋は一番美しい橋だと思う。橋脚は石だが、橋桁は木である。橋桁の曲線がとても優雅である。大奥の女人たちの通用門だったという。
ここから代官町通りを西行きするが、竹橋から乾門まで傾斜はたいしたことはないが、長い登り坂が続く。周回を重ねれば重ねる程体力を奪いとる坂である。北の丸公園へむかうところに北桔橋門(きたはねばしもん)がある。ここは江戸城本丸天守閣の真北にあり、門は可動式になっている。幕府将軍を守るために、或いは大奥女人を逃がすために橋桁を巻き上げて、敵の侵入を阻むのである。
乾門を過ぎると千鳥ヶ淵交差点まで、緩い下りとなり、内堀通りに突き当たり、ここを左折する。英国大使館を右手に、千鳥ヶ淵公園を左手にして今度は緩い上りが半蔵門まで続く。そこからは桜田門まで実に楽しい快適な下り坂が続く。高低差が40メートルはあると思う。国立劇場を右手にみて三宅坂まで駆け抜けると、あと残り1キロである。現在修復中の桜田門をくぐり、右折するともうそこがスタート地点だった。3時間38分16秒をかけてこれを6周したわけだ。
この大会のRUNNET評価は、殆どゼロにちかいであろう。しかし走り終えて思うにマラソン大会の素朴な原型なのだと思う。宮内庁と警視庁と環境省に難癖を付けられ、「お目こぼし」で成り立つ大会はたしかに危うい。しかしこのマラソン記録大会は、個人商店のような匂いを感じた。もちろん、生業にちかい形で行われる大会であり、事務局をささえるおじいちゃんとおばあちゃん方達がいなくなってしまえば、その存在が許されない大会となるに違いない。
完走証を受け取ってから、内堀通り側で、今朝受付にたっていたおばあちゃんから完走メダルを頂いた。「がんばりしましたね。おめでとうございます。このメダルの裏に、東京駅復元記念と書いてあるんですよ」と言って、バナナとリンゴ、ポカリスエットを差し出した。
冷たい雨空にあって、なぜかここだけがとても暖かかった。また来年も参加したいと思った。
6時起床、6時半出立、7時15分に東京駅丸の内北口に着く。そこに受付があるはずだが、見当たらない。新丸ビル方面かと捜したが、それらしい雰囲気がまったくない。これは騙されたと思ったが、もう一度東京駅方面に戻り、中央口改札方面をみたら、なにか机を構えている集団を見かけたので、聴きてみようと近づいた。しかしそこが受付だった。東京駅中央改札口前の大広場の真ん中だった。
この受付で参加証をみせると、A4の茶封筒が差し出された。ゼッケン番号とピン、番号札と手ぬぐいとポンチョが入っていた。スタートは皇居外苑内の桜田門側である。まだ1時間以上ある。
雨を避けるために、丸の内オアゾにいく。入り口左側にテーブルと椅子のあるスペースを見つけて、そこでカロリーメイトと羊羹、コーヒーを飲んで8時15分まで待機することにした。新聞を読み終えて、スタート地点に向かう。東京駅動輪の広場で、バッグをロッカーに入れて、なるべく地下通路を行くことにした。馬場先門のある日比谷駅6Aで地上にあがり、そこから桜田門へ進んだ。
スタート地点とおぼしき場所にランナーが集まっていた。雨とはいえ、こんなに少ないはずはないとおもいながらトイレの庇で雨宿りしているとハンドマイクが聞こえてきた。「ランナーの皆様、こちらにお集まりくさい」と大会事務局とおぼしきおじいちゃんが促すので、雨のなかを前にすすんで、説明会とやらを聴くこととした。
曰く「当局から、スタートラインをひいてはならない」「ピストルの号砲はダメ」「荷物用とはいえ道路にブルーシートも敷くな(ブルーでなくグレーが敷かれていた)」と言われているとのこと。スタート地点に自転車で当局らしい制服を着た職員が現れ「大目にみてやっているんだよ」との言葉が聞こえてきた。その職員は環境省職員とのこと。内堀通りは、丸の内警察署の管轄で、皇居外苑の所轄は環境省らしい。勿論皇居は宮内庁である。
「歩行者との接触事故があるともうここでは大会ができなくなります。歩行者優先でお願いします。」「食べたり飲んだりは構いませんが、ゴミとして道路には絶対捨てないでください。私がここを一周して回収しなければなりません。」「1周すると1本の襷(赤いビニール紐)を渡します。それで周回数を判定します。」「周回は偶数周でお願いします。1周5キロなので10キロ、20キロ、30キロ、40 キロでお願いします。」(何故そうするのかが最後まで分からなかった。)「完走証を出します。また完走された方には、記念メダルをお渡しします。」「給水は(その方向を指さして)あの内堀通りのテーブルになります。カロリーメイトも用意してあります。」などの案内があった。
時計台を指出してそこからスタートすると言う。「あの時計台は、最近できましたが、私たちの大会は昭和49年(1974年)からやっています。裕仁さんのご崩御のときは自粛しましたが、今年で38回目です。歴史あるマラソン大会です。がんばりしましょう!」。そうか昭和49年は大学を卒業したときである。それは長い歴史だと納得した。
午前9時丁度、マラソン記録大会はスタートした。参加者は100名くらいだと思う。
スタートまで7分もかかる大会とは違い、ホイッスルの合図ですぐにスタートすることができた。スプレッドは1秒くらいであろう。
スタートするとすぐに内堀通りを左折する。そのまま北上して、桔梗門、大手門を過ぎ、右に東京消防庁を過ぎて、気象庁前交差点を左折、竹橋(今はコンクリート橋)を跨ぎ、平川門にむかう。皇居にはたくさんの橋と門があるが、平川橋は一番美しい橋だと思う。橋脚は石だが、橋桁は木である。橋桁の曲線がとても優雅である。大奥の女人たちの通用門だったという。
ここから代官町通りを西行きするが、竹橋から乾門まで傾斜はたいしたことはないが、長い登り坂が続く。周回を重ねれば重ねる程体力を奪いとる坂である。北の丸公園へむかうところに北桔橋門(きたはねばしもん)がある。ここは江戸城本丸天守閣の真北にあり、門は可動式になっている。幕府将軍を守るために、或いは大奥女人を逃がすために橋桁を巻き上げて、敵の侵入を阻むのである。
乾門を過ぎると千鳥ヶ淵交差点まで、緩い下りとなり、内堀通りに突き当たり、ここを左折する。英国大使館を右手に、千鳥ヶ淵公園を左手にして今度は緩い上りが半蔵門まで続く。そこからは桜田門まで実に楽しい快適な下り坂が続く。高低差が40メートルはあると思う。国立劇場を右手にみて三宅坂まで駆け抜けると、あと残り1キロである。現在修復中の桜田門をくぐり、右折するともうそこがスタート地点だった。3時間38分16秒をかけてこれを6周したわけだ。
この大会のRUNNET評価は、殆どゼロにちかいであろう。しかし走り終えて思うにマラソン大会の素朴な原型なのだと思う。宮内庁と警視庁と環境省に難癖を付けられ、「お目こぼし」で成り立つ大会はたしかに危うい。しかしこのマラソン記録大会は、個人商店のような匂いを感じた。もちろん、生業にちかい形で行われる大会であり、事務局をささえるおじいちゃんとおばあちゃん方達がいなくなってしまえば、その存在が許されない大会となるに違いない。
完走証を受け取ってから、内堀通り側で、今朝受付にたっていたおばあちゃんから完走メダルを頂いた。「がんばりしましたね。おめでとうございます。このメダルの裏に、東京駅復元記念と書いてあるんですよ」と言って、バナナとリンゴ、ポカリスエットを差し出した。
冷たい雨空にあって、なぜかここだけがとても暖かかった。また来年も参加したいと思った。
by inmylife-after60
| 2012-11-23 21:57
| ランニング
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