2015年 08月 31日
中国短期語学留学日記(3-1) |
中国短期留学日記(3-1)
第1目:7月13日(月)
5時15分起床。7時25分成田第一ターミナル到着。大韓航空カウンターに向かい、チェックイン、規定の23キロを1キロオーバー、次回から23キロ内にしてくださいと言われた。日本食(レンジ米飯、味噌汁、ラーメンなど)を含めて相当パッキングしたので、確かに重い。留学生宿舎はなんと4階だったのでさすがに難渋した。
成田から仁川まで約2時間弱。定刻到着。機内で日本向け総菜を手がける候さん(越谷在住)と知り合った。大連にカレイを買い付け、パッケージ工場を訪問するという。名刺交換して、トラスファー手続きをして12時半大連に向かう。仁川から大連まで500キロ、約1時間の飛行、13時半大連到着。入国審査をおえ、ターンテーブルでバゲージを回収し、2万円を両替した。
タクシーで遼寧師範大学に向かう。西門にいってほしいと言ったが、東門だったので、また引き返して、留学生を迎える国際交流センターのある通用門で降りる。30元。なにしろ重いバゲージなので、まず指定された第2楼に向かい、バゲージダウンして留学生事務室を探す。
ようやく、事務所の担当者:宋さんと面会。入学書類に記入して、どの位中国語を勉強したのかを聴かれたので、昔大学で2年間周4コマの授業をうけたが、その語殆どやっていないと言ったら、中級で受けろと言われ「え!」と絶句。どうしてもだめなら、初級にすればよいと言われた。初級は簡単なので、復習に時間を費やして意味がないという判断なのかと勝手におもった。仕方がない。書店に行って教科書を買えというので、学内にある大学書店にいって渡された二冊をかった。68.40元。
宿舎は401号室。6畳前後の広さにベッド、クローゼットとトイレのシャワーと電気ポットがついた一人部屋(1泊60元)。バゲージを明けて、まず、生命線である電源と通信環境を整える。電源はもってきた「O型コンセント」で繋ぎ、通電。パソコン、携帯、充電器も通電。パソコンを LANケーブルで繋ぐ。ID及びパスワードチェックが掛かっていた。もう一度事務所に戻り、インターネット利用をお願いした。1ヶ月50元。明日から利用できるというので「え!今日はできないの」というと、分かったといって、やってくれそうな感じだった。
部屋に戻り、荷物の整理を続けて、5時過ぎにはつながり、自宅にメールができたので、一安心である。Face Book以外の殆どのネットにアクセスができそうである。
各階には、冷蔵庫、洗濯機、電磁レンジ、IHがあった。乾麺をたべられそうなことがわかった。とりあえず、レンジでご飯を温めてたべてみた。これならなんとなりそうだ。
第2目:7月14日(火)
授業は8時半から始まった。5分前に事務所で聴いて教室を教えてもらった。3階1304教室だった。私が最後の受講者らしく、一番後ろの席しか空いていない。日本人は5人、ロシア人が4人、韓国人が1名の10人である。男女は4 :6だった。
授業は、なんとかついていけそうである。先生の話にはまだついていけないが、教科書の文章とか文法とかは、大体分かる感じだったので、すこし安心した。12時まで5分前後の休憩を挟んで4コマ。二人の先生がそれぞれ二コマを担当した。若い女性の先生であり、とてもはりのある発音をされる方だった。
授業終了後に日本人4名で学外の中華店で食事した。一人15元の割り勘だった。その後補講授業を1コマ受けて、授業料と寮費を支払うために、中国銀行で両替をした。1元が20円58銭だった。手数料(60元)込みとはいえ22円88銭だった空港の両替は暴利であることが分かる。案内には2万円とあったが、空港での両替は、タクシー料金を含めて1000円位で十分である。
両替を済ませたあとに、大きなモール1階の携帯電話店で、新品の「NOKIA」の携帯電話を210元、CIM及び通話料を100元の310元で携帯電話をかった。
一端、宿舎に戻り、支度をしてから、地下鉄で市内に向かった。20分位で大連駅最寄り駅にて降りて、改札口まで行き、哈爾浜行きの新幹線情報を得てきた。二等席で403.5元(8000円前後)。大連北駅から12時25分が理想的であり、今週末の金曜日の4コマ目を早退して、大連北駅に向かう予定である。
その後、駅前で市内地図を買ったあと、タクシー(10元)で天天漁港(人民路店)にいってみた。想像したイメージと違い、日本の海鮮料理ではなく、海鮮メニューが実物であること以外は普通のレストンである。殆どは中国人だった。
8時半頃に天天漁港から近くの地下鉄の人民広場駅でプリペイドのICカード(30元)を買って、20元をチャージして帰ってきた。現金だと3元だが、このカードだと2.4元だった。市内バスも使えるカードである。
第3目:7月15日(水)
朝は、5時過ぎに目が覚めて、ランニングコースを決めるために、遼寧師範大学の南キャンパス(理系)をへて交通大学の正門まで歩いた。理系キャンパスの交通大学側が、大学の東門であるがわかった。初日にタクシーに乗せたられて到着した場所である。遼師西門にまで引き返し、留学生寮にもどろうとしたら、西門のトラック運動場周辺に人だかりをみて、なにかとおもったら、そこは早朝ウオーキングの流れだった。高齢者が群れをなして歩く姿は、日本ではみることができない光景だ。
着宿してシャワーを浴びてから、洗濯をしようとパントリーの洗濯機を使おうとしたら、どうもICカードがないと作動しない設定であることが分かった。5号棟カウンターでカードを購入(20回80元)し、洗濯し干してから、教室に向かった。
授業後に国際交流センター内のカフェで、ラーメンをたべ、任意科目の「国画」を受けた。蓮の花のカラー水墨画である。
その後、クラスの日本人と一緒に市内に向かい、日本百貨店(久光)と大連駅の北側の市街地を散策し、食事して、地下鉄で帰ってきた。
第4目:7月16日(木)
すこしずつだが、授業の進め方と聞き取りに馴れて、先生の会話についていくことができようになってきた。しかしまったく聞き取れないことが多く、まだまだ道は遠いというのが実感である。予習をすれば、違うはずだが、あえて予習をせずにぶっつけ本番でいくことにした。
授業終了後、大学校内の食堂で醤油ラーメン(7元)をたべた。まあまあだった。その後明日の哈爾浜行きに必要な段取りをとるために、宿舎に帰る。すぐにネットで哈爾浜の宿(Jinjiang Inn Harbin Xidazhi Street。ダブル1泊3700円)を予約。直ちに中国高速鉄道(高鉄:CHR)切符購入のために中国銀行でマネーカードにて円預金から元を引き出して地下鉄で大連駅に向かう。
まず大連で一番大きな書店(新華書店)を探し、黒吉遼、大連、四川に関する旅行案内書を買い求めた。地図屋のおじさんから午後4時半に閉店すると言われていたが、書店の正面の看板を見たら、「24h’本」とある。これはどういうことなのかがよく飲み込めない。またレジでVISAカードを出したら、これはだめだという。現金で精算し、促された別の服務台で確認印をもらい、有料のビニール手提げ(0.2元)を買って、ようやく購入することができた。さらにトイレを訪ねたら、3階だという。行こうとしたら、買った本を預かるという。このプロセスには驚かされた。
その後大連駅1階の鉄道切符売り場に向かう。さすがに高鉄:CRHは空いており、10分も待たずに大連と哈爾浜(938㎞)の往復切符(二等座))を購入できた。片道403.5元合計807元(16200円)と思いきや、瀋陽鉄道局発行の手数料5元を必要とした。とりあえず、明日の手配は済ませることができた。
帰りに西安路で途中下車したあと、遼寧師範大学駅で降りて帰ってきた。
これから、明日の哈爾浜旅行の準備を始める。
第5目:7月17日(金)〜大連→哈爾浜移動日
毎朝のランニングコースは、西門のそばにある400メートルトラックのある運動場を周回するコースにすることにした。校外の難点は、歩道の路面の凹凸車の往来が激しいことである。今日一周500メートル前後を6周してみた。
昨日購入したサランラップが使い物にならないので、購入した店で、差額を支払うつもりで、他のタイプのものに交換ほしいと言ったら、同じ価格だから、問題ないと行ってあっさり交換してくれた。話のわかる店員でよかった。
授業は3時限目が始まる時、先生に今日哈爾浜にいくので、11時で早退したいと伝えたら、宿泊を伴う外出は、事務室に報告することが必要であると言われた。11時丁度に先生と皆さんと失礼し、事務所に日曜日に帰ることを告げて、黄河路でタクシーを拾うとしたが、なかなか停まってくれない。停まるのは、すでに乗客のいるタクシーで「どこに行くのか」と聞きてくる車だった。空車の車を待つこと5分経って「空車」のタクシーを拾うことができた。
大連北駅には約25分34 元で着いた。大連空港から11キロとあったが、思ったより近いという印象である。大連北駅は、広大な構内をもつ。ターミナルは成田の北1ターミナルと同じ位あると思った。まず切符を自動読み取り機に挿入し、検査機に荷物を通して、改札ターミナルに入構する。掲示板に指定された改札番号口からホームに入るという仕組みのようだ。15分前に改札が開始され、ホームで待つ「和諧号」2号車(二等座)に乗り込んだ。
二等座(普通車両)の車両は、横5列(3:2)配列。ほぼ日本の新幹線と同じ広さである。充電用電源が各列単位に用意されていたのは驚いた。日本とおなじような小さな売店ワゴン(航空機仕様)だけでなく、床をきれいにする清掃員も行き交う。
12時25分分定刻に出発したCRHは 思ったより早く16時35分に哈爾浜西駅に到着。19日の帰りの出発時刻を変更するために1階の切符売り場に並び、16時12分発の大連行きに変更することができた。
地下一階のタクシーターミナルから、ホテルに向かう。20 分位かかるといわれたが、市内に行けば行くほど、渋滞が増し30分程で6時半に到着した。 途中から手を挙げて、行き先を確認した他の若者が乗り込んできた。日本では白タクは違法だが、ここでは当たり前のサービスらしい。運転手の収入対策かもしれない。
Jinjian innは、辞書に金賞とあつたが、「錦江」だった。チェックインしようとしたが、Agodaの予約番号を見せたが、よくわからないらしい。暫くして予約がはいっていることがわかったらしく、確認できたらしい。確認が出来たと思ったら、押金(保証金) を500元払えという。「とでもない!カイワンシャオラ!」と怒鳴りつけたら、「わかりました。」と取り消した。しかも、今度は、まだチェックインできないと言う。さっきチェックアウトばかりでまだ部屋の清掃が終わっていない、30分ほど待ってほしいと言う。開いた口がふさがらない」というのは、この時の言葉だが、中国語でいうことができない。いまさら、他に変えることもできないので、もうあきらめて、レストランでビールを飲んで待つことにした。
部屋は、広くきれいだったが、唯一の難点は冷蔵庫がないことだ。これは想定外だった。中国でのネット予約の点検項目で不可欠なことだと再認識した。しかし机の長さ(2メートル)と電源(4箇所)、ネット環境(LANコード付き)は申し分がない。
これから明日の訪問先を今日ホテルでかった地図(6元)にプロットする作業をして、言葉が通じない時に備えてノートに訪問先を記入してから、就寝する。
第6目:7月18日(土)〜哈爾浜滞在2日目
朝7時起床。今日は、哈爾浜を観光する。平房にある「侵華日軍第七三一部隊遺跡」(以下731)は明日にする予定を考えた。哈爾浜内の観光を通じて、情報を整理して、明日本丸に挑むことにした。
まずホテルの側にある地下鉄で黒竜江省博物館に向かう。8時半着。9時開館とのことで、そばの紅博広場を見学、女性向けのファッション店が軒を連ね、沢山の人であふれかえっていた。ここは、交差点の地下に出来た広大なショッピンモールであることがわかった。中国語「走遍中国:黒??遼」に「免費開放」とあったが、入館のために身分証明確認書が必要であり、そのための長い行列に並び、パスポートを見せて、入館証をもらい、入館する仕組みのようだ。
館内は2階と地下にあり、地下は毎月展示を入れ替えるらしい。歴史と自然、生活などのジャンルで分類されて展示されている。遼と金と女真(清)の時代は流れとして理解できるが、ある時期に李氏朝鮮とは違う朝鮮王朝が支配していた時期があることがわかり、調べてみようかと思った。博物観の人に聴いたら、5分位でいくというので、なだらかな坂を哈爾浜駅に向かった。坂を下りながら、今後の予定で気になることが生まれた。明日は日曜、とすると371は休みかもしれないとの思いがつよくなってきた。丁度哈爾浜駅に向かう途中に車票旅行店をみかけたので、今日午後731部隊のある「平房」行きの電車を予約してみようかと入ってみた。動車(特急)はなく、普通列車であること、時刻は14時過ぎであること、出発駅は哈爾浜ではなく哈爾浜東駅であることがわかり、予約することにした。9元だという。運賃(4元)より手数料(5元)の方が高い支払いだった。哈爾浜駅についてあとでもう少し早い時間に変更できないかと思い、切符売り場を覗いてみたら、とんでもない混雑であきらめるしかなかった。
哈爾浜駅の周辺に「伊藤博文を暗殺した安重根」の記念像があると聞いていたので、なりふりかわまずあたりのひとに「アンジュンコンジーネングアン」と尋ねたが、分からないという。四人目でようやく見つけることができた。丁度哈爾浜駅中央の少し左側の駅舎内の一部に「安重根義士記念館」があった。記念館の正面に掲げられた時計はいまでも9時30分であった。
安重根記念館の見学を終えて、「中央大街」と「ロシア教会」に向かう。「中央大街」は、哈爾浜駅の反対側(西側)にいけばいいのだが、それがよく分からない。哈爾浜駅を南側から西方面に行こうと思い歩き始めたが、このままでは歩いていけそうもない。よく見たら大きな高架橋があり哈爾浜駅に向かう線路を跨るようになっていることが分かった。備え付け螺旋状の階段を見つけ、ここを渡るしかないと思い上がってみたが、そこはなんとバス停であった。路線は118路と表記されていた。暫くするとバスが到着し1元を払い、「中央大街」に着いたら教えてくれと行ったが、次だと言う。その停車場に着いたが、まだ不安なので、「中央大街」はここかと聞いたら、この道路を右に渡れと言う。暫く歩いて石畳を見て、間違いなくここが「中央大街」だと分かった。
中央大街を歩き始めると、ユニクロとスタバがあった。小休止でスタバに入り氷アイスコーヒーを飲んだ。ここからの作戦を考えようとしたら、ボールペンがないことが分かった。371部隊陳列館にいくことを考えると筆談ができないのは、致命的と思い、スタバの入館する百貨店の店員に聞いてみたら、ここにはなく、「新一百」にあると言うので、スタバの支払い(26元)を済ませて、早速いってみたが、見つからず、その先にある別の百貨店を紹介された。丁度その百貨店は、「中央大街」のあとに行こうとしたロシア正教教会の前だった。ボールペン2本(4元)と首からつるす紐(5元)を買い、教会(20元)を見学し、「中央大街」の最西端(松花江側)にむかった。
松花江からタクシーで東駅へ。14時39分発の列車に十分間に合うかと思ったが、駅前についたのが14時30 分だった。哈爾浜東駅2階の改札口に走っていったが、もう改札は終了したという。まだ5分前のはずだ!どうして入れないのだと抗議したが、もう入れないという。日本から平房にいくためにきたのだと言ったが、駄目だった。諦めかめていたところ、その駄目だと言っていた改札駅員がどういうわけか、次に出発する15時丁度吉林/瀋陽行き列車の改札を待つ列にいくように促された。改札が始まり、乗客がホームへ移動し始めると、何と私の横についてホームまで降りて、駅員に私のもつ切符について説明し、列車に乗せるように指示してくれたのである。とても嬉しい対応だった。15分遅れだが、平房に出発することができた。
平房まで1時間掛かるらしい。16時到着だと言う。陳列館には16時半前後になると考えると今日はもう閉館かもしれない。大連の新華書店のように16時を過ぎるとなにが起きるかはよく分からない処だからだ。列車は二つの駅(孫家駅と黎明駅)に停車し、15:50分に到着。同席のおじさんが着いたと告げてくれた。別れをつげて、ホームに降りて、この電車をビデオに収めたいと思い、ホームの先端で発車を待っていたら、早くホームから出ろという。仕方なく改札駅舎から撮ろうと構えていたら、早く出ろというので、この電車をビデオに納めたいので、別の年配者に少し待ってくれをお願いした。すると今度は、反対側から同じ列車(回送列車)がくると教えてくれて、幾つかと聞いてきた。65だというと、おれは66だという。同世代らしい。やっと撮り終えて、施錠された改札門が明けられ、外にでることができた。そのときに731にいくバスの番号を教えてくれた。しかしもう時間が遅いこともあり、タクシーを拾った。731まで20元だという。前払いで渡してすぐに向かってもらった。10分位で着いたが、メーターは11元だった。おかしいじゃないかといったが、帰りの分も含めて20元だというので、退館まで待ってくれるということなのかと思い、了解した。
陳列館の前は、何故かブルドーザーを使う工事中であり、いやな予感を感じた。守衛室とおぼしき小さな建物に向かった。入れると1名の女性と5人の男性がいた。まず韓国人かと誰何されてそしてすぐに英語が分かるかと聞かれた。漢語でお願いしますと応えた。最初これは、陳列館の説明に関する言語の選択かとおもったが、見せられたのは、英語で書かれた小さなホワイトボードだった。そこには「申し訳ありません、現在開館していません。開館は8月15日からの予定」と書かれてあった。なんということだ。遙々哈爾浜にきた最大の目的地だった731が見学できないことになった。それオープンは、敗戦記念日だというのだ。
申し訳ないと何度もあやまられ、いまどこに滞在しているかと聞かれたので、8月21日まで大連にいるが、もうここには来ることができないと言った。なにかこの施設のパンフレットはないかと聞きたら、奥から三冊の資料をもってきてくれた。パンフレットと部内資料、「七三一歴史真相掲秘」(15元)という書籍だった。施設を見学できなかった人へのせめてもの配慮なのだと思った。
待たせたタクシーで平房駅に向かおうとしたら、もう哈爾浜行きはないとのこと。これも想定外だった。すくなくとも地下鉄駅の最南端「哈南駅」までいってほしいというと、「今日は駄目だ」という。施設の女性に聞いたら、家に帰る予定なのだという。彼女にそれでは別のタクシーを呼んでほしいとお願いしたら、二人が相談して、どうやら行くことになったらしい。一転今度は、ホテルのある和振街まであと50元でいくと言う。復路用の10元は返せといったが、それを含めて50元だというので、仕方なく支払ってホテルまで帰ってきた。途中高校生16歳二人が同乗してきた。
第7目:7月19日(日)〜哈爾浜滞在3日目
6時起床。昨日の日記の続きを書く。7時朝食。今日大連に帰るので、ホテルに預ける荷物と持ち運ぶ手荷物に仕分けする。8時にフロントに荷物を預けし昨夜訪れた中央大街にいくバスがあるかどうかを聞いたら、64路と94路があると言われ、バス停に急ぐ。94 路バスに乗り込む。運転手の後ろで立って前方を撮影していたら、一番撮影に適した場所に座っていた若者が、席を譲ってくれた。帰りのバスでも、中年の女性が席を譲ってくれた。哈爾浜は、大連に比べてマナーがとてもよく浸透している印象をもった。
バスは、昨日にいった博物観前を左折し、哈爾浜駅に向かい、右折して中央大街に右隣の尚志街を通り、松花江沿いで向かった。突き当たり手前で降りて、松花江南岸のスターリン公園に向かう。
一時間ほどの遊覧船に乗った(35 元)。遊覧後、中央大街周辺を散策、書店が見つかったので、四川を含めて地図を買い求めた。面類を提供する店に入り、食事したあと、バスで鉄道記念館に向かうが、修理工事のため閉館。仕方なく、地下鉄で極楽寺(10元)に向かう。歩いて五分で到着。あまり時間がないので、写真だけとって、ホテルに向かう地下鉄に乗ろうとしたが、切符の自動販売機への紙幣の挿入がうまくいかず、地下鉄を断念し、タクシーでホテルにむかう。ホテルで預けた荷物を受け取り、哈爾浜西駅に向かう。30 分前に到着。16時 12分発の高鉄で大連に向かう。20時30分大連北駅着。北口(南口にタクシー乗り場はない)からタクシー(34元)で帰寮。丁度21時だった。
哈爾浜二泊三日概算費用: 34100円。
高鉄費:16300円、宿泊費:7800円、現地費(移動、食事、飲料)10000円。
第1目:7月13日(月)
5時15分起床。7時25分成田第一ターミナル到着。大韓航空カウンターに向かい、チェックイン、規定の23キロを1キロオーバー、次回から23キロ内にしてくださいと言われた。日本食(レンジ米飯、味噌汁、ラーメンなど)を含めて相当パッキングしたので、確かに重い。留学生宿舎はなんと4階だったのでさすがに難渋した。
成田から仁川まで約2時間弱。定刻到着。機内で日本向け総菜を手がける候さん(越谷在住)と知り合った。大連にカレイを買い付け、パッケージ工場を訪問するという。名刺交換して、トラスファー手続きをして12時半大連に向かう。仁川から大連まで500キロ、約1時間の飛行、13時半大連到着。入国審査をおえ、ターンテーブルでバゲージを回収し、2万円を両替した。
タクシーで遼寧師範大学に向かう。西門にいってほしいと言ったが、東門だったので、また引き返して、留学生を迎える国際交流センターのある通用門で降りる。30元。なにしろ重いバゲージなので、まず指定された第2楼に向かい、バゲージダウンして留学生事務室を探す。
ようやく、事務所の担当者:宋さんと面会。入学書類に記入して、どの位中国語を勉強したのかを聴かれたので、昔大学で2年間周4コマの授業をうけたが、その語殆どやっていないと言ったら、中級で受けろと言われ「え!」と絶句。どうしてもだめなら、初級にすればよいと言われた。初級は簡単なので、復習に時間を費やして意味がないという判断なのかと勝手におもった。仕方がない。書店に行って教科書を買えというので、学内にある大学書店にいって渡された二冊をかった。68.40元。
宿舎は401号室。6畳前後の広さにベッド、クローゼットとトイレのシャワーと電気ポットがついた一人部屋(1泊60元)。バゲージを明けて、まず、生命線である電源と通信環境を整える。電源はもってきた「O型コンセント」で繋ぎ、通電。パソコン、携帯、充電器も通電。パソコンを LANケーブルで繋ぐ。ID及びパスワードチェックが掛かっていた。もう一度事務所に戻り、インターネット利用をお願いした。1ヶ月50元。明日から利用できるというので「え!今日はできないの」というと、分かったといって、やってくれそうな感じだった。
部屋に戻り、荷物の整理を続けて、5時過ぎにはつながり、自宅にメールができたので、一安心である。Face Book以外の殆どのネットにアクセスができそうである。
各階には、冷蔵庫、洗濯機、電磁レンジ、IHがあった。乾麺をたべられそうなことがわかった。とりあえず、レンジでご飯を温めてたべてみた。これならなんとなりそうだ。
第2目:7月14日(火)
授業は8時半から始まった。5分前に事務所で聴いて教室を教えてもらった。3階1304教室だった。私が最後の受講者らしく、一番後ろの席しか空いていない。日本人は5人、ロシア人が4人、韓国人が1名の10人である。男女は4 :6だった。
授業は、なんとかついていけそうである。先生の話にはまだついていけないが、教科書の文章とか文法とかは、大体分かる感じだったので、すこし安心した。12時まで5分前後の休憩を挟んで4コマ。二人の先生がそれぞれ二コマを担当した。若い女性の先生であり、とてもはりのある発音をされる方だった。
授業終了後に日本人4名で学外の中華店で食事した。一人15元の割り勘だった。その後補講授業を1コマ受けて、授業料と寮費を支払うために、中国銀行で両替をした。1元が20円58銭だった。手数料(60元)込みとはいえ22円88銭だった空港の両替は暴利であることが分かる。案内には2万円とあったが、空港での両替は、タクシー料金を含めて1000円位で十分である。
両替を済ませたあとに、大きなモール1階の携帯電話店で、新品の「NOKIA」の携帯電話を210元、CIM及び通話料を100元の310元で携帯電話をかった。
一端、宿舎に戻り、支度をしてから、地下鉄で市内に向かった。20分位で大連駅最寄り駅にて降りて、改札口まで行き、哈爾浜行きの新幹線情報を得てきた。二等席で403.5元(8000円前後)。大連北駅から12時25分が理想的であり、今週末の金曜日の4コマ目を早退して、大連北駅に向かう予定である。
その後、駅前で市内地図を買ったあと、タクシー(10元)で天天漁港(人民路店)にいってみた。想像したイメージと違い、日本の海鮮料理ではなく、海鮮メニューが実物であること以外は普通のレストンである。殆どは中国人だった。
8時半頃に天天漁港から近くの地下鉄の人民広場駅でプリペイドのICカード(30元)を買って、20元をチャージして帰ってきた。現金だと3元だが、このカードだと2.4元だった。市内バスも使えるカードである。
第3目:7月15日(水)
朝は、5時過ぎに目が覚めて、ランニングコースを決めるために、遼寧師範大学の南キャンパス(理系)をへて交通大学の正門まで歩いた。理系キャンパスの交通大学側が、大学の東門であるがわかった。初日にタクシーに乗せたられて到着した場所である。遼師西門にまで引き返し、留学生寮にもどろうとしたら、西門のトラック運動場周辺に人だかりをみて、なにかとおもったら、そこは早朝ウオーキングの流れだった。高齢者が群れをなして歩く姿は、日本ではみることができない光景だ。
着宿してシャワーを浴びてから、洗濯をしようとパントリーの洗濯機を使おうとしたら、どうもICカードがないと作動しない設定であることが分かった。5号棟カウンターでカードを購入(20回80元)し、洗濯し干してから、教室に向かった。
授業後に国際交流センター内のカフェで、ラーメンをたべ、任意科目の「国画」を受けた。蓮の花のカラー水墨画である。
その後、クラスの日本人と一緒に市内に向かい、日本百貨店(久光)と大連駅の北側の市街地を散策し、食事して、地下鉄で帰ってきた。
第4目:7月16日(木)
すこしずつだが、授業の進め方と聞き取りに馴れて、先生の会話についていくことができようになってきた。しかしまったく聞き取れないことが多く、まだまだ道は遠いというのが実感である。予習をすれば、違うはずだが、あえて予習をせずにぶっつけ本番でいくことにした。
授業終了後、大学校内の食堂で醤油ラーメン(7元)をたべた。まあまあだった。その後明日の哈爾浜行きに必要な段取りをとるために、宿舎に帰る。すぐにネットで哈爾浜の宿(Jinjiang Inn Harbin Xidazhi Street。ダブル1泊3700円)を予約。直ちに中国高速鉄道(高鉄:CHR)切符購入のために中国銀行でマネーカードにて円預金から元を引き出して地下鉄で大連駅に向かう。
まず大連で一番大きな書店(新華書店)を探し、黒吉遼、大連、四川に関する旅行案内書を買い求めた。地図屋のおじさんから午後4時半に閉店すると言われていたが、書店の正面の看板を見たら、「24h’本」とある。これはどういうことなのかがよく飲み込めない。またレジでVISAカードを出したら、これはだめだという。現金で精算し、促された別の服務台で確認印をもらい、有料のビニール手提げ(0.2元)を買って、ようやく購入することができた。さらにトイレを訪ねたら、3階だという。行こうとしたら、買った本を預かるという。このプロセスには驚かされた。
その後大連駅1階の鉄道切符売り場に向かう。さすがに高鉄:CRHは空いており、10分も待たずに大連と哈爾浜(938㎞)の往復切符(二等座))を購入できた。片道403.5元合計807元(16200円)と思いきや、瀋陽鉄道局発行の手数料5元を必要とした。とりあえず、明日の手配は済ませることができた。
帰りに西安路で途中下車したあと、遼寧師範大学駅で降りて帰ってきた。
これから、明日の哈爾浜旅行の準備を始める。
第5目:7月17日(金)〜大連→哈爾浜移動日
毎朝のランニングコースは、西門のそばにある400メートルトラックのある運動場を周回するコースにすることにした。校外の難点は、歩道の路面の凹凸車の往来が激しいことである。今日一周500メートル前後を6周してみた。
昨日購入したサランラップが使い物にならないので、購入した店で、差額を支払うつもりで、他のタイプのものに交換ほしいと言ったら、同じ価格だから、問題ないと行ってあっさり交換してくれた。話のわかる店員でよかった。
授業は3時限目が始まる時、先生に今日哈爾浜にいくので、11時で早退したいと伝えたら、宿泊を伴う外出は、事務室に報告することが必要であると言われた。11時丁度に先生と皆さんと失礼し、事務所に日曜日に帰ることを告げて、黄河路でタクシーを拾うとしたが、なかなか停まってくれない。停まるのは、すでに乗客のいるタクシーで「どこに行くのか」と聞きてくる車だった。空車の車を待つこと5分経って「空車」のタクシーを拾うことができた。
大連北駅には約25分34 元で着いた。大連空港から11キロとあったが、思ったより近いという印象である。大連北駅は、広大な構内をもつ。ターミナルは成田の北1ターミナルと同じ位あると思った。まず切符を自動読み取り機に挿入し、検査機に荷物を通して、改札ターミナルに入構する。掲示板に指定された改札番号口からホームに入るという仕組みのようだ。15分前に改札が開始され、ホームで待つ「和諧号」2号車(二等座)に乗り込んだ。
二等座(普通車両)の車両は、横5列(3:2)配列。ほぼ日本の新幹線と同じ広さである。充電用電源が各列単位に用意されていたのは驚いた。日本とおなじような小さな売店ワゴン(航空機仕様)だけでなく、床をきれいにする清掃員も行き交う。
12時25分分定刻に出発したCRHは 思ったより早く16時35分に哈爾浜西駅に到着。19日の帰りの出発時刻を変更するために1階の切符売り場に並び、16時12分発の大連行きに変更することができた。
地下一階のタクシーターミナルから、ホテルに向かう。20 分位かかるといわれたが、市内に行けば行くほど、渋滞が増し30分程で6時半に到着した。 途中から手を挙げて、行き先を確認した他の若者が乗り込んできた。日本では白タクは違法だが、ここでは当たり前のサービスらしい。運転手の収入対策かもしれない。
Jinjian innは、辞書に金賞とあつたが、「錦江」だった。チェックインしようとしたが、Agodaの予約番号を見せたが、よくわからないらしい。暫くして予約がはいっていることがわかったらしく、確認できたらしい。確認が出来たと思ったら、押金(保証金) を500元払えという。「とでもない!カイワンシャオラ!」と怒鳴りつけたら、「わかりました。」と取り消した。しかも、今度は、まだチェックインできないと言う。さっきチェックアウトばかりでまだ部屋の清掃が終わっていない、30分ほど待ってほしいと言う。開いた口がふさがらない」というのは、この時の言葉だが、中国語でいうことができない。いまさら、他に変えることもできないので、もうあきらめて、レストランでビールを飲んで待つことにした。
部屋は、広くきれいだったが、唯一の難点は冷蔵庫がないことだ。これは想定外だった。中国でのネット予約の点検項目で不可欠なことだと再認識した。しかし机の長さ(2メートル)と電源(4箇所)、ネット環境(LANコード付き)は申し分がない。
これから明日の訪問先を今日ホテルでかった地図(6元)にプロットする作業をして、言葉が通じない時に備えてノートに訪問先を記入してから、就寝する。
第6目:7月18日(土)〜哈爾浜滞在2日目
朝7時起床。今日は、哈爾浜を観光する。平房にある「侵華日軍第七三一部隊遺跡」(以下731)は明日にする予定を考えた。哈爾浜内の観光を通じて、情報を整理して、明日本丸に挑むことにした。
まずホテルの側にある地下鉄で黒竜江省博物館に向かう。8時半着。9時開館とのことで、そばの紅博広場を見学、女性向けのファッション店が軒を連ね、沢山の人であふれかえっていた。ここは、交差点の地下に出来た広大なショッピンモールであることがわかった。中国語「走遍中国:黒??遼」に「免費開放」とあったが、入館のために身分証明確認書が必要であり、そのための長い行列に並び、パスポートを見せて、入館証をもらい、入館する仕組みのようだ。
館内は2階と地下にあり、地下は毎月展示を入れ替えるらしい。歴史と自然、生活などのジャンルで分類されて展示されている。遼と金と女真(清)の時代は流れとして理解できるが、ある時期に李氏朝鮮とは違う朝鮮王朝が支配していた時期があることがわかり、調べてみようかと思った。博物観の人に聴いたら、5分位でいくというので、なだらかな坂を哈爾浜駅に向かった。坂を下りながら、今後の予定で気になることが生まれた。明日は日曜、とすると371は休みかもしれないとの思いがつよくなってきた。丁度哈爾浜駅に向かう途中に車票旅行店をみかけたので、今日午後731部隊のある「平房」行きの電車を予約してみようかと入ってみた。動車(特急)はなく、普通列車であること、時刻は14時過ぎであること、出発駅は哈爾浜ではなく哈爾浜東駅であることがわかり、予約することにした。9元だという。運賃(4元)より手数料(5元)の方が高い支払いだった。哈爾浜駅についてあとでもう少し早い時間に変更できないかと思い、切符売り場を覗いてみたら、とんでもない混雑であきらめるしかなかった。
哈爾浜駅の周辺に「伊藤博文を暗殺した安重根」の記念像があると聞いていたので、なりふりかわまずあたりのひとに「アンジュンコンジーネングアン」と尋ねたが、分からないという。四人目でようやく見つけることができた。丁度哈爾浜駅中央の少し左側の駅舎内の一部に「安重根義士記念館」があった。記念館の正面に掲げられた時計はいまでも9時30分であった。
安重根記念館の見学を終えて、「中央大街」と「ロシア教会」に向かう。「中央大街」は、哈爾浜駅の反対側(西側)にいけばいいのだが、それがよく分からない。哈爾浜駅を南側から西方面に行こうと思い歩き始めたが、このままでは歩いていけそうもない。よく見たら大きな高架橋があり哈爾浜駅に向かう線路を跨るようになっていることが分かった。備え付け螺旋状の階段を見つけ、ここを渡るしかないと思い上がってみたが、そこはなんとバス停であった。路線は118路と表記されていた。暫くするとバスが到着し1元を払い、「中央大街」に着いたら教えてくれと行ったが、次だと言う。その停車場に着いたが、まだ不安なので、「中央大街」はここかと聞いたら、この道路を右に渡れと言う。暫く歩いて石畳を見て、間違いなくここが「中央大街」だと分かった。
中央大街を歩き始めると、ユニクロとスタバがあった。小休止でスタバに入り氷アイスコーヒーを飲んだ。ここからの作戦を考えようとしたら、ボールペンがないことが分かった。371部隊陳列館にいくことを考えると筆談ができないのは、致命的と思い、スタバの入館する百貨店の店員に聞いてみたら、ここにはなく、「新一百」にあると言うので、スタバの支払い(26元)を済ませて、早速いってみたが、見つからず、その先にある別の百貨店を紹介された。丁度その百貨店は、「中央大街」のあとに行こうとしたロシア正教教会の前だった。ボールペン2本(4元)と首からつるす紐(5元)を買い、教会(20元)を見学し、「中央大街」の最西端(松花江側)にむかった。
松花江からタクシーで東駅へ。14時39分発の列車に十分間に合うかと思ったが、駅前についたのが14時30 分だった。哈爾浜東駅2階の改札口に走っていったが、もう改札は終了したという。まだ5分前のはずだ!どうして入れないのだと抗議したが、もう入れないという。日本から平房にいくためにきたのだと言ったが、駄目だった。諦めかめていたところ、その駄目だと言っていた改札駅員がどういうわけか、次に出発する15時丁度吉林/瀋陽行き列車の改札を待つ列にいくように促された。改札が始まり、乗客がホームへ移動し始めると、何と私の横についてホームまで降りて、駅員に私のもつ切符について説明し、列車に乗せるように指示してくれたのである。とても嬉しい対応だった。15分遅れだが、平房に出発することができた。
平房まで1時間掛かるらしい。16時到着だと言う。陳列館には16時半前後になると考えると今日はもう閉館かもしれない。大連の新華書店のように16時を過ぎるとなにが起きるかはよく分からない処だからだ。列車は二つの駅(孫家駅と黎明駅)に停車し、15:50分に到着。同席のおじさんが着いたと告げてくれた。別れをつげて、ホームに降りて、この電車をビデオに収めたいと思い、ホームの先端で発車を待っていたら、早くホームから出ろという。仕方なく改札駅舎から撮ろうと構えていたら、早く出ろというので、この電車をビデオに納めたいので、別の年配者に少し待ってくれをお願いした。すると今度は、反対側から同じ列車(回送列車)がくると教えてくれて、幾つかと聞いてきた。65だというと、おれは66だという。同世代らしい。やっと撮り終えて、施錠された改札門が明けられ、外にでることができた。そのときに731にいくバスの番号を教えてくれた。しかしもう時間が遅いこともあり、タクシーを拾った。731まで20元だという。前払いで渡してすぐに向かってもらった。10分位で着いたが、メーターは11元だった。おかしいじゃないかといったが、帰りの分も含めて20元だというので、退館まで待ってくれるということなのかと思い、了解した。
陳列館の前は、何故かブルドーザーを使う工事中であり、いやな予感を感じた。守衛室とおぼしき小さな建物に向かった。入れると1名の女性と5人の男性がいた。まず韓国人かと誰何されてそしてすぐに英語が分かるかと聞かれた。漢語でお願いしますと応えた。最初これは、陳列館の説明に関する言語の選択かとおもったが、見せられたのは、英語で書かれた小さなホワイトボードだった。そこには「申し訳ありません、現在開館していません。開館は8月15日からの予定」と書かれてあった。なんということだ。遙々哈爾浜にきた最大の目的地だった731が見学できないことになった。それオープンは、敗戦記念日だというのだ。
申し訳ないと何度もあやまられ、いまどこに滞在しているかと聞かれたので、8月21日まで大連にいるが、もうここには来ることができないと言った。なにかこの施設のパンフレットはないかと聞きたら、奥から三冊の資料をもってきてくれた。パンフレットと部内資料、「七三一歴史真相掲秘」(15元)という書籍だった。施設を見学できなかった人へのせめてもの配慮なのだと思った。
待たせたタクシーで平房駅に向かおうとしたら、もう哈爾浜行きはないとのこと。これも想定外だった。すくなくとも地下鉄駅の最南端「哈南駅」までいってほしいというと、「今日は駄目だ」という。施設の女性に聞いたら、家に帰る予定なのだという。彼女にそれでは別のタクシーを呼んでほしいとお願いしたら、二人が相談して、どうやら行くことになったらしい。一転今度は、ホテルのある和振街まであと50元でいくと言う。復路用の10元は返せといったが、それを含めて50元だというので、仕方なく支払ってホテルまで帰ってきた。途中高校生16歳二人が同乗してきた。
第7目:7月19日(日)〜哈爾浜滞在3日目
6時起床。昨日の日記の続きを書く。7時朝食。今日大連に帰るので、ホテルに預ける荷物と持ち運ぶ手荷物に仕分けする。8時にフロントに荷物を預けし昨夜訪れた中央大街にいくバスがあるかどうかを聞いたら、64路と94路があると言われ、バス停に急ぐ。94 路バスに乗り込む。運転手の後ろで立って前方を撮影していたら、一番撮影に適した場所に座っていた若者が、席を譲ってくれた。帰りのバスでも、中年の女性が席を譲ってくれた。哈爾浜は、大連に比べてマナーがとてもよく浸透している印象をもった。
バスは、昨日にいった博物観前を左折し、哈爾浜駅に向かい、右折して中央大街に右隣の尚志街を通り、松花江沿いで向かった。突き当たり手前で降りて、松花江南岸のスターリン公園に向かう。
一時間ほどの遊覧船に乗った(35 元)。遊覧後、中央大街周辺を散策、書店が見つかったので、四川を含めて地図を買い求めた。面類を提供する店に入り、食事したあと、バスで鉄道記念館に向かうが、修理工事のため閉館。仕方なく、地下鉄で極楽寺(10元)に向かう。歩いて五分で到着。あまり時間がないので、写真だけとって、ホテルに向かう地下鉄に乗ろうとしたが、切符の自動販売機への紙幣の挿入がうまくいかず、地下鉄を断念し、タクシーでホテルにむかう。ホテルで預けた荷物を受け取り、哈爾浜西駅に向かう。30 分前に到着。16時 12分発の高鉄で大連に向かう。20時30分大連北駅着。北口(南口にタクシー乗り場はない)からタクシー(34元)で帰寮。丁度21時だった。
哈爾浜二泊三日概算費用: 34100円。
高鉄費:16300円、宿泊費:7800円、現地費(移動、食事、飲料)10000円。
by inmylife-after60
| 2015-08-31 16:28
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