2015年 08月 31日
中国短期語学留学日記(3-3) |

第20目:8月1日(土)
今日は旅順にいく。明日も含めて二日をかけていくことにした。8:15出発。8:50大連駅着。旅南快客9:10大連北駅発。10:45旅順バス駅着。スターリン通りから解放街へ右に曲がり、旅順博物館へ。本館と大谷コレクションのある別館を見学。見学後、腹が減ったので敷地のなかの出店にあったトウモロコシを買ったが、固くてたべれない。店に戻す。お金の返金はもとめなかった。歩いて5分と書かれた「関東軍司令部旧跡博物館」に向かう。しかし、誰に聞いてもわからない。諦めて昼食にしながら、再度情報を整理し、作戦を立て直すことにした。住所が博物館と同じ万楽街であることがわかった。店で確認したら、博物館に近いことがわかり、漸く辿ついた。なんということはない。博物館と記念塔を挟んだ対面の黄色の建物であった。しかし閉館とある。本年1月より閉館、開館は改めて通知するとあった。
仕方なく友誼通りに戻り、タクシーの相乗りで旅順日露監獄陳列館にむかう。17元だという。初乗りメータが幾らかのかを覚えていなかったので、払うしかない。乗るときに幾らかをきくべきだったとおもった。日露監獄から北保塁へ向かう。待機のタクシーに幾らかと聞いたら、50元だという。高いから乗らないと言って流しのタクシーを待つ。空車のタクシーが来たので、行き先を言ったら20元だという。高射砲台などを見学し、旅順バス停17:50発。大連北駅から101路で帰る。
第21目:8月2日(日)
今日は旅順に八木君と行く。彼はテツキチなので、バスではなく鉄道で行きたいというので、大連外国語大学にいったルートでいくことにした。西安路で202軽軌に乗り換え、終点の小平島駅で無料の連絡バスで祭大冷(caidaling)に向かった。
祭大冷(caidaling)駅で25分ほど待って、旅順方面に向かう6 両連結の電車に乗る。車内仕様は、大連の地下鉄と同じだった。約35分で到着。なにもない駅だけのところである。
旅順方面に向かうタクシーを拾い、10分足らずで満忠墓に到着。満忠墓は日清戦争の旅順で虐殺された中国人を慰霊する記念館だが、ガイドブックには旅順に関する施設として紹介されていない。入館して写真をとっていたら、館員から写真は駄目だと言われた。旅順博物館では、許可されたのに、何故ここは駄目なのかを教えてほしいというと、上が決めたことだが、許可されていないと言う。私は旅順にきて初めてこの施設を知った。日本では全く知られていない。日本に帰ったら、旅順にこの施設があることを知らせたいので、写真を撮らせてほしいとお願いした。若い女性の職員は納得したらしく、なんと「可以」と言ってくれた。日本からのお土産品を渡して謝意を伝えた。
次に白玉山塔に向かう。タクシーに5元上乗せして、塔のある山頂に到着。生憎の低く垂れ込めた雲で視界があまり良くない。早々に引き上げてリフト(スキー場にあるリフトと同じ)で下山。下山した場所は軍港公園の側だった。軍港公園の入場料(10元)は、白玉山塔に向かうケーブルカー乗車券付きのものであった。これは全く知らなかった。軍港公園は入る価値はない。フリゲート艦が少し近くで見える位がメリットのようだ。近くの旅順駅に向かう。今は小さなローカル駅だが、駅舎は1900年建築のとても素敵なフォルムだった。
その後タクシーで203高地に向かう。入場券売り場から、203 高地の入り口までまだ相当距離があるらしく、10元上乗せして、到着。到着した場所でマイクロバスの職員が50元で203高地の頂上余霊山の記念塔近くまでいくと誘われたが、それを断り、急坂を上ることにした。
見学後待機のタクシーに水師営まで幾らかと聞いたら50元だという。ここまできたタクシー代(16元)の3倍だったので、「不要」と伝えて、タクシーを拾えるところまで歩くことにした。これは失敗したかもしれないと後悔したが、お客を乗せてくるタクシーを待って拾えれば、なんとなると思い、そのまま歩き続けていたら、暫くして3台のタクシーの内の1台に乗ることができた。水師営まで20元だった。
水師営(入場料40元)は、とても貧相な建物だった。しかし日本語を話す案内娘が迎えてくれた。文革の時に破壊され、その後に修復したという。203高地は海抜が地名となったところであり、元々は206メートルあったらしい。日本軍の砲撃で3メートルほど低くなったと言う。それほど激しい攻防戦だったらしい。
水師営街で食事して、旅順バス駅から旅順南路で大連北駅に向かう。乗車するのに1時間待った。やっと乗車して1時間15分で大連北駅7時15分に到着。タクシーで民主広場まで行き、二人で日本食居酒屋「千鳥」にて夕食をとった。
第22目:8月3日(月)
早朝ジョグの後に朝市へ。パンとトマトと生卵を買う。今日の授業は前半の先生と後半の先生から宿題がだされた。教科書にある単語を使って会話文を作成することと配役を決めて「表演」するお芝居を作ることであった。後者は、内容と台詞を確認するため、昼食後に5楼ロビーで2時より打ち合わせをすることにした。1時間半ほどかけて、台詞の確認をして、私がタイプしてプリントにして、翌朝持参することになった。
午後4時からの個人レッスンは、声調を復習した。主に3声と2声で構成される単語の声調は不安定であることが分かった。この声調の単語は繰り返し発音する練習をした方がよいと言われた。
日曜日の旅順からの帰りのバスの娘さんの号泣のテープを聴いてもらった。旅順にいる彼女の彼氏のご両親から自分が嫌われて結婚できないかもしれないと思い、絶望したのでないかという。彼氏もお金も仕事もなく自分もお金も仕事もない状態でどうしたらいいのかその展望を見いだせないことへの号泣だったことが分かった。先生は、このような男女がとても増えているのが現状だと言われた。
テイクアウトの食事を済ませたあと、宿題の会話文と台本づくりをした。2時間位かかった。
第23目:8月4日(火)
今日は朝から雨のため、ジョグは中止。7時のNHKニュースを見る。韓国大統領と岡田代表の会談の模様が報道された。安倍首相の 70年談話が大きな分水嶺になることが明確となった。どうなるのかを注視しなければならない。
遼寧電視台は、8月から大連解放70年を記念して、1894年から1945年までの50年の「大連時空」と題する記念番組を予告している。何時から放送なのかが分からず、まだ見ていない。
朝、台本をプリントアウトして4枚コピーしてもらう(1元)。授業では、前にたって発表することになった。発表後先生からの評価と問題の指摘がされた。2点の指摘があった。1点目は「越来越」の後は形容詞でなければならないこと、2点目は資金( ziJin)と租金(zujin)の発音に注意すつようにということだった。これ以外は問題ないとのことだった。まずまずの結果だと思った。
今日は玄関の改装工事でペンキ用塗料の臭いがきついので、15分ほど早く終わった。夕方5時から、ロシア人2名と大連交通大学の交差点にある「火鍋」を食べにいくことになったが、前半の先生も参加することになった。
第24目:8月5日(水)
今日はタイマーをかけ忘れ、6時半起床。ランニングを中止して、朝市でパンとトマトを買う。授業が終わり、デパートの4階フードコートにいくが、改装工事で閉店。地下の食品売り場に併設された食堂で昼食をとった。また授業で宿題があり、日本の環境問題について報告するとのことで、早速準備を始める。現在の日本における最大の環境課題は、原発事故以降の放射能汚染であり、5月の高浜原発再稼働停止判決と日本の現状について報告することにした。
第25目:8月6日(木)
授業終了後に4時から個人レッスン。発音の点検をして頂く。5時に終了後、八木君と大連駅まで行き、明日の瀋陽行きの高鉄の切符を買いにいく。
その後千鳥で夕食をとる。マスターと職員と日本語を交ぜて話す。日本人訪問客が激減して、その後回復していないという。諦めているような印象だった。この店は夕方五時開店(入店4時)だが、閉店は1時半だという。帰りはどうするのかというと近くになので歩いて帰るという。とてもタイトな勤務である。1時間ほどして、地下鉄で帰る。
第26目:8月7日(金)
定刻6時45分起床。早朝ジョグのあと、朝市でトマトと卵を買う。昨日準備したレポートをコピー屋さんでプリントアウトして、9部コピーした。二人目の先生になって、準備した報告を発表した。コピーを配布していたのでよく理解して頂けた。先生も原発の廃炉について同じ希望だと賛意を寄せてくれた。所期の目的は達成できたと思う。 授業終了後、宿舎に戻り、101路で大連駅へ。高鉄で瀋陽に向かう。午後4時瀋陽駅着。地下鉄にのり、「南市場」で下車し、ホテルに向かう。5時過ぎに到着。
6時に八木君と部屋で待ち合わせて、瀋陽駅に向かう。パスを待つもなかなか来ないので、タクシーを拾う。長野に来たことがあるという運転手だった。瀋陽駅周辺とコリアタウンの西塔街周辺を探索、西塔街の店は値段が韓国価格のようで高いので、ホテル周辺に食べることにした。バスで瀋陽駅前の繁華街:太原街をいき、ぶらぶらして、地下鉄でホテルに向かう。青年広場駅側からホテルに向かったところ、夜市に出くわす。それがホテルの前の通り14緯通りだった。夜市の規模は相当に大きいと感じた。金曜日の夜とあって沢山の老若男女が集まって楽しく食べて飲んで買い物を楽しんでいた。 ホテルは14緯通りにあるアメリカ領事館と日本領事館の側とあって、日本料理の店が多い。一件目の「大吉」は満席で入れず、「北海道」という店に入った。8時半を過ぎていた。中国にきて初めて納豆を食べた。美味しかった。
第27目:8月8日(土)
6時半起床。瀋陽故宮開場時刻(8時半)との関係でまだ時間があるので、ホテルの食堂を覗いたが、食欲がわかず、散歩がてらに周辺を散策することにした。昨夜の夜市が気になっていたので、覗いてみようと思い、14緯通沿いを東に向かう。丁度日本領事館の向かいに「粥」と書かれた店で朝食(8元)をとったあと、昨夜の夜市に向かったところ、人でごった返していた。相当大きな規模の朝市で横付けされたトラックの荷台が露天売り場に化していた。食品と日常生活用品はすべてまかなえる朝市だと思う。 ホテル8時出発。15分ほどで歩き、地下鉄1号線「南市場」から二つ目の「懐遠街」に向かう。瀋陽故宮には9時少し前に到着したが、入場券を求める列ができていた。もう少し早く出ればと思ったが、後の祭り。20分並び老齢割引30元で入場ICカードを渡された。地下鉄の全く同じくゲートに挿入する方式で、入場者にはなにも残らない。いかがなものかと思う。規模は北京の100分の1程度ではないだろうか。100位あるようだが、公開している建物がそんなに多くない。多くはヌルハチの后妃宮と執務殿である。10時から執務殿である「大政殿」前でイベントとして伝統舞踊が披露された。
昼食後、張氏師府博物観に向かう。歩いて15分前後で到着。老齢割引半額の30元で入場。ここは主に1926年張作霖列車爆破以降に張学良の活躍を記録した記念館になっていた。張学良が102歳まで存命していたことを初めて知った。その後一端ホテルに戻り、4時に地下鉄で北陵(昭陵:ホンタイジ陵)に向かう。蓮池がすごい。時間が気になったが、まず蓮を撮ることを優先した。15分程回遊してからホンタイジ像に向かう。愛新覚羅・皇太極という表札をみて、ホンタイジとは名前ではなく、皇位名かも知れないと思った。陵墓に向かう。丁度5時半になって門が半開き状態になっていた。写真だけは思って、制止を振り払って遠くに見える陵楼の写真をとって引き返した。公園内に入り、ホンタイジ像まで15分、ホンタイジ像から陵墓門までは10分かかった。閉門が5時半なので、公園内には最低4時半までに入らないと陵墓はみられないことがわかった。北陵公園から地下鉄でホテルへ。7時にホテルで八木君と待ち合わせて、「大吉」に向かう。大吉は、日本領事館の前にあり、大連交通大学で日本語を学んだ21歳のオーナーであるナナさんが経営する店である。刺身はいまいちだが、料理は日本と変わりがない。明日の身支度をすませて、就寝。
第28目:8月9日(日)
6時半起床。昨日の日記を書き足して、ホテルに4時半迄に戻ることを伝えて、荷物をフロントに預けて、8時にホテル発。皇姑屯(張作林爆破事件)歴史博物館のことが分かるかもしれないと思い、まず9.18歴史博物館にいくことにした。地下鉄で瀋陽北駅に向かい、北駅でバス325路に乗り、運転手に行き先を告げて着いたら教えてくれとお願いした。15分ほどで9.18歴史博物館についた。開館時間10分前だった。約1時間45分参観した。長春の偽満博物観に併設された歴史陳列館の方がディテールをよく理解できたように思う。偽満の時と同様に結束語をノートに書き写した。
退館のとき係員に「皇姑屯歴史博物館」はどうやっていくのかと聴いたら、二人ともその博物館を分からない(不知道!)という。出口をでたところで、チラシを撒く学生に聴いたら、「皇姑屯」駅の近くにあるからタクシーでいけと言われ、「皇姑屯歴史博物館」に向かうことができた。乗り合わせた運転手は、「皇姑屯歴史博物館」と張作林のこともよく知っていた。「皇姑屯歴史博物館」に着く迄、皇姑屯は三洞橋地区のことであり、鉄西は日本人が作った街であること、瀋陽工業もその中心企業であることを教えてくれた。20分ほどで皇姑屯駅に着き、「皇姑屯歴史博物館」にたどりついた。しかし歴史館は現在改装中であり、今年10月1日(国慶節)に開館するとのことだった。 皇姑屯駅からバス(112路)で瀋陽北駅(北口)にむかう。北口から地下鉄とバスターミナルのある南口には、パスポートを見せるだけで、通過できた。瀋陽北駅南口でタクシー運転手からきいた「瀋陽老北駅」を尋ねたところ、漸く三人目の公安警察から、バスターミナル発264路で二つ目のところだと分かり、「瀋陽老北駅」を探すことができた。現在「瀋陽鉄道総局」になっていた。黄色を基調にしたとても垢抜けた駅舎だった。
ホテルに戻り、荷物を受け取り、バスで瀋陽駅へ。17:50発の大連駅に乗車。ノンストップ高鉄に乗り、1時間42分で着く。千鳥で夕食を食べて戻る。午後10時過ぎに帰宿。
第29目:8月10日(月)
すこし眠かったが、定刻に起床。ランニングの後に朝市へ。トマトとニラ入りのチジミを二枚買って朝食をとる。先週発表した「日本の環境問題」のレポートは添削されなかったので、4時からの先生に添削してもらう。 レポート添削頂いた。中国では「核汚染」で通用する。「引き起こされた」との表現は「引起」を使うこと。不是〜就是という言い方はない。「有」をもつ文章は、①何時②どこで③有る④何がという語順が正常文であること、把構文は把+限定名詞+動詞+其他の語順を守ること等を指摘された。とてもありがたい指摘だった。
第30目:8月11日(火)
定刻に起床。ランニングスタート地点グランド前の掲示板に「訃告」があった。63歳の元(原)会計学教員が亡くなったことを告げる掲示であった。明日何時にどこで追悼式を挙行するとの掲示文の文型は、我々は、いつどこで挙行するのかのあとに「向」をおいて関係者への案内とする文面だった。今日授業で、半3声の発音をマスターするようにいわれた。半3声のことはもちろん知っていたが、いままで意識して発音していなかったことが問題となったのだと思う。声調を区別しないと意味が異なることが自明の中国語では、致命的欠陥である。個人レッスンからの先生からも指摘されていたことを再度言われた訳である。 来週末の成都旅行をどうするかをつめて考えた。成都から九寨溝は 800キロ前後離れている。成都からの片道航空運賃が1300元(26000円)+手数料が必要らしい。バスは10時間前後かかるという。個人旅行として行くにはあまりに費用と時間がかかるので、今回は止めることにした。成都に七泊し、そこから日帰りでいけるところにいく計画に変更することにした。
第31目:8月12日(水)
定刻に起床。ランニングの後に朝市へ。今日はシーツの交換日。授業終了後、週末の瀋陽経由の撫順旅行の計画を練る。瀋陽は、ヌルハチの陵墓:東陵を残すのみなので、金曜日は授業終了後撫順に直行し、瀋陽に戻る日曜日に東陵にいくことにした。撫順には瀋陽から出発する「雷鋒号」で行き、撫順に二泊することにした。「高鉄」の時刻表を調べで、大凡前回の瀋陽—大連間の高鉄と同じ時間帯でいくことにした。しかし大連—瀋陽北という高鉄は極めて少ないことが分かった。宿泊先は、昨日Cトリップで撫順駅から15 分位のホテルを予約した。明日、大連駅で高鉄の切符を買いに行く。
第32目:8月13日(木)
定刻に起床。ランニングの後に朝市へ。授業の後、再度撫順へのルートを確認して瀋陽北ではなく、瀋陽経由で撫順にいくことにして、詳細情報を再確認し、大連—瀋陽間の高鉄切符を買いに大連駅に向かう。久しぶりに大連駅で大連の地図をうる男のいるところに向かった。日焼けした顔で元気に地図を売っていた。覚えていてくれて、自分の横に座れといって小さな椅子を出してくれた。何しにここに来たかと聞くので、明日から撫順にいく切符を買いに来た。これから日本食を食べにいくと言った。椅子のもてなしの返礼に自分と地図を売らねばと思い、「地図」と「ditu」と発音したが、「それじゃ駄目だ」という。「tu」はもっと口を丸めて突き出して「うぅ」と言えと言われた。私のでは日本人の漢語になってしまうと言われた。とてもよい学習の場になった。基本は発音であることを再確認させられた。
第33目:8月14日(金)
定刻に起床。ランニングの後に朝市へ。授業終了後、5号楼のフロントに行き、成都から戻る28日の宿泊について確認。1泊150元で予約することができた。しかしバゲージの保管はできないと言われた。どうするかを考えなければならない。28 日まで滞在する方にお願いすることにした。101トロリーで大連駅へ。前回と同じ時刻の高鉄で瀋陽に向かう。隣の席に座った中国人から話しかけられ、撫順にいくのかと聴かれて、平頂山事件と戦犯管理所にいくと伝えた。30歳になる彼はこの事件と管理所を知らないという。結婚はまだしないのかと来たら、家を買うお金がないのと一人暮らしも悪くないと言っていた。中国では仕事もお金もない結婚を「裸婚」というらしい。仕事があれば、お金は後から付いてくると思うが、中国では、お金を貯めて二人の住む家を買わなければ、相手の親から信用されないらしい。がんばってお金を貯めろと言うしかない。 瀋陽駅に定刻通り4時30分到着した。早速撫順行きの「雷鋒号」を探すことにした。市内バスではなく、長距離都市への発着ターミナル(SKバス旅客センター)にむかう。歩いて6分前後で到着。乗車券カウンターで「撫順」行き「雷鋒号」はここにはない、北側出口から左にいけと言う。駅方向に裏通りを進むと前方に大型バスを発見、「雷鋒号」と書かれたバスも通りすぎていく。丁度、瀋陽駅が見える「民主路」との交差点付近のようだ。バスのフロントに「瀋陽→撫順」と書かれていたので、幾らかと聞いたら、11元だという。しかし後から分かったことだが、これは雷鋒号ではなく、潜りの白バスだと思った。5時30分に発車。撫順に7時15分に到着した。終点は、「西一路」という中心街のバス停である。歩いてホテルに向かう。停留所前のおばさんに場所を確認し西三街の通りを右に曲がれという。しかし通りの左側を丁寧に探したが、「Snail Apartment Hotel」という名前が見つからない。そばにあった「浙商星星国际酒店」で尋ねたら、ホテルドアボーイが歩いて住所のビルの前まで案内してくれた。906号室は閉まっていたので隣の907号室で尋ねたところ、「もうこのホテルはない」と言われた。もうないと言われてこれは騙されたと思い「浙商星星国际酒店」に泊まるしかないと空き部屋を尋ねたら、あるというので二泊お願いした。朝食付きで1泊418元だった。しかしホテルの装備は最高で冷蔵庫とバスタブのあるゆったりとした広い部屋だった。予約ネットサイト:Cトリップ宛にこの件で2泊分836元の返済を要求するメールを出しておいた。今後のこともあるので、明日早朝このホテルに関する写真を証拠として撮ることにした。
第34目:8月15日(土)
ホテルの朝食を済ませて、8時出発。雷鋒記念館にいくことにした。文革の時に「雷鋒に学べ」という活動の由来がここ撫順だったことが分かったからである。瀋陽—撫順間のバス名の由来でもある。ホテルで市内地図をもらい、西一路で記念館にいくバスを探した。何本もあるので、最初にきたバスに乗車した。しかも電光掲示板で下車案内のあるバスであるために乗り過ごす心配がない。30分ほどで雷鋒記念館に到着。早速チケット売り場に向かったが、免费と言われた。丁度9時を回ったところで何か記念式典があるみたいなので、花輪をもった三つの行列の後ろから見学することにした。戦争勝利記念日である8月15日は、雷鋒が1962年22歳で殉死した命日でもあった。本当に偶然のなせる奇遇である。記念館の印象は、その思想と実践は今日の企業経営に不可欠な模範として高く評価する企業集団が存在するということであり、毛沢東なき現在でも雷鋒は健在であり、「いまも生きている」ということである。参観後、労働公園で乗り換え、バスで戦犯管理所に向かう。戦犯管理所のバス停の前は撫順監獄だった。事務所にいた職員にパスポートを見せて、見学したいと言ったら、ここではないという。今度は解放軍兵士が現れて100メール先にあると教えてくれた。そしてここの写真を撮っていないかどうか写真機を見せろというので、よく分からないという素振りをして名詞を渡して、戦犯管理所に向かって歩き始めた。兵士はついてこなかった。戦犯管理所の参観を済ませて、労働公園から平頂山記念館にいくことにした。友誼賓館バス停からの平頂山行きバスはなく、戦犯管理所に行くときに平頂山行きバスがあることを覚えていたからである。しかし10分をすぎてもバスはこないので、タクシーでいく。15分位で着く。10元だった。平頂山事件は1932年9月18日に起きた日本軍、警察、満鉄警護隊による住民3000 人虐殺事件である。カナダ人によるリリースで世界的に知られる事件となった。この事件の本質は、満鉄が満州において簒奪した利権の維持にある。つまり撫順炭鉱は、そもそも、満鉄が接収し、占領したものであり、炭鉱への攻撃を口実にその報復として地元住民を平頂山麓に追い込んで銃殺し、山腹を爆破して遺体を遺棄した事件である。この記念館は、満鉄=鉄道会社という理解が本質を覆い隠す誤りであり、1900年間島協約に始まる満州侵略の本質を教える展示館だと思った。次に平頂山から古城子にある西露天鉱参観台にタクシーで向かう。20分位で20元だった。西露天鉱参観台は、高さ50メートルほどの展望台から露天鉱を望めると思って20元を払い、入場したが、3階までの展示館から展望台入り口のある4階にはいけなかった。見えないではないかと尋ねたら、平地からでも見えると言われて、屋外にかる大型展示品(蒸気機関車、ディーゼル車、掘削動力車、クレーンなど)の前から露天鉱をみえた。しかし午後4時を過ぎきて、視界も悪いこともあり、あまり鮮明に露天鉱は見えなかった。ここは、行くとしたら朝早く行くべき場所だと思った。とりあえず撫順にきた目的を達成できた。バス路線を走る基幹道路にちかい場所に向かい、バスで市内に戻ることにした。古城子の町外れにあった店で冷えたビールを買い、小休止した。飲み終わって路上に小型タクシーの溜まるところを見つけ、基幹通りのバス停:新生橋まで5元を先払いしていくことにした。5分ほどして、新生橋につき、市内行きのバスが来たところで乗ろうとしたら、財布がないことに気がついた。財布を最後に使った場所は、先払いしたタクシーだまりである。見つかる可能性はゼロとはいえ、私を乗せた小型タクシーの運転手を捜しに尋ねるしかない。戻る道すがら、見つからない場合に対処すべきことを整理してみた。まず昨日のホテル宿泊時の保証金(1500元−宿泊代)を決済するVISAカードがない場合どのような手続きになるのか。来週の成都行きの旅行費用を引く出すマネーカードがない場合、必要な現金をどうするか、ホテルと大学寮の入退室カードの再発行手続きなどやたら煩雑な手続きと時間を要することが自明だった。30分近く歩き、タクシー溜まりにたどりつき、携帯電話に撮ってあった小型タクシーの写真、車内から撮影した動画(偶然運転手の顔がミラー越しに写っていた)を見せて、そこに居合わせた運転手に財布を忘れたのでこの運転手に会いたいと申し出た。彼らからまだ戻っていない、もうすぐ戻るからここで待っていろと言われた。10分位して件の運転手が帰ってきた。何とタクシーのフロントガラス前に私の財布があったのである。運転手へのお礼として300元を渡した。心配してくれたタクシー溜まりの方に100元渡そうとしら、運転手へのお礼で十分だから要らないと言う。件の運転手が先ほどの新生橋まで送ってくれた。財布にはクレジットカードとマネーカードは入れないことにした。新生橋から市内の西一路を経て、ホテルに戻った。6時半を過ぎていた。
第35目:8月16日(日)
7時起床、朝食を済ませたあと、7時30分チェックアウト、無事に保証金精算を済ませた。旧撫順駅前の「中央大街」沿いの雷鋒号発着ターミナルへ向かう。 入り口に撫順—瀋陽間30元とあつた。どこで車票を買うのかを三回聴いたが、発車するバス運手に払う仕組みらしい。発車するバスの運転手に30元払おうとしたら21元だといわれた。どういうことかよく分からないが、往路の代金(11元)より高いとはいえ、店頭案内の30元より安いので、言われるままに支払った。8時20分乗車、25分発車、雷鋒号も周辺バス停から料金を払う乗客を乗せて走るものであり、その形式は往路と変わらなかった。ただ運賃箱の有無の差だった。 瀋陽駅10時15分着。復路も1時間50分掛かった。日曜日でも輸送用トラックが多く、渋滞は避けられないようだ。 瀋陽駅高鉄改札口に入り、駅の一番西側にあった預かり所に25元でディバックを預けた。長春駅は15元だったことを思い出す。 瀋陽駅南口側で福陵(東陵)に向かうバスを探す。「歩き方」に148号か168号か218号とあるが、瀋陽駅前には該当のバス停を探すことができなかった。仕方なく地下鉄で瀋陽北駅に向かう。11時15 分北駅着。北駅の市内バスターミナルに東区と西区のバスゲート案内があり、西区側に168号があることを発見。西側に移動。運転手に料金と所用時間をたずねたら4元、60分と言う。瀋陽から東に15キロとある東陵公園まで、どうして1時間も掛かるのかがよく分からない。写真撮影のしやすい運転手とは反対側の最前列の一人座席(入り口ドアの前)に座った。11時30分発車。 市内を抜けるのに30分を要した。漸く大きな通りに入ったが、そこは東陵路と書かれてあり、現在高速道路を建築中らしい。普段は4車線道路だが、現在は1車線しか通れない区間が多いらしい。従って1車線区間は、バスも歩道を走る状態であった。乗車してから45分位たった頃に運転手から声をかけられた。なにをいっているかわからないが、ドアが開き、道におかれた倒れたカラーコーン(緑)を指さしたので、それを直せと言われたのかと思い、直すとそうでないというのか、指をさらに遠く動かすので、歩道側に移せということらしい。規制車線に入り、一刻も早く運行させたいということらしい。「ありがとう」位はあるかと思ったが、そのまま渋滞道路を走り続けた。漸く12時45分東陵公園到着。 東陵公園のチケット案内表示は40元とあったが、老齢割引で無料だった。蓮池は相当大きなもので、池をボートで遊覧できる程だが、園内から陵墓までは、北陵より相当狭いと思われる。約1時間15分で参観できた。陵墓内に特別展示室が2室あり、これは入場料とは別に料金20元がかかるという。雰囲気からしてなにかおかしいとおもったが、20元を払い入場した。室内は暗く貧相な展示で説明書きもあまり見あたらない。やはり想像した通りだが、後の祭り。入るべき施設ではない。 14時東陵参観終了。瀋陽北駅までの渋滞を考えてタクシーを選択したが、なかなか来ない。10分ほど待ったが捕まらず、14時15分に168路バスがきたので、満員にちかい状態だった。15時15 分着、往路より早く1時間ほどで瀋陽北駅に到着。地下鉄で瀋陽駅の一つ手前の駅の繁華街大原街で降りて、街をぶらぶらして、瀋陽駅高鉄の改札時刻を待つ。18時6分発 G8062で大連駅に向かう。途中「瓦房店」駅で10分臨時停車(原因はアナウンスされなかった)、15分遅れの20時25分大連に到着。101路トロリーで帰る。
第36目:8月17日(月)
7時過ぎに起床。早朝ジョグをバス。朝市で生卵とトマトを買う。授業終了後、八木君と鳴田くんと三人で新モールの4階フードコート奥のレストランにいく。屋外にあるシートでゆったりと昼食をとる。野菜炒めとビールを頼んだ。学生達も好きな日本食まがいのメニューをたのんでいた。ここはすべて前払いである。午後5時過ぎにCトリップから私の中国電話に連絡があった。私の返済要求(863元)に対する対応である。日本語スタッフに対して、当日の状況を説明した。しかし彼らは、現地民専用の宿泊施設であり、ホテル側から、宿泊できないとの連絡があったという。その連絡をうけて、予約者に金曜日(宿泊当日)10時にメールし、その後電話で連絡したが、出てくれなかったという。またこのようなケースはその予約者に連絡し、代替えホテルなどの対応をすることができたとの主旨の対応だった。つまり次善の策を用意できたとの回答だった。私から、予約段階で現地民専用のホテルであるとの表示がない、実際はネット上の表示とは異なり、ホテルであることを知りうる情報がないどころか、「現在ホテルは存在しない」との対応であったこと、日没後では近くのホテルに宿泊するしかないと答えた。改めて上司と相談して対応するとのことだった。
第37目:8月18日(火)
6時45分起床。早朝ジョグ後に朝市で生卵3個とトマト2個を買う。生卵は1個を生卵で食べて、残りの2個をゆで卵にして食べた。授業終了後、学生と三人で新モールの4階フードコート奥のレストランにいく。今日は、ビールをサーモンの刺身と冷や奴で飲んだ。宿舎に戻るとCトリップからメールがきていた。
以下の通りである。
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初めまして、シートリップと申します。このたび、ホテルのご予約をいただき、誠にありがとうございます。 本件について、弊社の日本語ホームページ及び確定メール上に記載されたホテルの住所の誤りによりお客様に大変ご迷惑を掛けしましたことを心よりお詫びを申し上げます。昨日電話でご指摘いただいた住所の誤りの件について、弊社の関連部署まで報告し、現在正しい住所[裕民路28号(裕民路与武功街交汇处浙商星座907室,抚顺]を確認しており、早速訂正させていただきました。本メールでご提供いただいた写真ファイルですが、907室のドアに広告のようなものが貼っていますが、間違いなくご予約いただいた[蜗牛连锁酒店公寓(抚顺浙商店)]ホテルの入り口となります。今回ご予約のホテルは独立の住所を持っていない、アパートメントにあるため、ビルの規定によりホテルである看板や印など目立つものを設けることができない場合もございます。何卒ご了承いただきますようお願いいたします。今後お客様のご旅行のお役に立てるよう正確なホテルの情報提供、また日本語でのより良いサービスをご提供できるように努めさせていただきたいと思いますので、何卒宜しくお願い致します。 なお、日本籍の方が対象外である件について、通常の場合弊社の日本語ホームページ上に記載されているホテルはすべて事前にホテル側まで確認して、外国籍の方を接待する権限がある連絡がありましたら、こちらのホテルをお客様に提供しております。万が一ホテル側は何らかの原因で外国籍の方を接待する権限が無くなった場合、必ず弊社までご連絡いたします。ホテル側の連絡をもらいましたら、お客様の日程に影響しないように弊社のスタッフは至急にお客様に電話やメールでお知らせいたします。もし弊社のお知らせを受けてない場合、当日に弊社までご連絡いただければ、こちらより責任を持って、代わりのホテルを探して、適当な手配をご案内させていただきますので、今後ではどうぞよろしくお願いいたします。 現在ご予約番号1437745633(8月14日より2泊)のご予約を無料キャンセルし、事前払いの料金(RMB130*2)も全額返金いたしました。また、シートリップはお客様のお声を真摯に受け止め、サービスの改善、業務品質向上に活かし、お客様から信頼される旅行会社を目指しておりますので、今回の事態に招いて弊社の不手際について、反省の上責任を持って対応させていただきたいと考えられます。最終的な対策としましては事前払い料金の全額払戻のほかに2泊の宿泊料金RMB260をシーマネーの形でお客様のアカウントに加算するか、お客様の中国国内のデビットカードまで現金で弁償することになりますので、ご検討の上折り返しご連絡いただきますようお願いいたします。弁償のための貴殿の正式のシートリップアカウント名もしくは中国国内のデビットカードの銀行口座番号を折り返しお知らせください。どうか今回に限りご寛恕くださいますよう、また今後ともご愛顧を賜りますよう、伏してお願い申し上げます。 今回は数多くのサイトより弊社を選び頂き心より感謝を申し上げます。心行くまでのサービスを提供できなかったことをお詫び申し上げます。シートリップは引続きお客様のお声を真摯に受け止め、誠実かつ迅速な対応を行うとともに 、常にお客様の声をサービスの改善など業務品質の向上に活かしていくことにより、お客様から真に信頼される旅行会社を目指しています。お客様が快適な旅をお楽しみいただけますよう努めてまいります。これに対して、以下のメールをCトリップ宛に送信した。
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Cトリップ様メールを拝読しました。全く納得できません。納得できない点は以下の通りです。
1) ネットの表記について〜通常、ネットで予約する場合、ホテル名のあるホテル外観と住所をみて、自分の行動予定とホテルの位置関係からホテルを決定します。今回の場合「Snail Apartment Hotel」以外にホテルとおぼしき写真があり、住所は、裕民路28号とあり、括弧内で「裕民路興武功街交匪處浙商星座906室」と追記されていました。ところが、実際の表記は写真にある通り、たとえ907室の間違い(すでに訂正されているとのことですが)だとしても、その表記は「蝸牛主題公寓管理有限公司」とあります。しかも実際に907号室には、「蝸牛超市」とあり、ホテルであることを認識することは至難の業と言わなければなりません。しかもそこで予約メールを見せたら「現在没有」と言われたら、これは実在しないにちがいないと理解するのが普通だと思います。結論:ネット上での表記は、部屋番号の違いだけでなく、ホテル写真も実際のもととは違うものでした。また貴社は907室表記が「蝸牛连锁公寓酒店公寓」でホテルの入り口と言いますが、実際は写真にある通り「蝸牛主題公寓管理有限公司」という表記です。単に部屋の番号を間違えたというレベルではなく、私のような誤認が十分発生する蓋然性をもつものであり、誤認の原因は私にはなく、Cトリップ側の表記(写真を含む)及び実際のホテル側の表記の瑕疵である。
2)居住民限定宿泊への対応について〜通常例えば、Agodaなどのネットサイトでは、居住民限定の場合、その旨の表記があります。従って、外国籍の利用は制限されていないものと理解しました。Cトリップとホテルの契約がどのようになっているのかは、予約ユーザーには関わりないことです。それは、私の問題ではなく、Cトリップとホテルの問題です。しかも、火曜に予約したホテルを宿泊当日朝になって、表記もされていない居住民限定を理由にメール及び電話連絡して、変更をお願いされても、対処の仕様がありません。もしそうであれば、到着したホテルフロントで、その旨を伝え、場所の案内と価格条件及び補償措置などの新規契約に関する案内があってしかるべきです。そうではなく、「現在没有」と予約者を追い返す対応はありえないことです。何故予約ホテルに連絡し、代替えホテルの案内などの指示連絡を行わないのかが私には全く理解できません。結論:予約成立後、居住民限定宿泊であることが判明し、尚かつ本人に連絡の取れない場合の対処が不適切である。当初予約ホテルに対する代替ホテルについて、当初予約ホテル側に指示徹底を計らなかったCトリップ側の不作為による瑕疵であり、私の瑕疵ではありません。繰り返しますが、これは、CトリップとSnail Apartment Hotelの瑕疵です。
3) 補償措置とその振替方法について〜縷々述べてきたように、Cトリップは、私の予約したホテルが実在するのであれば、連絡先は私とホテルの2つであったはずです。私と連絡が取れない段階で、Cトリップのとるべきことは、確実に私が訪問するであろうSnail Apartment Hotel のフロントとおぼしき906室(907室)に連絡をとり、代替措置を指示すべきでした。すでに午後8時を過ぎており、初めて訪れた暗い街で新たなホテルを探しに徘徊するのは、極めて危険であり、二次災害を引き起こす可能性があります。近くのホテルに避難するのが適切な判断と思います。結論:私の請求補償金額は、836元−260元=576元です。また振替方法は、8月11日に予約したフライト料金(大連—成都往復)からの相殺でお願いします。予約番号1432822112 と1432822105です。以上です。
尚、ホテルの領収書(クレジットレシート)を添付します。
私のお願いは、今回のような事故を再び起こさない措置をとってほしいということです。以下に列挙します。
1)居住民限定宿泊である場合は、表記すべきです。
2)予約後に判明した場合は、予約者だけでなく、また予約者と連絡の取れない場合の措置として、当該ホテルに対する代替措置に関する協議を行い、当該ホテルへの予約ユーザーへの指示徹底を計ること。
3)ホテルフロントには、初めて訪れる予約者にも明確に識別できる掲示を義務づけること。
4)表示内容に瑕疵があった場合、集客停止などの措置をホテルとの契約で明記すること。
5)以上の義務が履行できないホテルは、ネットサイトから追放すべきです。入会して初めて利用したホテルがこのようなことであれば、今後御社を利用することを躊躇します。今回の事故をうけて、御社がどのような対処と改善を行うのを聴かせて頂きたいと思います。よろしくご検討お願いします。
第38目:8月19日(水)
6時45分起床。早朝ジョグ後に朝市で生卵とトマトを買う。授業終了後、学生と三人で昨日と同じ新モールの4階フードコート奥のレストランにいく。スコールでいつもの屋外テーブルは使えず、室内で昼食をとる。そろそろ、成都にいく身支度と寮からの撤収の準備をしなければならない。午後から4時にくる個人レッスンの先生に成都にいっても使わないものなどを渡す準備をした。3時5分前にノックする音があり誰だろうと思い、ドアをあけたら先生だった。時間を勘違いしたみたいである。3時から最後のレッスンをうけた。紛らわしい発音の点検である。レッスンを5分ほど残して、先生に渡すものを見てもらった。ラップ、ペーパータオル、かつお節パック、海苔、即席味噌汁、レンジ用ご飯、粥(加熱)、殺虫剤など全部もって帰ってくれた。これで即席味噌汁だけはすこし残した以外は殆どの食品を処理することができた。Cトリップからメールがきたの、以下の返事を書いた。フライト料金との相殺はできないとのことで、会員アカウントを登録して処理をしなければならないようだ。成都で登録申請をすることにした。---------------------------
Cトリップ崔様メールを拝見しました。私が指摘した1)及び2)について言及がないのですね。私はお金のためにこのようなメールを差し上げているのでは、このようなことを今後起こさないための措置を検討してほしいからです。とても残念です。補償措置は了解しました。正式会員アカウントは登録させていただきますが、帰国後になると思います。今回の補償(RMB260)は、中国デビットカードをもっていないので、先のメールでお願いした通り、8月11日に予約したフライト料金(大連—成都往復)の相殺でお願いします。追伸:御社で予約したフライトは、今回のことがないようにご確認をお願いします。予約番号1432822112 と1432822105です。大丈夫でしょうね!
第39目:8月20日(木)
6時45分起床。早朝ジョグ後に朝市で生卵とトマトを買う。今日は最終宿泊日。朝洗濯機で洗濯を済ませて干しておく。授業の休憩時間に私が宿泊最終日になるので、大連市内の日本居酒屋で最後まで残った5名で夕食会を行うことになった。授業終了後、昨日と同じ新モールの4階フードコート奥のレストランにいく。スコールでいつもの屋外テーブルは使えず、室内で昼食をとる。帰りに床屋で頭をかってもらった。30元だった。 明日は授業終了後に昼食をとらずに大連空港に直行するつもりなので、やり残しのないように二つの手紙を書いた。ひとつは先生へのお礼の手紙、もう一つは、朝市の側にある靴下屋(奥行き1メートルもない仮設のお店)の店主へのお詫びの手紙である。このお店で買った靴下が穿いた翌日に穴ができたので、交換してほしいと頼んだが、それは鋏で切った穴だと、交換に応じなかった店主宛のものである。手紙をかいて、朝市の通りについたら、人だかりをそこに「行政執行」と書かれた白と黒の車で封鎖されており、以前あった仮設棚を連ねたような商店街が壊されて、跡形もなくなっていたのである。これは以前から撤去対象であった露天仮設棚店舗を「強制代執行」で撤去させられたものと思われる。あの穴は貴方のいう通り、私の責任であると謝る機会を失ってしまった。はやく書いて行っておけばよかったと後悔した。
「我是以前这里买袜子以后批评你的日本人。几天以后,我觉得你指出的事是真的,袜子的洞是我的责任。是不是遗憾极了。明天,我将回到日本。我今天来道歉。请收到货的感谢。」
先生のお礼の手紙は以下の通りである。 「给我老师!我谢谢你教我汉语6周。 我遗憾一个学生不能讲太多的口语。但是,我觉得在这里学到的是我学会了如何学习汉语。谢谢你。 下次周末回到了以后,我无忘我老师常常指出注意,在日本继续努力学习汉语。我们从日本来的同学说得汉语水平不一样,这样的情况下,你们讲得辛苦了。你们不屈服任意的学生要求,根据自己的信念请你们继续讲课。 我觉得开始听懂你提问了的时候,我的上课将结束了。这是我最遗憾的事! 我感谢你的努力和帮助。谢谢你!再见!」午後5時に寮の前に集合送別会を兼ねた夕食会を大連日本食「千鳥」で行った。皆日本の味に舌鼓をうって堪能できた。5人で960元だった。
第40目:8月21日(金)
最後の授業。前半の先生から、中国の感想を聴かれたので、雷鋒の言葉を引用して、かれの言葉を中国のサービス業に働く者は、学ぶべきことが多いと思ったと話した。午後の先生に、お礼の手紙を日本画のボールペンとともに渡した。喜んでくれた。 授業の終了後、地下鉄で大連空港に向かう。ひとまず大連を離れて、修学記念旅行である「成都旅行」に出発する。
2015.8.21(完)
by inmylife-after60
| 2015-08-31 17:09
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