2016年 04月 07日
旧満州国訪問記(1)〜撫順「平頂山惨案記念館」〜 |
旧満州国訪問記(1)〜撫順「平頂山惨案記念館」〜
昨年7月中旬から8月下旬にかけて、大連にある「遼寧師範大学」の短期漢語研修に参加した。各週末を利用して、日本の満州侵略の軌跡を辿るために、旧満州の主要都市にある植民地支配と侵略の記憶を留める史蹟記念館を訪問した。幾つかを紹介したい。
8月15日、瀋陽市の東50㎞の撫順市にある「平頂山惨案記念館」を訪問した。
平頂山事件は1932年9月16日に起きた日本軍、警察、満鉄警護隊による撫順炭鉱付近に住む住民3000人を虐殺した事件として知られる。この事件は、抗日ゲリラによる炭鉱事務所攻撃への報復として地元住民を平頂山麓に追い込んで銃殺し、山腹を爆破して遺体を遺棄したものである。
平頂山事件は1932年9月16日に起きた日本軍、警察、満鉄警護隊による撫順炭鉱付近に住む住民3000人を虐殺した事件として知られる。この事件は、抗日ゲリラによる炭鉱事務所攻撃への報復として地元住民を平頂山麓に追い込んで銃殺し、山腹を爆破して遺体を遺棄したものである。
ウキィペディアは、平頂山事件(へいちょうざんじけん)を、現在の中国遼寧省北部において、撫順炭鉱を警備する日本軍の撫順守備隊(井上小隊)がゲリラ掃討作戦をおこなった際に、楊柏堡村付近の平頂山集落の住民が多く殺傷された事件としているが、これは正確ではない。
事件は、前日の9月15日に調印された「日満議定書(満州国承認)に抗議する反日ゲリラによる炭鉱夜襲事件への報復として行われたのである。この掃討作戦は、日本軍守備隊だけではなく、日本警察及び憲兵隊と満鉄の「炭鉱防備隊」の三位一体の作戦として行われたと言う。
尚この事件を最初に海外に報道したのは、カナダ人エドワードハンター(愛徳華Edward Hunter )アメリカシカゴトリビューン記者であった。1927年より中国取材開始、31年3月リットン調査団に同行取材。事件発生後いち早く現地取材し、海外メディアに配信したという。
「撫順平頂山惨案記念館」は、3つのエリアで構成されていた。事件に至るまでの経過と事件後における慰霊事業そして日本政府への損害賠償請求に関する「惨案記念館」、虐殺遺骨などをそのまま保存展示している「惨案遺跡」、「平頂山殉難同胞記念碑」である。
撫順は、瀋陽駅からバス「雷鋒号」で約100分前後。(11元〜20元〜1元20円)
惨案記念館は、撫順市内からタクシーで20分位(20元前後)である。
by inmylife-after60
| 2016-04-07 14:36
| 中国訪問記
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