2016年 04月 09日
旧満州国訪問記(3)〜哈爾浜「安重根義士記念館」を中心に〜 |
旧満州国訪問記(3)〜哈爾浜「安重根義士記念館」を中心に〜
安重根は10月26日午前9時半、同志二名とともにピストルで伊藤博文を射殺しロシア官憲に捕捉され、旅順の関東都督府に送られ、翌1910年2月14日死刑判決後、旅順日本監獄に収監され、3月26日に死刑執行(享年32歳)された朝鮮の独立運動をめざすクリスチャンであった。
安重根は10月30日の訊問調書において伊藤博文を朝鮮の植民地支配の元凶として射殺した理由を伊藤の15の大罪として指弾したと言う。
仔細は省くが、安重根曰く、明治天皇は、日清戦争及び日露戦争のいずれにも、朝鮮の独立を宣戦の詔勅としているにも関わらず、日本政府は、朝鮮を併合し、植民地にするということは、明治天皇の意思に反する逆賊であり、韓国の独立を望んだ韓国皇帝の意思に対しても逆罰であると供述した。
また安重根は2月9日最終公判にて「私は日本人と韓国人同胞のため、かつ日本天皇陛下と韓国皇帝に忠義のために、今回の挙に出た。」と陳述したと言う。
尚、安重根に関する記念館は、哈爾浜だけでなく、処刑地である旅順にある「旅順日露監獄旧跡博物館」内に安重根を含む日中の抗日活動家を義士として追悼する記念館が開設されており、収監された牢獄、処刑執行館、処刑室などが公開されている。
by inmylife-after60
| 2016-04-09 22:45
| 中国訪問記
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