旧満州国訪問記(4)〜撫順「雷鋒記念館」について〜 |
遼寧省瀋陽から東に45㎞の撫順は、日露戦争後の1907年に日本の満鉄付属地となり、鞍山の鉄鋼と並んで、旧満州国植民地経営を支えた撫順の露天堀炭鉱の所在地としも有名である。当初の計画にはなかったが「地球の歩き方」の「雷鋒号」が目にとまり急遽訪問した。
这些话好得很,我不但要永记,而且要贯彻到言语行动中。
今日私は、ある科学者が青年に話した記事を読んだ。それは私に対する大きな啓発と学習となった。彼曰く「君はいかなる時にも、自分が何でも知っていると思ってはいけない。他人がどのように君たちを重んじたかどうかに関わりなく、君たちは、勇気をもって自分に言い聞かせほしい。『俺たちは学識がないのだ』と。決して自惚れてはいけない。自惚れ、それは君たちに頑なな気持ちをおこさせる。つまり一度自惚れれば、君たちは、他者の忠告や友情溢れる援助を拒絶してしまうからだ。一度自惚れれば、君たちは、自分を客観的に推し量るよりどころを失うからだ。この話はとてもよかった、私はこのことを長く記憶するだけでなく、言葉や行動のなかに貫き通さねばならない。
またこれは、殉職日5日前の日記には以下の記載があった。いわば絶筆である。
62年8月10日
今天,我认真学习了一段毛主席著作,其中有两句话对我教育最深。毛主席教导我们说:“虚心使人进步,骄傲使人落后。”这是千真万确的真理。过去,我在一切言论或行动中,按主席的教导做了,因此我进步了;现在,我仍要牢记主席的这一教导,坚决努力,要求自己更好地做到这一点。
今后,我要更加热爱人民和尊敬人民,永远做群众的小学生,做人民的勤务员。
今日私は毛主席の著作を真剣に学んだ。そのなかの二つの句を深く学んだ。毛主席は私たちに助言する。「虚心は人を進歩させ、自惚れは人を落伍させる。」これは、間違いなく確かな真理である。私は、一切の言動をこの主席の教えに従って行い、このことによって自分を進歩させたい。現在わたしはやはり主席の教えをしっかりと記憶し、努力を惜しまず、この一点にむけてさらなる向上を自分に求めつづけたい。
今後とも私は人民を愛し、人民を敬い、永遠に幼い生徒の一人として、また人民に奉仕する勤務員として生きつづけたい。
毛沢東(湖南省韶山市生まれ)は、絶筆となった8月10日の日記を読んだにちがいない。湖南省という同郷の若者の真摯な想いに感動したにちがいない。雷鋒は自らの殉死から数年後に始まった「造反有理」を旗印とした文化大革命の10年を存命していたら、どのように思うだろうかと考えた。
記念館には1960年10月に担当した望花区建設街小学校(現雷鋒小学校)ではじめた「三件宝」活動が紹介されていた。彼は小学生を指導し、第一の宝箱として、自家製の貯金箱をつくらせて、お小遣いを貯金させること、第二の宝箱として「節約箱」をつくり使い古しのネジや釘等を集めて再利用させること、第三の宝箱として「裁縫包」を持たせ、自分で衣服やボタンなどを繕うことができるように育成したという。
戦後直後の日本と今日の日本にも惹き付けて考えてみなければならないのは言うまでもない。
雷鋒略歴:
雷正興(幼名)は、1940年湖南省城望県(長沙市より北西40㎞)生まれ、7歳の時母が自殺し、天涯孤独の身となった。56年城望県公務員となった。58年雷鋒と改名し長沙を後にして北上遼寧省鞍山鉄鋼入社。60年1月人民解放軍へ入隊し、ダム事故危険救済活動で表彰され、60年8月抚顺市望花区建设街小学校と中学校校外指導員勤務、60年1月中国共産党入党。1962年8月15日撫順輸送部隊配属の頃、倒れたトラックを立て直す作業を指揮、支柱棒の直撃により殉職した(22歳)。