2016年 10月 25日
中国における慰安婦陳列展示施設について |
⏫歴史博物館内展示コーナー
1)日本軍による慰安所開設の経緯について
1931年11月、貸座席であった「大一サロン(大一沙龙)」が海軍陸戦隊司令部承認の日本軍慰安所第一号である。普段は看板も掛けておらず慰安所という呼び名もなく、はじめは日本海軍軍人を接待するだけではなく、日本人居留民をも接待していた。また検査制度も何もなかった。この時期の「慰安婦」は日本人であれ、また朝鮮人であれ基本的にはみな娼妓であり、また貧困な山地などから募集された若い女子であったと言う。
1932年1月28日に日本軍が起こした「一・二八事変」(第一次上海事変)が勃発した。日本政府は絶え間なく上海に援軍を増派した。大規模な強姦事件や軍紀の弛緩と性病の氾濫につながることを防ぐために、上海派遣軍の岡村寧次副参謀長が上海における海軍にならって、日本の関西地方において一回目の陸軍「慰安婦団」を募集し、呉淞・宝山・廟行および真如などの戦闘の前線に日本軍将兵に性サービスを提供する慰安所を設けた。この「慰安婦団」募集こそ、陸軍が初めて組織的に「慰安婦」制度の設立に関与した行為であった。これは後の日本軍の「慰安婦」制度の重要な起点であるとともにモデルともなったと言う。(蘇智良著「上海の慰安所施設」)
2)中国の慰安婦陳列展示施設について
開設順序でいうと、第一は雲南龍陵県董家溝慰安所遗址陈列馆、第二が黑龍江省孫呉黒河東呉軍人会館陈列馆であり、第三が昨年12月南京利済巷に開設された「南京利済巷慰安婦旧跡陳列館」であると言う。この南京の施設は、去る8月に見学してきたので、その位置や規模、内容を理解することができるが、前者の施設は始めて聞いたものであり、どのような施設なのかを想像できない。
この博物館の内容は、巻末に掲げるネット記事の翻訳版を参照して頂くとして、この施設が何故上海師範大学構内に設置されたのかについて、考えてみたい。
第一に中国における慰安婦研究が上海師範大学蘇智良教授によって行われ学術的な検証が積み重ねられてきたことによるものだと思う。つまり上海師範大学が日本軍慰安所問題研究のベースキャンプであったことによる。
事実、蘇智良教授は、南京利済巷慰安婦旧跡陳列館の館長でもあると言う。またこの「上海慰安婦歴史博物館」は、2007年7月5日開設された上海師範大学「慰安婦資料館」をベースに創られたものではないかと想像できる。上海師範大学に慰安婦歴史博物館が開設される所以であろう。
第二には、生存する慰安婦が極めて少数となり、現在19名であり、90歳を越える高齢者が殆どである。上海にあった166箇所の慰安所の真実を実際に訴える旧跡を南京利済巷のように建設できない現状に鑑みて、慰安婦発祥の地:上海に慰安婦陳列展示施設をつくることを急いだと思われる。
第三には、この大学構内での歴史博物館を基地にして、南京利済巷のように上海市内の慰安所旧跡をそのまま陳列展示館の建設を促進させることを意図していると思われる。
3)上海市内の慰安所旧跡を利用した慰安婦陳列展示施設について
今後の建設計画の詳細は不明だが、蘇智良教授が狙う候補施設は、冒頭の海軍陸戦隊指令部が認定した「大一沙龙(大一サロン)」であると言う。しかしこの建物はまだ居住者が数十人を数え、すぐに転居させることはできない状態にある。また上海にあった「海の家」や杭州にあった泗水新村慰安所などの候補がある。現状の慰安婦陳列展示施設は、伝播度合いの制約された場所にあり、上海を中心にした沿海都市エリアで市民や外国人観光客が足を運びやすい沿海部都市に設置したい意向であると思われる。
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“慰安妇”博物馆が開館!〜2016.10.23「今日头条」より〜
“慰安妇”博物馆开馆 藏多种受害证据
慰安婦博物館が開館、多種な被害証拠を収蔵。
2016年10月22日,上海师范大学中国“慰安妇”历史博物馆举行开馆典礼,这是上海的第一所慰安妇博物馆。
2016年10月22日、上海師範大学で中国慰安婦歴史博物館の開館式典が開催された。これは上海の最初の慰安婦博物館である。
博物馆收藏了一批“慰安妇”制度幸存者捐献的各类纪念文物,如万爱花赴日起诉时使用的护照,袁竹林到海外出席听证会的证件与作为中国大陆最早一批向日本提出赔偿的起诉书、晚年皈依基督教的证物,海南受害者林爱兰作为“红色娘子军”一员获得中央政府颁发的抗战60周年纪念章、她日常行医的用具,海南受害者陈亚扁和黄有良为参加2000年在日本举行的女性国际战法法庭手绣的“讨还血债,谢罪赔偿”条幅,雷桂英从南京高台坡慰安所带出的高锰酸钾和她的临终遗嘱,受害者们的手模脚模等等。此外还有研究者数十年来调查所收藏的日军慰安所遗址中的各类遗物,研究者捐献的相关文物如战时日军使用的安全套、星秘膏等,以及各地受害者公证书、证言、照片、调查视频,各国研究者的研究文献与成果等。
博物館は、慰安婦の幸存者が寄贈した各種記念文物が収蔵され、例えば万爱花さんが提訴のために日本に赴いた際のパスポートや、袁竹林さんが海外の公聴会に持参した証拠物件や中国大陸では最も早く提訴した賠償請求訴訟書、晩年キリスト教に帰依した証、海南の受難者林爱兰が「红色娘子军(海南島の共産党翼下の特務連隊)」の一員として獲得した中国政府が頒布した抗日戦争60周年記念章、彼女が日常携帯していた医療器機、南海被害者陈亚扁さんと黄有良さんが2000年日本で行われた女性国際法廷に持参した「血を以て贖え、謝罪し賠償せよ」と刺繍された掛け軸、雷桂英さんが南京高台坡から持参した過マンガン酸カリウム(避妊中絶目的で使用、効果はないとされている)や臨終の際の遺品、受難者らの手や足の形などである。この他にこの数十年研究者が調査で収蔵した日本軍慰安所旧跡内の遺品、研究者が関連文物として寄贈した日本軍使用のコンドームや性病防止軟膏、及び各地受難者らの公証書、証言、写真、調査映像、各国研究者の文献と成果などである。
同日举办的“战争记忆与人类和平”国际学术研讨会上,日军性奴隶制度受害幸存者李容洙(韩国,88岁)和陈连村(中国海南黎族,90岁)老人讲述了战争受害经历。1944年,16岁的李容洙被强制带到台湾新竹的慰安所,直到战争结束才回到家乡。虽然有过痛苦往事,但这位88岁的老人并没有屈服,而是成了一个演说家,尽自己努力控诉日本的罪行。来自海南的黎族老人陈连村13岁和16岁两次遭遇日本军人的暴行,她甚至不会说普通话,如今和大儿子一起生活,老人几次因为哽咽无法继续讲话,但仍重复表示唯一期待的就是让日本人道歉,给她们一个满意的回复。
同日に挙行された「戦争の記憶と人類の平和国際シンポジウムでは、日本軍性奴隷の受難幸存者である李容洙さん(韓国88歳)と陈连村さん(中国海南黎族90歳)が戦争受難体験を報告した。1944年16歳であった李容洙さんは、強制的に台湾新竹の慰安所に連行され、終戦になって故郷に帰ることができた。痛ましい過去を過ごしたが、88歳になった彼女は決して屈することなく、演出家となり、日本の犯罪を訴追することに自らを捧げた。南海からきた黎族の陈连村さんは、13歳と16歳の二度、日本軍の暴行を受け、彼女はしかも普通語で話すことができず、現在長男と生活している。彼女は何度も嗚咽し、話を続けることができなかったが、しかし繰り返して訴えたことは、日本人が謝罪し、彼女らが満足できる状態に回復させてほしいということであった。
如今中国在世的能确定身份的慰安妇幸存者只有19人,老人们的年龄普遍在90岁左右,生活状况也不尽如人意。在这样的状况之下,慰安妇历史资料的保存工作迫在眉睫。会后,在上海师范大学的草坪上,一座由中韩艺术家无偿捐献的“慰安妇”和平少女像落成。李容洙、陈连村与中韩雕塑师一起,为雕像揭幕。
現在、中国で存命の慰安婦幸存者はたった19名であり、彼女達の年齢は皆90歳前後の高齢者であり、生活状態は思いのままの状態ではない。このような状況のもと、慰安婦の歴史的資料の保存活動は、焦眉の課題である。その後、上海師範大学構内の芝生に完成した中韓芸術家から寄贈された慰安婦平和少女像を李容洙、陈连村が中韓の彫像者とともに彫像を除幕した。
by inmylife-after60
| 2016-10-25 16:42
| 歴史認識・歴史学習
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