2017年 02月 11日
映画「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」をみた。 |
この映画は、アイヒマンやホロコースト(人種絶滅のための大虐殺)そのものではなく、第二次世界大戦下において、占領地全域からユダヤ人らをポーランドアウシュビッツ絶滅収容所などに輸送する執行責任者:アイヒマンの潜伏先を特捜し、ドイツの地でナチドイツのホロコーストの責任を裁くことに執念を燃やしたユダヤ人のヘッセン州検事長:フリッツ・バウアーを主人公とする映画である。
ナチによるホロコーストに関する裁判は大きく3つ存在する。時系列順にいえば、最初が戦後1945年11月連合国(英、米、仏、ソ)によって開かれた「ニュルンベルグ裁判」〜ニュルンベルグは1935年9月ナチスがユダヤ人絶滅を宣言したニュルンベルク法を制定するために党大会を開催し、ここに国会を召集し議決した場所である〜。二番目が今回の映画にも演じられたイスラエル諜報機関(モサド)が偽名で潜伏するアイヒマンを捕獲し、秘密裏にイスラエルに連れ出し、1961年4月エルサレムで裁かれた「アイヒマン裁判」である。そして、三番目がこの主人公フリッツ・バウアーによって1963年12月に実現された「アウシュビッツ裁判」である。
大筋の流れは、こうである。(この映画を見る予定の方は飛ばしてください)
ーーーーーーーーーーーーーーー
ドイツ検察庁により設置されたナチ犯罪追及センターに所属するヘッセン州検事長:バウアーは、西ドイツ連邦司法局に残るナチ残党の妨害をはねのけて、ホモ趣味はあるも正義感の強い若手検事カールと組んで、戦後戦犯収容所から脱走し消息不明のナチス親衛隊中佐アイヒマンの行方を追及する。
ある亡命ユダヤ人の手紙から彼の潜伏先がブエノスアイレスであることが判明する。ナチ残党の巣くう連邦司法局を信用できないバウワー検事長は、国家反逆罪に問われることも覚悟の上で、イスラエル(モサド)に情報を流す決意をし、潜伏先のアイヒマン捕獲に関する協力を求める。
バウアー検事長は、カール検事にモサドの協力を得るために不可欠な「第二の証拠」の入手の協力を依頼する。カール検事は、国家反逆罪にも触れる捜査にためらうが、バウアー検事長の熱意に動かされて協力する。カール検事は、フリージャーナリストを使って、彼のホロコーストを供述するテープを入手する。同時にバウアー検事長はメルセデスベンツ本社の人事部の元親衛隊からアイヒマンの偽名を「リカルド・クレメント」と特定する証拠を入手する。
ナチによるホロコーストに関する裁判は大きく3つ存在する。時系列順にいえば、最初が戦後1945年11月連合国(英、米、仏、ソ)によって開かれた「ニュルンベルグ裁判」〜ニュルンベルグは1935年9月ナチスがユダヤ人絶滅を宣言したニュルンベルク法を制定するために党大会を開催し、ここに国会を召集し議決した場所である〜。二番目が今回の映画にも演じられたイスラエル諜報機関(モサド)が偽名で潜伏するアイヒマンを捕獲し、秘密裏にイスラエルに連れ出し、1961年4月エルサレムで裁かれた「アイヒマン裁判」である。そして、三番目がこの主人公フリッツ・バウアーによって1963年12月に実現された「アウシュビッツ裁判」である。
大筋の流れは、こうである。(この映画を見る予定の方は飛ばしてください)
ーーーーーーーーーーーーーーー
ドイツ検察庁により設置されたナチ犯罪追及センターに所属するヘッセン州検事長:バウアーは、西ドイツ連邦司法局に残るナチ残党の妨害をはねのけて、ホモ趣味はあるも正義感の強い若手検事カールと組んで、戦後戦犯収容所から脱走し消息不明のナチス親衛隊中佐アイヒマンの行方を追及する。
ある亡命ユダヤ人の手紙から彼の潜伏先がブエノスアイレスであることが判明する。ナチ残党の巣くう連邦司法局を信用できないバウワー検事長は、国家反逆罪に問われることも覚悟の上で、イスラエル(モサド)に情報を流す決意をし、潜伏先のアイヒマン捕獲に関する協力を求める。
バウアー検事長は、カール検事にモサドの協力を得るために不可欠な「第二の証拠」の入手の協力を依頼する。カール検事は、国家反逆罪にも触れる捜査にためらうが、バウアー検事長の熱意に動かされて協力する。カール検事は、フリージャーナリストを使って、彼のホロコーストを供述するテープを入手する。同時にバウアー検事長はメルセデスベンツ本社の人事部の元親衛隊からアイヒマンの偽名を「リカルド・クレメント」と特定する証拠を入手する。
バウアー検察長は直ちにアイヒマンをドイツで裁くためにドイツによる訴追を約束したはずのヘッセン州首相に申請する。しかし連邦政府はこれを認めることがなかった。そこでバウアー検事長は、このアイヒマン潜伏情報をイスラエル諜報機関モサドに渡し、アイヒマン捕獲が成功する。
バウアー検事長ら周辺が捕獲成功に歓喜していたその頃、カール検事は、別件ホモ裁判で5マルクしか求刑しなかった被告の友人であるホモ歌手との性行為の写真を突き付けられ、家族にばらすとの連邦司法局筋からの脅しを受ける。
連邦司法局らは、アイヒマン捕獲に関わったカール検察官のスキャンダルを利用して、ナチ犯罪の徹底的な告発に執念を燃やすバウアー検事長の失脚を狙ったのである。猶予は1週間と告げられる。
バウアー検事長ら周辺が捕獲成功に歓喜していたその頃、カール検事は、別件ホモ裁判で5マルクしか求刑しなかった被告の友人であるホモ歌手との性行為の写真を突き付けられ、家族にばらすとの連邦司法局筋からの脅しを受ける。
連邦司法局らは、アイヒマン捕獲に関わったカール検察官のスキャンダルを利用して、ナチ犯罪の徹底的な告発に執念を燃やすバウアー検事長の失脚を狙ったのである。猶予は1週間と告げられる。
ラストシーンである。連邦司法局筋の脅しに屈せず、自首することを決意したカール検事は、公用車のなかで、バウアー検事長に絶対に検事長を辞めないでくれと訴えて、その写真の入った封筒を残したまま、公用車から歩き去って行く。カール検事の行く先が警察署であることに気づいたバウアー検事長は、彼の残した封筒を開封し、封入されていた写真をまのあたりにした。
バウアー検事長は、カール検事の姿が消えた警察署に駆け寄ったが、すでに連れ戻せないことに茫然自失する。そこにカール検察官の笑みをこぼして振り向く姿が映し出される。
ーーーーーーーーーーーーーー
ドイツにおけるナチ犯罪への厳しい監視と追及の現状に比して、今日における日本の戦争責任と戦争加害に関する歴史改竄と戦争美化への傾斜は過去の史的真実に対する退行であり、隣国との親善と交流を阻害する要因の一つに他ならない。
バウアー検察長の台詞「ユダヤ人としての復讐のためにではなく、正義と尊厳のために戦う」は、ユダヤ人600万人という犠牲者を思えば、過去の歴史に向き合い、未来に決して再現させないとする私達一人一人にその意思を問う言葉であると思う。
この映画は「歴史的真実」とは何かの視点を提供してくれる映画だと思う。
つまり「歴史的事実」とは、それ自身が客観的にあるのではなく、現実に関わった当事者によって初めて紡ぎ出されるものであること、存命された当事者(幸存者)は、歴史の被害者としではなく、「歴史的真実」の生成者として記憶されるべきこと、そして「歴史的真実」は、常にそれが不都合な存在であれば、時の権力者によってに抹殺され、改竄される存在であるが故につねにこれと闘う常在的活動が不可欠であることを教えている。
同時に過去における「歴史的真実」の体験を持たない世代にとって、「歴史的真実」を伝承と継承する人びとの歴史を語ることによって、「歴史的真実」に対する歴史的当事者になることができるのだと思う。ということはつまり、現代を生きる世代は、何をもって「歴史的真実」を生成する当事者になりうるのかが問われるのだと思う。
ーーーーーーーーーーーーーー
主人公のバウアー検事長は、1903年ドイツユダヤ人夫婦の間に生まれ、ナチス政権下でデンマーク、スウェーデンへと亡命、1949年にクルト・シューマッハーSPD(ドイツ社会民主党)党首の呼びかけに応えて西ドイツへ戻り、1956年からヘッセン州検事長となった。
バウアー検事長は映画のなかでも告げていたが、1933年に反政府活動を準備した疑いでナチの強制収容所に拘束されたが、その時政治的な転向書にサインし、ナチに従うと約束して、8ヶ月の拘束を逃れて、デンマークに亡命した経験をもつ。
バウアー検事長は、この後、ドイツ人自らの手に自らの犯罪とその責任を明らかにするために、「アウシュビッツ裁判」を開廷し指揮する。
ニュルンベルグ裁判当時は、ユダヤ人の大量ガス殺戮の現場証拠として法廷に提出されたのは、アウシュビッツ収容所ではなく、ダッハウ収容所のシャワールームだけであったという。
バウアー検事長は、この後、ドイツ人自らの手に自らの犯罪とその責任を明らかにするために、「アウシュビッツ裁判」を開廷し指揮する。
ニュルンベルグ裁判当時は、ユダヤ人の大量ガス殺戮の現場証拠として法廷に提出されたのは、アウシュビッツ収容所ではなく、ダッハウ収容所のシャワールームだけであったという。
アイヒマンのイスラエルによる捕縛と連行及びイスラエルによるアイヒマン裁判に関する様々な評価があるが、これによって、ナチによるユダヤ人の絶滅とアウシュビッツ収容所に関する実態が初めて広く世界に知らしめたことの意義は計り知れない。
それは、いまでは当たり前に語る「アウシュビッツ」は戦後の16年後にバウアー検事長が関わったアイヒマンの捕縛とイスラエルによるアイヒマン裁判によって初めて、世界にナチのホロコーストとして周知されたこととともに、戦後の西ドイツの司法省をはじめ公職に残されていた旧ナチ犯罪加担者への責任追及が始まったこと、そしてこれまでの戦勝国でもユダヤ人でもない、加害者であるドイツ人によるアウシュビッツ裁判の開廷による責任追及の場を実現できたという点である。
それは、いまでは当たり前に語る「アウシュビッツ」は戦後の16年後にバウアー検事長が関わったアイヒマンの捕縛とイスラエルによるアイヒマン裁判によって初めて、世界にナチのホロコーストとして周知されたこととともに、戦後の西ドイツの司法省をはじめ公職に残されていた旧ナチ犯罪加担者への責任追及が始まったこと、そしてこれまでの戦勝国でもユダヤ人でもない、加害者であるドイツ人によるアウシュビッツ裁判の開廷による責任追及の場を実現できたという点である。
残念ながら日本にそのような歴史認識の共有プロセスをもつことがなかった故にその歴史認識の深さが欠落することになったことを受け止めなければならない。
野村二郎『ナチス裁判』によれば、国連総会にて1968年「戦争犯罪および人道に対する犯罪の時効不適用に関する条約」が成立し、東ドイツでは戦後ナチス犯罪の時効はなしとされ、西ドイツでも1979年にナチス犯罪のうち、「謀殺罪(計画的な殺人に対する罪)」には時効を適用しない法律が可決したという。
その後1994年からドイツでは「ホロコースト否定」は刑法で禁じられており、違反者は民衆扇動罪で処罰されると言う。
ドイツにおけるナチ犯罪への厳しい監視と追及の現状に比して、今日における日本の戦争責任と戦争加害に関する歴史改竄と戦争美化への傾斜は過去の史的真実に対する退行であり、隣国との親善と交流を阻害する要因の一つに他ならない。
バウアー検察長の台詞「ユダヤ人としての復讐のためにではなく、正義と尊厳のために戦う」は、ユダヤ人600万人という犠牲者を思えば、過去の歴史に向き合い、未来に決して再現させないとする私達一人一人にその意思を問う言葉であると思う。
この映画は「歴史的真実」とは何かの視点を提供してくれる映画だと思う。
つまり「歴史的事実」とは、それ自身が客観的にあるのではなく、現実に関わった当事者によって初めて紡ぎ出されるものであること、存命された当事者(幸存者)は、歴史の被害者としではなく、「歴史的真実」の生成者として記憶されるべきこと、そして「歴史的真実」は、常にそれが不都合な存在であれば、時の権力者によってに抹殺され、改竄される存在であるが故につねにこれと闘う常在的活動が不可欠であることを教えている。
同時に過去における「歴史的真実」の体験を持たない世代にとって、「歴史的真実」を伝承と継承する人びとの歴史を語ることによって、「歴史的真実」に対する歴史的当事者になることができるのだと思う。ということはつまり、現代を生きる世代は、何をもって「歴史的真実」を生成する当事者になりうるのかが問われるのだと思う。
注:男性同性愛は、ドイツでは1871年に刑法175条として制定され、ナチ党政権では、これを根拠法にして強制収容所に拘束したが、1994年に廃止された。
by inmylife-after60
| 2017-02-11 22:53
| 歴史認識・歴史学習
|
Trackback
|
Comments(0)