2017年 09月 30日
通州事件は何故発生したか? |
通州事件は何故発生したか?
東京新聞9月10日付け「こちら特捜部」に中国人保安隊による日本人及び朝鮮人虐殺事件である通州事件で、中国人看護婦が日本人幼児を「自らの子」として決死に守り、中国人保安隊による惨殺を免れたという逸話と事件の概要を知らせる記事が掲載された。
この通州事件は、南京大虐殺を否定する右翼団体が持ち出す事件であり、同時に昨年6月「新しい歴史教科書をつくる会」が中国政府による世界記憶遺産として登録した南京事件への対抗措置としてユネスコに登録申請した事件でもある。
ここでは、通州事件の発生の経緯を紹介したい。
事件は、北京から20キロ東の通州で1937年7月29日未明に起きた。7月7日蘆構橋事件が勃発し、日本軍が中国軍29軍に総攻撃を開始した7月28日の翌日である。通州は「満州国」の防衛と第二の「満州国」を狙う華北分離工作のために土肥原(A級戦犯死刑)奉天特務機関が設置した傀儡政権:「冀東(きとう:冀は河北省のこと)防共自治政府」の所在地である。
通州事件とは、日本軍が28日未明の中国軍29軍との交戦のさなか、中国軍29軍兵営の爆撃を意図した日本軍機による冀東防共自治政府麾下の保安隊部隊への誤爆事件を契機に発生した。この事件に激怒した、日本軍の数々の謀略を知る保安隊3000人が引き起こした冀東防共自治政府に対する反乱事件である。中国人保安部隊は、自治政府主席を捕縛し、日本軍特務機関と守備隊を襲撃し、更に日本人経営の料亭と屋敷などに乱入し、日本人114人、朝鮮人111人合計225人が殺害された事件である。朝鮮人の多くは慰安婦だったと言う。
日本軍は、30日に反乱を鎮圧し、政府主席を救出した。当初日本軍は、事件を隠蔽しようとしたが、一転して新聞報道を通じて、暴支膺懲(ぼうしようちょう)のキャンペーンに利用した。それはシベリア出兵における「尼港事件」と同様に、もともとの責任が日本軍にあることを隠蔽し、憎悪心と敵愾心を煽動する事件として、利用したのである。
東京新聞記事によれば、この時通州で開業医を営み被害を受けた鈴木家は、ご夫妻と末の娘が拉致され、コーリャン畑で惨殺されたと言う。しかし当時三歳十ヶ月の鈴木家の二女だった節子さんは、病院に住み込んでいた当時21歳だった中国人看護婦さんによって不意に抱かれて「私の子供です」と庇われて、難を逃れたという。
節子さんの姉である久子さんは、当時小学校に通うために帰国して難を逃れたが、生き残った二人は取材に対して、「憎むべきは戦争」という思いで一致すると言う。節子さんは「中国人に対して憎しみはない」、久子さんは「保安隊に狂気をもたらしたものは何か、その歴史をひもとくことが必要」、「憎しみを煽り立てる愚かなことを二度としてはならない。そういう行いが、戦争の一部だからである」と語った。
全く同感である。憎しみは憎しみを生む。北朝鮮への対処をめぐり、軍事的な圧力を解決の道とする言説も愚かであることを学ぶべきである。
by inmylife-after60
| 2017-09-30 19:21
| 歴史認識・歴史学習
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