2017年 11月 04日
ベトナム(ホーチミン、ブンタウ、フーコック)訪問記 |
昨日、久しぶりにベトナム旅行を楽しむ先輩と会食して、2015年3月に訪問したベトナムのことについて話す機会があり、当時忙しく時間がなく整理できなかった2年半前のベトナム個人旅行に関する記録をアップすることにした。
随分前の旅行なので、記事と写真が対応していない箇所もあるかもしれないが、ざっとこんな感じだったという思いで、アップしてみました。
ベトナムは、機会があれば、再び訪問したい国の一つである。
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2015/3/27
訪問期間:2015年3月16日(月)〜3月24日(火)9日間
訪問都市:ホーチミン、ブンタウ、フーコック
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訪問行程:
3/16:出発(6:00)→成田(7:30)→VN便(9:30)タンソンニヤット国際空港(14:20)→市バス: ベンタインバスターミナル (15:40)→ホテル/ハイバチューン通り(16:20)→ホテル(Kim phoung Hotel)Ngoc寿司屋/グエンタイホック通り(18:30)
3/17:ホテル(8:00)→サイゴン大教会(8:15)→中央郵便局(8:20)→統一会堂(旧大統領官邸) (9:00)→争証跡博物館(10:30)→喫茶と昼食(12:00〜14:00)→家電店(携帯電話購入) →CIM店(登録・プリベイド)→旅行会社(16:00)→Ngoc寿司屋(17:30)→ホテル(BizuHotel/デタム通り)(19:00)
3/18:ホテル(8:15)→旅行会社→クチ半日観光ツアー9:00→クチ10:30(ゲリラ戦トンネル) →ベンタイン市場(15:15)→チョロン市場(15:45バス)→ホテル(18:00)→ベトナム料理(19:00)→ホテル(21:00)
3/19:ホテル(6:30)→サイゴンフェリーターミナル(ブンタウ行)(8:00)→ブンタウフェリーターミナル(9:30)→朝食(Ganhhao2)→釈迦仏台(11:00)→ホテル:ブンタウバックビーチ側(Lan Run Hotel)
3/20:ホテル(10:00)→キリスト像(10:15)→タンタム廟(11:15)→ホワイトパレス(11:30)→ブンタウケーブルカー&グランドレイクエコツーリズムパーク(12:00)→ブンタウフェリーターミナル(13:00)昼食(Ganhhao2)→ブンタウフェリーターミナル(14:00)→サイゴンフェリーターミナル(15:30)→ホテル/デタム通りまで徒歩(16:30)→Ngoc寿司屋(18:00)
3/21:ホテル(8:15)→ベンタインバスターミナル(9:15)→タンソンニヤット空港国内線(10:45)→JETSTER(11:20)→フーコック国際空港(12:20)→ホテル(バックビーチ側:KINH BAC HOTEL:13:00)→ホテルランチ(14:30)→サオビーチ、ケムビーチ、アントールタウンバイク見学(17:00)→ホテル→ホテルで夕食
3/22:ホテル(10:10)→アントール港(10:30)→シュノーケリング&フィッシングボートク ルーズ(15:15)→サオビーチ(15:25)→ホテル(16:45)→ロングビーチ(17:30)→ホテルで夕食。
3/23:ホテル(9:00)→仏教寺院→ユーンドン港→岩山殿→展望ラウンジ→仏教寺院(11:05)→ビーチ(11:15)→フーコック空港(11:30)→LCC(12:55)→タンソンニヤット空港(14:00)→ベンタインバスターミナル(15:15)→ホテル(Bizu Hotel/デタム通り)→デタム散策→ドンコイ通りイタリアレストラン(The Long)→ホテル(Bizu Hotel/デタム通り
3/24:ホテル(4:00)→タンソンニヤット空港(4:20)→VN便(6:35)→成田(14:10)→帰宅(16:00)
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1)覇者に対する抵抗と自立
ハイバチューン通り。ベトナム最初の宿泊先の前を走る通りの名である。「ハイバチューン」とは「二人のチューン姉妹」を意味する。紀元1世紀前半の3年間、中国の支配から脱して独立王国をつくった画期的反乱を指導した女傑姉妹は、現在でもベトナム人の精神的支柱とも言われる。ハイバチューン通りを南下したサイゴン川を望む緑地帯中央には大きな鋭角的三角形の台座に勇敢な武将の彫像が聳え立つ。その名を「チャンフンダオ(陳興道)」という。元フビライの派遣する中国軍を二度にわたり撃退し、1288年(弘安10年)元軍を全滅させたという。チャンフンダオ通りは、ホーチミンでもブンタウでもフーコックでも街のメインストリートの名として命名されていた。ホーチミン市の大半の通りは、ベトナム史に登場する英雄と偉人の名前が少なからず名づけられていると思われる。
私の二日目以降のホテルの前を走るデタム通りも北部デルタでもっとも長期にわたり反仏ゲリラ闘争を続けた「デ・タム(提探)」という英雄である。またデタム通りの北にある「9月23日公園」は、1945年日本の無条件降伏以降、旧宗主国フランスがインドシナの再統治のためにサイゴンとプノンペンを占拠した日を記念して名付けられたと言う。
またかつてサイゴンと呼ばれたこの市はホーチミン市と命名された。ホーチミンは言うまでもなく、フランス植民地のくびきを断ち、アメリカによる南ベトナム政権への軍事介入、北爆を排してサイゴンを解放し、ベトナムの南北統一を実現したベトナム共産党最高指導者である。
ベトナム訪問は、やはりこのいずれの世界覇者に敢然と立ち向かい、独立と自由、そして統一を成し遂げた国としての姿をみたいという思いだった。
2)カオスの横断歩道
ベトナムの交通システムは基本的に中国と同じ右側通行であり、大きな通りは、車道、自転車道、歩道の三相構造で、右折自由ということも変わりはない。しかし大きな違いは、ロータリー式交差点以外のメインストリート交差点の信号はしっかりと整備されておらず、また赤信号は点灯しても青信号が点灯しないか、青信号がない交差点が多いことである。
そのため、歩行者は、横断歩道の対面の信号がない場合は、左側からの車線信号が赤であることを確認し渡ることが強いられる。また左側から右折車が進入するために、それを避けながら横断しなければならない。
また信号のない交差点では、横断歩行者は常に進入するバイクと車を中央線まで右側車線からの進入に注意を払い、中央線を過ぎたら、左側車線からの進入に注意を切り替えて、やり過ごしながら渡る以外にない。
この状態をみて、正直どのように渡ればよいのか見当が付かなかった。これはとんでもない街にきてしまったという後悔を禁じ得なかった。
しかしこの交通システムは、習うより慣れろで、二日目からは、横断の意志をもつ者には車とバイクと歩行者が絶妙の「間合い」を保ち、お互いに蛇行しながら、横断することに習熟する。これを名付けて「カオスの横断歩道」とした。信号ですべてを規制するより、お互いの間合いで身を守る術をもつことを一概に否定はできないと思った。
3)タクシードライバーとの闘い
市内の移動手段は、バスとタクシー以外に選択の余地はない。レンタル自転車やバイクもあるが、上記の交通システムではやめた方が正解である。格安の市バスは行き先が明確で、時間の制約がなければ、使える手段である。しかし時刻表はない。何時来るかは不定である。
問題はタクシーである。旅行ガイドブックでトラブルのないと推奨されているタクシーも決して安心してはいけない。ベトナムにおける移動はいわば、ドライバーとの闘いであった。
まず、ドライバーは以下のような存在であることを前提に対処しなければならない。
a)英語は通じない。或いは自分の都合の悪い時は知らないことにする。
→カタカナ名の地名と地図を理解しない。(例えばターミナル、フェリー)
b)なるべく距離を稼げるルートを選択する。或いは遠回りする。
→場所を通り過ぎても何も言わないと走り続ける。そしてメータ金額を請求する。
c)お釣りをごまかすか、少なく渡す。
→100.oooドン単位で少なく渡す場合がある。
従ってタクシーに乗るときは、以下のことを準備して乗車することが不可欠である。
a)地図に頼らず、行きたい場所の住所番地をメモし、ドライバーに見せる。
b)GPSで最短ルートをイメージし、外れた場合は止めて再度住所を見せて修正させる。
c)住所番地は不明の時は、その場所の傍にある有名なホテルなどをメモにして渡す。
4)ベトナムビジネスの現実
ベトナムは、中国と同様に共産党の一党独裁下にあり、普通選挙による統治形態をとっていない。やはり贈収賄が前提であり、不当な徴税行為も跡を絶たないという。
現在、ベトナム人民委員会会堂からサイゴン川までのグエンフエ通りは、日本からの開発援助によるジョイントベンチャーが2020年完成を目指し地下鉄を建設中とのこと。約500億円規模の補助金のうち、実際に工事費用に廻る金額は半分位と言われている。
また交通違反罰金も、一定の税収を得るために、言いがかりをつけて、一番とりやすい若い女性から現金を巻き上げるやり方も横行しているとのこと。
また行政指導は中央からの指示で朝令暮改の状態で、地方行政も通達があっても運用のさじ加減を指示待ちしているのか、決裁されるまでに相当な期間待機させられることがしばしばあるとのことだった。
また製造業はこれからの段階であり、まだ国産自動車を製造できない状態を如何に脱することができるかが大きな鍵になると言われている。
5)ホーチミン、ブンタウ、フーコックについて
ホーチミンは何しろ「BikeとWifi」の街である。Bike:Carとの比率は10:1位の印象。Bikeは、通勤手段を兼ねる。ベトナムの会社勤務時間は大体7時半始業11時半迄、2時間の休憩時間のあと13時半から17時半までの8時間らしい。6時過ぎから7時過ぎ、17時過ぎから19時頃から通退勤のバイクだらけである。しかし渋滞が激しくなると歩道にも溢れる状態が続く。また小学校と中学校の前は、下校時の生徒の送り迎えのバイクで溢れる状況を何度も目撃することができた。女性は排気ガスと土埃対策からマスクを付けて運転する方が多い。
公共施設(レストラン、バー、飲食店、ホテル、空港)はWiFiアクセス可能である。スタッフにパスワードを聴けば、直ぐに教えてくれるか、端末にパスワードを打ってくれる。またWiFiOKとのステッカーを貼る観光バスも散見できた。私が行った場所でWiFiにアクセスできなかったのは、フーコック空港だけだった。
クチゲリラ戦トンネル見学ツアーには、お金が掛かっても日本語ガイドをつけた方がよい。博物館などの展示説明は一部を除いて英語表記である。
ベンタイン市場及び道路沿店舗のブランド品価格交渉は、半額の六掛け位の指値から始めた方がよい。その位の表示価格を設定している。勿論コピーである。
ブンタウはこの時期オフシーズンという感じで閑散としていた。ビーチ以外の観光地は数える程度。キリスト像は、肩のところまで階段で上れる。そこからのバックビーチ側の眺めは最高である。ビーチ以外の観光とすれば、日帰りで充分である。ビーチと海の透明度はあまり高いとは言えない。
フーコックは、開発途上の島という印象。ロングビーチは綺麗な砂浜と夕陽がとてもよい。透明度も高い。また島の南端のボートクルーズはお勧めである。海の透明度は相当高い。取り立てのウニがおいしい。
7)ベトナムの食事について
ベトナムの本格的な料理は、三日目に学生時代の友人に誘われて、ベトナムでボランティ活動をしている日本人とベトナム人と会食した以外には体験できなかった。とてもおいしかった。ベトナム料理は、様々な食材を様々な香辛料で味付けされており、とても複合的で上品な味わいだという印象をもった。野菜とフルーツがとても豊富である。米を使った麺もあっさりしており、具材を生かした味わいがあり、食べて飽きないと思った。ベトナム料理が女性にはとても人気が高いという秘訣であろう。
半分は日本食の寿司を食べていたので、あまりベトナム料理を言及できない。ブンタウとフーコックは、夕食は大体米麺か焼き飯を交互に食べる貧相な食事だった。ともから、食べることより、飲めればいいというスタイルなので、これも仕方がない。
8)ベトナムへの旅を終えて
初日のホーチミンを歩き始めた時のあの戸惑いとは打って変わって帰路はとても充実した海外旅行になったと実感できる自分になっていた。陸路と海路と空路を自分自身で移動できたことはとても貴重な体験となった。何ができて何ができないかを体験し、できなければ、どのような方法があるかを考え試行すれば、何とかなるものだというが実感である。
個人旅行の醍醐味は、やはり異邦の地での出会いである。空港と市内を往復する市バス152番線は、日本人同士の出会いの場となった。普段であれば決して言葉を交わすことのない者同士がこの場面ではなんのためらいもなく話す関係になってしまうのである。何が起こるかが未知の世界では、お互いにお互いを必要とする関係となり、極めて透明度の高いコミュニケーションが自然に成立するものなのだということを体験できた。
また日本人以外でも僅かだが、日本と日本人に関心と好意をもつベトナム人と会話を持てたことが嬉しかった。カメラを向けて断られたのは、ベンタインバスターミナル前の有料(2.oooドン)トイレのお婆さんだけだった。ベトナム人は気さくで明るく笑顔がとても素適である。日本人も見習いたいとおもった。
以下に記載した方々にお世話になった。とりわけNgoc寿司屋のHaさんには、色々な情報提供そして旅行手配をして頂き感謝仕切れない程世話になった。改めて記して感謝したい。
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【各種費用】
【為替】
・為替レート:1.oooドン=5円。1ドル=21.oooドン。
【交通】
・国際便キャリア(VN):ベトナムエアライン燃料と諸経費込:65000円
・国内便LCC(ホーチミン〜フーコック往復):15000円
・市バス料金(市内一律料金):5.oooドン(25円)
・タクシー:初乗り10.oooドン。市内から空港まで約8㎞:135.oooドン(675円)
【飲食】
・朝食:20.oooドン(100円)昼食:100.oooドン(500円)夕食200.ooo〜300.oooドン(1000円〜1500円)
・ホテル:シングルベッドタイプ2500円〜3000円。ブンタウのみ10000円
・ビール:333ビール(20.ooドン)Tigerビール(30.oooドン)Saigonビール(30.oooドン)(コンビニで買えば半分位)
【携帯電話】
・ノキア携帯電話:400.oooドン(2000円)
・SIM及び通話プリペイド250.oooドン(1000円)
【各種利用料金】
・クチトンネルツアー代金:140.oooドン(700円)
・統一会堂:10.oooドン(50円)
・戦争証拠博物館:10.oooドン(50円)
・ブンタウケーブルカー&グランドパーク:300.oooドン(1500円)
・ブンタウ往復フェリー代金:400.oooドン(2000円)
・シュノーケリング&フィッシングボートクルーズ(17$=1785円)
【人との出会い】
・3/16 空港から市内への152番線バスで:帰化した中国人:平和明川(英語と日本が判る)。日本に来て18年、奥さんは韓国人。33歳。17日市内観光と夕食を共にする。ホーチミン2泊後にハノイに向かうという。
・3/16 今回のベトナム行きで壽原(元日本生協連)さんから紹介されたha(ハー)さんが運営する寿司屋さんで働くスタッフたち。ここの寿司はリーズナブルでおいしい。
・3/18クチトンネルツアーを予約し、集合場所となった「ベトナム・オーストラリアトラベルで応対してくれた22歳ベトナム人。日本と日本食が好き。日本にいつか行きたい。Phoung(ホーン)さんと言う。可愛い顔立ちである。
・3/19 ブンタウフェリーターミナル内レストラン。10年位前に4年程日本にいた。わすれていた日本語を記憶に辿りながら話してくれた。35歳前後の働き者といった雰囲気の女性:連絡したいといのでメールアドレスを教えた。
・3/21 フーコックにいくため、ベンタインバスターミナルの空港行きバス停で、声を掛けてくれた27歳の会社員女性。日本語を勉強しているという穏やかな方だった。日本に行ってみたいと話していた。
・3/22 フーコックでバイクにてビーチを見学したが、途中でバイクがエンストを起こし、代車を手配する間、道路端にあった店で休憩したいときに出会ったベトナム人家族。親族経営のお店。ベトナム語と日本語の会話帳を見せると人が集まって、興味津々の面持ちで眺めていた。
・3/22 ボートクルーズツアーの配車バスをホテルで待っていたときにホテルマネージャーの親戚方もクルーズバスを待っていた。そのなかの一人HieuHuynk(ヒュウ・ホエン)は、叔父さんと5人の叔母さんとともにこのルクーズに参加した28歳のアメリカカリフォルニア大学リバーサイド校の薬学専攻の学生だった。薬剤師の資格をもつが、ベトナムでは就職ができずに、4月にまたカリフォルニアに帰るという。
・3/23 フーコックからの帰り市内に向かう市バスの乗車口で運転手と揉めている日本人がいた。料金のことらしい。彼が大きなスーツケースをもっていたため、運転手は、通常料金(5.oooドン)以外に手荷物運賃(5.oooドン)と併せて10.oooドンを払えといったのだと想像した。かれに10.oooドンを払うように諭して、市内まで同席した。終点のベンタインタームナルに着き、ユースホステル(四人部屋一泊790円)の住所を聞くと、私のホテルに近い感じだったので、一緒にいくことにした。9月23日公園を西に向かい、デタム通りにある「旅ぷら」という日本人向け旅行センターと両替所を教えておいた。宿は私のホテルから歩いて1分位のところにあった。彼は24歳、九工大から北九州大に再入学した学生で、北京、天津、青島を経由して、ホーチミンにきたとのこと。私は明日帰るが、最後にお世話になった人と呑みにいくが、来るかと言ったら、喜んで付き合ってきれた。
・3/23 今回おせわになったhaさんが連れてきた友人とは、市内で居酒屋を経営する財務担当の方であった。同志社を卒業後、大手銀行に就職したが、飽きたらず、世界一周旅行をへて、ベトナムで友人と二年前に居酒屋をたちあげたという28歳の青年である。経済、政府行政、規制、賄賂などベトナムの現状について話してくれた。とても有意義な話しを聴かせて頂いた。
by inmylife-after60
| 2017-11-04 00:36
| 私事・その他
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