2017年 12月 15日
重慶大爆撃の裁判報告と被害者証言を聞く集い |
17.12.14「重慶大爆撃の裁判報告と被害者証言を聞く集い」に参加した。
12月13日南京大虐殺80周年追悼集会で知った「重慶大爆撃受害者民間対日捜賠原告団」粟遠奎団長から14日10時から重慶大爆撃訴訟控訴審判決(東京高裁101号法廷)が言い渡されると聞き、14日午後2時から開催される「判決報告と被害者報告を聞く集い」(衆議院第2議員会館第一会議室)に参加した。
【重慶大爆撃とは】
1937年11月上海戦に敗れた中華民国政府は、20日首都南京から重慶を陪都し、政府機関を重慶に遷都し、四川盆地から抗日戦線に臨む持久戦方針に転換した。「重慶大爆撃」とは、日本軍が宜昌(ぎしょう)以西の天蓋に囲まれた重慶政府を降伏投降させるため、陸路進攻ができないために、空爆による殲滅作戦として開始された無差別爆撃作戦を指す。
1938年12月26日より開始された重慶大爆撃は、当初陸軍航空兵団(武漢市漢口)によるものであるが、39年以降海軍航空隊が加わり、現在の直轄市重慶市と四川省各地(成都、楽山市など)に1944年までの5年半に亘る200回以上の絨毯無差別爆撃作戦として実行された。
【重慶爆撃の被害状況】
1939年5月3日と5月4日両日に行われた空爆は、重慶では「五三・五四大空襲」と呼ばれ、5月4日午後、海軍航空隊爆撃機27機による一時間余にわたる爆撃は、重慶旧市街地の北半分を狙い、爆弾投下後に後続部隊が焼夷弾を投下し、大火災による延焼を図る作戦として実行され、この日一日で3318名が死亡、1973人が負傷する一日では最大の被害者数となった。
海軍の連合空襲部隊と陸軍重爆隊の協同作戦として実行された「百1号作戦」は、1940年5月17日から9月5日まで三ヶ月にわたる作戦で、250キロ爆弾で5000弾以上、800キロ爆弾369弾が投下されたという。また「重慶大爆撃1938-1943」(湖北人民出版社)によれば、1938年2月18日から1943年8月23日までの重慶大爆撃による被害は死者1万1889人、負傷者1万4100名、焼失・破壊家屋2万余に上ると言う。
【重慶爆撃裁判と一審判決】
この訴訟の契機は、1992年に遡る。四川省第二党学校(共産党党員養成学校)の教官ら32名が2月24日開催された重慶人民大会において、賠償要求を議案として提出したことに由来する。この提起をうけて、2006年3月第一次提訴以降第4次訴訟まで188人が損害賠償請求裁判を東京地裁に請求したことから始まる。
2015年2月第一審判決は、個人賠償請求に対しては「国家無答責」法理(1947年国家賠償責任法以前の賠償請求に日本は責任を負わない)、並びに国家賠償に対しては1972年の日中国交回復に伴う中国による賠償請求権放棄により、喪失したとする判断により、請求は却下されたものの、重慶爆撃は「無差別爆撃」であるとともに当時の国際法規「空戦法規案」違反であることを認定した。
【今回の控訴審判決】
今回の控訴審判決は、2016年1月原告団による東京高裁控訴審を経た判決であり、東京高裁第五民事部は一審判決を支持し、原告控訴を棄却した。
今回の集いで明らかにされた控訴審判決の最大の問題は、「国際法規:「空戦法規案」違反」とする一審判決の94頁の7行から13行を削除し、「国際法規:「空戦法規案」違反」に関する判断を否認したことである。
これは一審判決に対する重大な挑戦であり、個人賠償責任の根拠となり得る「国際法の習慣法化」認定を回避しようとする訴訟指揮として許されない判決である。
集会終了間際に訴訟団団長である田代博之弁護人に確認したところ、まだ高裁判決の詳細書類を受けとっていないので、判決理由に関する詳細はまだわからないという。判決理由書類の送達を受けてから、皆さんに明らかにしたいとのことであった。
【無差別爆撃謝罪は不可決】
無差別爆撃の初出は、日本海軍による南京爆撃であり、これは、宣戦布告無き都市爆撃であり、二重の国際法違反である。日本軍は、作戦行動上の戦地における軍事施設への攻撃であるとして、無差別性の認定を拒否しているが、日本軍の作戦資料によれば、それは無差別絨毯爆撃であり、その後の日本65都市への焼夷弾爆撃であり、広島、長崎への原爆投下に繋がる無差別爆撃の先駆となるものであった。
無差別爆撃は、スペイン内戦におけるドイツによるゲルニカ空爆(1937年4月26日)とロンドン空爆(1940年9月)及び連合国によるデレスデン空爆(45年2月13日)などが代表例とされるが、日本軍の行った「南京爆撃」と「重慶爆撃」は、第二次大戦における日本軍の無差別爆撃として決して忘れてはならない戦争犯罪の一つである。
控訴審判決に一縷の望みを託して日本を訪れた30名を超える重慶、成都、楽山の原告団の言い尽くしがたい痛みをともにして、このような惨劇を再び繰り返してはならないとの思いを強くした集いとなった。
追記1:日本テレビの映像について
重慶爆撃は、2017年5月に放送されたNNN(日本テレビ)「ドキュメント戦争のはじまり 重慶爆撃は何を招いたか」で知ることができる。
URL:https://www.youtube.com/watch?v=8N3GyGdrkRA
Youtube画像は4分割されているが、全編視聴可能である。
このドキュメントは、重慶市の公文書館に保管されている重慶大空襲に関わる史料がはじめて公開されて、アメリカ「Life」に掲載された重慶防空壕における3000人余に上る圧死及び窒息死に関する検証、またアメリカ公文書館所蔵の記録フイルムなども紹介されている。
追記2:空戦法規案
空中戦闘や空爆についての国際法規はまだ確立していないが、一九二三年日英米仏伊オランダの六国によりハーグで空戦に関する規則が署名された。まだ未発効のため規則案と呼ばれる。
軍事目標の爆撃のみを適法とし、無差別爆撃を禁じている。なお、戦時文民保護条約(一九四九年)や、武力紛争の際の文化財保護条約(一九五四年)はそれを補うものである。
追記3:東京戦犯裁判との関係
重慶大空襲について、戦犯法廷に提訴されることがなかったため、中国でもあまり知られていないと言う。
連合国側とりわけアメリカは、重慶無差別爆撃を提訴すれば、その後の日本本土爆撃さらには広島・長崎への原爆投下の違法性を問われることを恐れて、提訴を拒んだと思われる。
それは、731部隊による人体実験データの提供を引き替えに、石井四郎を筆頭とする細菌部隊関係者の訴追を免罪した経緯に通底する。
東京裁判の戦争責任訴追裁判の裏面を念頭におかなければならない。
by inmylife-after60
| 2017-12-15 22:33
| 歴史認識・歴史学習
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