2018年 01月 24日
トークイベント:『ナチスの「手口」と緊急事態条項』を巡って |
1月16日6時30分より早稲田生協主催で開かれたトークイベント「緊急事態条項の先はどこに向かうか?」と題した講演会に参加した。このイベントは集英社新書『ナチスの「手口」と緊急事態条項』 の著者早稲田大学長谷部恭男教授と東京大学教授石田勇治教授が登壇し、緊急事態条項とはなにか、どう理解すべきかを語る講演会であった。会場の法学部棟8号館3階318教室に80名ほどの学生と社会人が参加した。
2012年自民党の改憲草案は、交戦権及び戦力不保持条項を外し、自衛権と国防軍の創出を明記した9条改憲とともに緊急事態条項が注目されている。これは麻生副総理が2013年7月に述べた「あの手口、学んだらどうかね」と語ったことからも一躍注目されることとなった。同時に多くの非難を受けた「民主主義によってきちんとした議会で多数を握って、ヒトラーは選出された」とのフェイク言説も記憶に新しい。
この本は、タイトルが示すようにこのような言説の根拠となったヒトラー政権誕生までの経緯と全権委任法による独裁政権を樹立するプロセスを明らかにするとともに、ワイマール憲法下において「緊急事態条項」がどのような役割を果たしたのかを解明することである。
また同時に、何故ドイツがナチスに惹き付けられたのか、戦後ドイツが何故緊急事態条項を制定したのか、欧米の類似条項との比較を通じたドイツの緊急事態条項の性格を論じたものである。憲法学者とドイツ近現代史研究者との対談形式による論説は極めて平易に記されており、とても分かり易い。
注目すべきことは、このテーマ(緊急事態条項)が国家の「安全保障」という基本的原理をどのように選択するのかということを考えることであるを明確に示した点である。
それは「次の世代に謝罪を続けさせる宿命を負わせてならない」との安倍首相70年談話の対極にある1970年西ドイツ首相ブラントの演説:「引き継いだ歴史から我々は誰一人として自由ではない」を引用して、安倍談話の非を明らかにしようとするものであり、1985年の有名なワインゼッカー演説は西ドイツ首相ブラントの思想を受け継ぐものだったことを理解することができた。
トークイベントはまず石田教授からナチスの手口=ワイマール憲法48条(緊急事態条項)を利用した国会機能の剥奪を、ナチス独裁政権の手口として指摘され、3つの作用を果たしたという。
第一の作用として、48条を使って国会議事堂を棺に収める風刺画で説明し、国会の無機能状態を示し、第二の作用として1933年ヒンデンブルグ大統領によるヒトラー首班指名は少数派政党政権を支えるためのものであり、議会の過半数を制し首班指名されていないにも関わらず、法的強制力をもちえたのは、緊急事態法を巧妙に使ったことを説明した。第三の作用を、独裁政権への総仕上げとして33年2月28日に国会議事堂の炎上事件をデッチあげ、首班指名から1年半という短期間で民主的なプロセスを無視破壊し、「補助警察」による暴力的制圧による支配を通じて、授権法(民族及び国家の危難を除去するための法律):「全権委任法」で憲法の改定を含む立法権を政府に委任する法案を採決したと説明した。
(上図の国会議事堂炎上事件は1928年とあるが、33年です)
当日のトークにはなかったが、『ナチスの「手口」と緊急事態条項』には、授権法の成立は、その成立与件が3分の2の出席と3分の2の賛成であったため、ナチは賛成条件をクリアするために「炎上令」で共産党議員を捕縛し、出席条件をクリアするために議長の認めない理由の議員は欠席を認めず、「出席」と見なす手段を執って採決したとある。
長谷部教授からは、自民党改憲案は、発動の要件が曖昧で、歯止めがなく、発動の効果(内閣だけで法律を制定、改変できる)が強大過ぎる。これは国家総総員法に近いとばっさり断じて、いまはこの条項を言う者はいない状況になった。いまの検討状況は、「憲法54条(解散後、及び総選挙後30日で特別国会)は厳格過ぎる」というものである。政府側研究会では、正当な理由があれば、日数に拘ることとはない、趣旨は、解散権と招集権の濫用を抑止することにあるし、改憲する必要性はない。最高裁も選挙を無効とするはずはないという。
もう一つは、衆議院の任期満了後の緊急立法の必要性が言われているが、「参院の緊急集会」を求めればよいことであると説明された。
それでも緊急事態法は必要かという論議があるとすれば、どのように考えるかの論理を展開された。つまり「何が起こるかは事前の完全な予測は不可能である」→「従って何が起こっても対処できるよう予め備えるべきだ」→「とてつもなく広汎な権限を政府に与える危険極まりない緊急事態条項」という結論になってします。
このような発想を回避すべきであると言われた。
それをイギリスのA・V・ダイシーが『イギリス憲法研究序説』(1885)で法の支配を理論化した三つの原則を示して説明された。3つの原則とは、「(1)専断的権力の支配を排した、慣習法(コモン・ロー)の支配。(人の支配の否定)、(2)制定された法律は国民にも政府にも平等に適用される。(特別裁判所の禁止)(3)裁判所による判例の集積が正しい法となる。」の3つである。
このトークイベントで語られた範囲は、集英社新書『ナチスの「手口」と緊急事態条項』の前半部分である。後半部分には、以下の論点を解説している。ご一読をすすめる。
ーーーーーー
1) 何故ドイツ人はナチに惹き付けられたのか?
憲法崩壊プロセスにも関わらず、ベルサイユ条約下で何故ヒトラーが支持されたのかを明らかにする。ドイツ人のおかれた環境とともに、その意識構造の形成過程〜ユダヤ人を宗教的定義から人種的定義に置き換えてドイツ人のアーリア人種との敵対性からドイツ国民からユダヤ人を排除する「民族共同体」によるナショナリズムを煽ったことなどの要因を分析する。
2) ドイツ憲法(ボン基本法)はなぜ「緊急事態条項」を新設したのか?
1949年のドイツ憲法検討過程にあった「緊急事態条項」が削除された経緯とともに、20年がかりで「緊急事態条項」を「加憲」するプロセスを検証する。法律改正ではなく、憲法改正で新設した理由を明らかにする。
3)ドイツ憲法の緊急事態条項はどのような仕掛けを持っているか?
1968年で成立したドイツの緊急事態条項はどのような特質をもつのかをワイマール憲法からナチス独裁政権を生み出した「緊急事態条項」のもつ「欠陥」を明らかにすることを通じて、制定された新「緊急事態条項」プロセスを展開する。行政府と個人には権力を集中しない仕掛けを中核とする緊急事態条項法制を分析する。
4) 自民党の緊急事態法は、どのような危険性を孕むか?
自民党の緊急事態法は、ワイマールと同様に行政府長(首相)による閣議決定をベースにしたものであり、ドイツ、フランス、アメリカの同種法制との比較を通じて、その危険性を明らかにする。
5)日本における緊急事態条項に必要な与件は何か?
日本で緊急事態法を検討する際に不可欠な与件を明らかにし統治行為論の放棄と最高裁長官以外の判事の内閣任命権の排除を不可欠であると指摘し、その与件について検討すべきと提言する。
by inmylife-after60
| 2018-01-24 12:48
| 政治・外交・反戦
|
Trackback
|
Comments(0)