2019年 01月 31日
2018年12月南京授業交流会参加記 |
2018年度歴教協日中交流企画参加記
今回の南京訪問(2018年12月26日〜29日)は2016年に続く二度目でした。基本的には前回と同様に南京大虐殺記念館、及び南京第一中学と金陵中学を訪問し、日本側教員と中国側教員の授業交換、並びに教員及び学生との意見交換、及び教員との懇親会を行った。
今回、記念館にて91歳になる艾(ai)さんから9歳の時の南京における体験に関する証言を聞くことができた。以下今回参加してわかったことを中心に報告したい。
1)南京大虐殺遇難同胞記念館の展示改装とコンセプトについて
2017年12月13日に改修後公開された館内展示は以下の8つで構成されている。南京陥落前の形勢、日本軍南京侵犯と南京防衛戦、南京における日本軍の蛮行、人道主義救援活動、世界的な共通理解と日本の隠蔽、大虐殺後の南京、戦後調査と裁判、人類の記憶と平和祈念であり、展示は写真2000枚と文物900点という。
改修のコンセプトは以下の6点であった。
①歴史に語らせ、史実に発言させること。
②記憶の継承。個人、都市、民族、世界の記憶を繋ぐ。
③人間を大切に。人類性、人間性、人権を表現すること。
④国際的視野日本、中国、第三国の3つの視角で表現すること。
⑤東京裁判、南京裁判判決の史実を明確にすること。
⑥平和理念を普及すること。
今回の訪問で、記念館より、「人類の記憶①(中国側、日本側)」と「人類の記憶②(第三国側戦後の裁判)」日本語版を頂いた。
この本は、上記改修のコンセプトによる記憶の継承としての作品であった。この書籍の詳細は省くが、南京大虐殺を前後して、日本、中国、第三国にて記された第一次史料をそのまま添付しており、南京大虐殺を史的に実証する価値あるものであり、日本語の解説も日本人への理解を促すものだと思う。
今回の記念館展示のなかに、南京国際安全区責任者のドイツ人ジョン・ラーベと南京大虐殺を記録したアメリカ人牧師マギーの孫が南京で出会い、祖父らの往時の活動を語り合う展示コーナーが開設されていた。これは、明確に上記の④の国際性=相互主義による歴史認識を示す試みだと感じた。
左:ジョン・ラーベ、右:マギー牧師の孫
2)「歴史の継承」に関する記念館の取り組みについて
記念館館長の挨拶で史実の継承を今後いかに進めていくかがとても重要な局面に入ったと触れられていたが、その問題意識がどのようなものかについて孫曼さんから頂いた館長張建軍編「平和の旅〜日本友人口述史(2018年11月刊行)」から紹介したい。
この本は、南京事件に関わって日本側の様々な研究者、教員市民など支援活動に協力を惜しまなかった10名(林伯輝、松岡環、秋本芳昭、鈴木俊夫、大門高子、吉田裕、吉見義明、大東仁、平山良平、宮内陽子)の日本人へのインタビューをまとめたものであり、口述史として位置づけられる活動である。
これは、史実による検証性を明確にするとともに、南京を我がこととして活動された日本人を通じてその意味を明らかにする取り組みである。
館長の序文から以下引用する。
「南京大虐殺事件からすでに81年が経過し、先人の活動を基礎にその後の研究視座の発展に沿って、今後の記念館として、口述活動を以下の幾つかの方面から試みたい。
第一は、記憶主体とその継続性である。南京大虐殺の生存者と南京に侵略した元日本兵が絶え間なく亡くなる状況の下、南京大虐殺生存者の記憶をしっかりと掴り、掬い取ると同時に当時の体験者、及び生存者の二代、三代の方々に対する取材活動を開始する。
第二は、記憶の連続性と着眼点である。かつての南京大虐殺の生存者と体験者の証言は、その大多数が、日本軍の蛮行に関する1937年末から38年初頭の期間のものである。南京大虐殺事件に関わる一人ひとりの実際の暮らしとその家族への影響を深く理解するには、南京大虐殺の被害者への取材訪問を、被害者の生活史と家族史、一人ひとりの一生涯の変化に立脚したものにする必要がある。記念館は、2017年南京大学と協力して、50名程の生存者の一生涯を記録した数奇な人生:南京大虐殺生存者口述生活史」を出版した。
第三は、記憶と平和に関するものである。記念館は、1985年8月15日開館以来、内外の友人の関心と支援を得てきた。南京大虐殺の歴史は多方面にわたる共同の努力によって、今日世界の記憶となった。記念館自体が平和を伝承する存在となった。歴史を深く刻み、平和を惜しみなく愛する多くの人びとの一生涯にわたる事業となった。このようなことを踏まえて、記念館は平和交流事業と本記念館の歴史そのものに関わる口述記録の活動を2017年12月から始めた。」(「平和の旅〜日本友人口述史」P1〜P2)
3)高校における授業設計に関する課題について
南京の高校生
両校における授業交流後、南京第一高校では、教員との意見交流、金陵高校では、生徒との意見交流の機会をもった。
やはり最大の課題は、大学受験への対応だった。高等学校は、「高考」と呼ばれる6月初旬に開催される全国一斉試験の得点によって、大学への入学選抜が決まるという大変厳しい受験環境下にある。従って父母の期待と圧力のもとで、どのような受験対策(暗記的要素を含む)を行うかを念頭に入れながら、個々の生徒の問題意識や総合的な理解力の向上などをどう図るかの二つの側面をもつものであった。
南京第一高校の校長と教員
授業設計として、以下の4つの考え方について研究をすすめていくと言われた。
①知識〜事実と事実、その相互関係の理解が不可欠。重視視点は何か。
②誘導〜結論までのプロセス、有益な情報の理解。
③解釈〜発表を通じた論述の能力とその開発
④検証〜歴史的事件や問題に関する検証方法と開発。
中国の「高考」自体がどのような能力を問う出題傾向なのかを知らないので、この方法が授業設計として有効なのかどうかがわからなかった。日本でもアクティブラーニングが盛んに推奨されているが、大学受験との関係でいえば、それをどのように具体化されるのかはまだ不透明な状況にあるように思う。
大学入試そのものの出題の狙いが変わらない限り、高校の授業は制約されるというのは日中共通の問題だと思った。
4)生徒からの日本側教員への質問について
金陵高校の授業交換後に開催された意見交流会は、15名ほどの生徒も参加し、以下のような質疑が行われた。
金城高校意見交流会(右側に金城高校の生徒たち)
中国の高校生から、授業内容に関する中国と日本の比較、明治以降の日本の発展要因、戦後の日本独特の伝統を活かした経済発展の進み方、漫画・アニメなど文字以外の媒体を利用した授業などに関心をもつ質問が寄せられた。
①歴史学習への参加意欲を高めるためにどのようにやっているのか?
②歴史学習で一番重要なポイントはどのようなものか?
③テストはどのようなやり方か?理解力をどのように計るのか?
④中国は現在中国史と世界史に分けて、古代と近現代にわかれてやっているが、日本はどうのように勉強しているのか?
⑤中国では政治、経済、思想に分けた授業をしているが、日本はどうか?
⑥歴史的な事件などに関する理解について、一つの結論のみを正解とするのか。自由な発想の意見にはどのように対応するのか
⑦日本からの情報をアニメ等でみると正確に中国の現状が伝えられていない面があると感じた。中国の現状についてどう教えているのか?
⑧明治天皇の評価として、黒船以降の外国への対応を含めて、日本の発展に貢献したとする見解があるが、どのように思うか?日本が明治維新以降に発展した要因はなにか?
⑨日本の生徒の読書時間がどの位か?
⑩歴史で調査した結果を壁新聞などで発表する授業などはあるか?
⑪第二次大戦日本は経済的に大きな発展を遂げたが、伝統的文化も大切している側面もある。どうして伝統文化と経済発展が両立できたのか?
⑫漫画を利用した授業の効果性は高いと思うが、どう思うか?
などが質問された。
私は、読書時間に関する質問に対して、高校生ではないが、早稲田大学教員らが年間の読書時間がゼロという学生が50%を越えたという調査結果にショックを受け、この現状から脱する取り組みについて紹介した。
5)金城高校教員との夕食交流会から
金城高校校長と教員
金城高校の授業交流のあとに珠江路で開催された懇親会で、金城高校の校長先生と2名の教師から聴く機会を得ることができた。以下のように答えて頂いた。
①金城高校の授業料について
中国の私立高校である金城高校の「1年生の授業料はどのくらいか」を尋ねた。日本は公立高校の授業料は無料だが、市立高校は年間100万円位かかると聴いていたので、中国の授業料を知りたかった。1年生の年間授業料は、2400元だという。日本円であれば、43000円程である。市政府からの補助があり、とても安いと言われた。日本の公立高校への授業料無償化費用が12万円弱なので、その約3分の1程度である。高鉄(中国の新幹線)の料金が大体日本の3分の1なので、大体同じ感じであると思った。
②金城高校の教員の平均給与について
教員の給与は平均で6000元(108000円)だという。南京の大卒初任給が大体3500元前後と聴いていたので、余り高くないと感じた。しかし教師らの表情には、不満の色ではなく、頑張っていますといいう笑顔を見ることができた。
③金城高校の教員の平均勤務時間について
ではどの位働いているのかと聞いたら、大体一日10時間半だと即座に答えてくれた。何をそんなにしているのかと聴くと教授法だと言う。通常の授業以外の補講授業に関する対応のことだと思った。
今回、毎日の日程終了後に、参加者たちと夫子廟近くの食堂で毎日25時半まで飲み明かす時間を過ごすことができてとても楽しかった。また松影さんの車椅子の面倒を看させて頂き、中国における大型デパート、大型レストラン、タクシー、地下鉄駅、新幹線駅、空港などにおける日本と遜色のないバリアフリーの現状を知ることができた。これも得難い体験であった。
参加者の皆様、大変ありがとうございました。 (完)
by inmylife-after60
| 2019-01-31 20:50
| 中国訪問記
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