横田基地を東京国際空港の一つとすべきだ! |
いいえ、横田基地です。
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2019年 02月 24日
横田基地を東京国際空港の一つとすべきだ! 米軍基地は、地元住民と全国の支援で撤去することができる! 〜板付基地(現福岡空港)基地撤去闘争〜 福岡県福岡市にある現在の福岡空港は、1944年2月に陸軍の空港として開設され、1945年10月に米軍に接収され、板付基地として米国空軍の基地が1972年まで置かれていた。陸軍により接収された民間用地の返還を求める板付基地返還闘争から、板付米軍基地撤去闘争へと発展した。 この板付返還闘争の歌で知られる「この勝利ひびきとどろけ!」は、1962年、福岡県安保共闘会議の呼びかけで全九州から集まった約10万人の人びとが、板付米軍基地を包囲し、基地拡張を阻止した勝利の闘いを歌ったものだ。 日本のうたごえ第1回創作者活動会議で完成し、作詞・作曲は多くの労働運動歌で知られた荒木栄氏による。南ベトナム・南朝鮮などの言葉が時代性を反映していると思う。 【この勝利ひびきとどろけ!】 作詞・作曲: 荒木 栄 1.筑紫野のみどりの道を進み行く十万の戦列 赤旗は春風にはためき 歌声は空にこだます 基地板付の包囲めざし 進み行く我らの戦列 2.ジェット機に足奪われた松葉杖の老婆は叫ぶ 「皆さんがんばってきっと仇をうって」 百万坪の包囲めざし 進み行く我らの戦列 3.飛び立てぬ百のジェット機姿隠す戦争の手先 板付は包囲された アメリカは包囲された 南ベトナムへ南朝鮮へこの勝利ひびけとどろけ 【九大電算センターファントム墜落事件】 昭和43年(1968年)6月2日夜10時45分頃、福岡の板付基地に着陸しようとしていた米空軍のRF-ACファントム偵察機が、空路進入路上にある建設中の九州大学大型電算センターに墜落。電算センターは炎上した。「もし1秒の何分の1かずれていたら、箱崎の人家密集地帯に落ちて大惨事になっていたかもしれない。隣の棟の、九大理学部のコバルト60貯蔵庫が直撃されていたら、福岡市は死の町になっていたかもしれない。」との記事があった。 1968年6月3日、米軍機墜落事故にたいする抗議の集会とデモが行われた。九大構内で抗議集会を開いた九大生約2000人が、大濠の米領事館へデモ。ついで福岡市役所前の社共両党、福岡県評、福岡地区労主催の「板付米軍基地撤去、日米合同演習即時中止市民集会」に参加した労組員ら2500人(福岡県警調べ)も、同領事館へ抗議デモをかけた。 【1972年 板付基地は返還され、福岡空港に衣替えした】 1972年に板付空港は返還され、福岡空港に衣替えしたが、米軍は完全撤退した訳ではなく、福岡飛行場内西側部分の米軍専用地域(日米地位協定2条1項)に格納庫がある。場内誘導路、滑走路は日米共同使用(同2条4項)。毎週定期的に米空軍団所属の輸送機などを中心に飛来、米軍佐世保基地への軍用物資輸送の中継基地になっている。 【米軍飛来による危険性】 1987年11月、日出生台(大分県由布市)における日米合同演習の際、ハワイ第25軽歩兵師団1600名が完全武装で飛来、日出生台へ展開した。米軍機は民間航空機と同様、着陸1時間前に管制塔に通知すれば、何時でも日本政府管轄下の飛行場を使用できる(日米地位協定)が、板付基地のように共同使用基地の場合は、そこをさらに作戦目的に使用できるとされる。優れて危険な空港であることに変わりはない。 【いまだ基地返還を拒む米軍】 2010年5月には、日本政府は「米軍の接収用地の返還は難しい」との見解を表明しており、板付基地闘争は未だに終結していないが、いま福岡空港がどれ程市内に近いかは、利用された方がよく知るところである。 いまこそ、2020年東京オリンピックを契機に横田基地を日本の東京国際空港の一つとする運動を起こすべきだと思う。 追記:(2019年2月25日) 各空港の敷地面積 ・福岡空港:353ヘクタール(東京ドーム72.6倍) 滑走路:長さ2,800m×幅60m 22:00-07:00 を避けた定期便 ・横田基地:713.6ヘクタール(東京ドーム157倍) 滑走路:長さ3,353m×幅60m ・成田空港:1090ヘクタール(東京ドーム232.9倍) 滑走路:4000×60m)1本 2500×60m 1本 ・羽田空港:1450ヘクタール(東京ドーム309.8倍) 追記:(2019年2月26日) ここに「南ベトナムへ」という歌詞は、以下のことによる。 ベトナム戦争は宣戦布告のない状態で開始され、アメリカによるベトナム軍事介入は、1961年5月に開始された。 「ケネディ政権は、正規軍の派兵ではなく、「南ベトナムにおける共産主義の浸透を止めるため」との名目で、1961年5月にアメリカ軍の正規軍人から構成された「軍事顧問団」という名の特殊作戦部隊600人の派遣と軍事物資の支援を増強することを決定し、南ベトナム解放民族戦線を壊滅させる目的でクラスター爆弾、ナパーム弾、枯葉剤を使用する攻撃を開始した。(Wikipedia) 追記:2021年9月9日、横田基地の航空写真を差し替えた。
by inmylife-after60
| 2019-02-24 23:52
| 政治・外交・反戦
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Comments(2)
Commented
by
通りすがりの者
at 2021-06-30 23:07
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画像は、横田基地で無く普天間基地ですよ
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Commented
by
inmylife-after60 at 2021-08-13 15:30
> 通りすがりの者さん
いいえ、横田基地です。
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