2019年 05月 18日
『平和憲法の破壊は許さない』(日本評論社)を読む |
〜解釈改憲と「自衛隊明記」改憲の憲法破壊の手法について〜
結論からいえば、「自衛隊明記」という安倍自民党の改憲発議(説明)に重大な捏造と虚偽があり、この改憲発議は、不法行為があるが故に憲法96条(憲法改正の手続き)に違反するだけでなく、72年政府見解に関する歴史改竄による憲法破壊と理解すべきである。
重大な捏造と虚偽とは、何か?
それは、以下の2つの説明に二重の捏造と虚偽があり、国民が発議を判断する上で、重大な誤解に基づく投票行動が起こされることが必死だからです。
1)2014年7月1日閣議決定説明(2015年5月27日答弁)
2)2018年3月24日自民党憲法改正推進本部の発議説明
まず1)の説明は、以下の通りです。
「昭和47年(1972年)政府見解にある9条解釈の決裁文書のなかに、作成者である吉國内閣法制長官らの手によって、集団的自衛権が合憲と書き込まれている。もともと合憲である」という説明です。
これは、2015年安保法制国会で最も大きな論点となり、現在この安保法制が違憲立法とされる原因となった「外国の武力行使」の定義に関するこれまでの政府見解とは異なる定義を行い、殆どの憲法学者らの違憲と断じた定義、つまり「我が国(日本)ではなく、同盟国(米国など)への外国の武力攻撃にも集団的自衛権を行使できる」という説明です。
これは、昭和47年(1972年)政府見解に対する「論理の捏造」と「決裁文書の解釈改竄」に他なりません。
次に2)の説明は、以下の通りです。
「自衛隊を憲法に位置づけるにあたっては、現行の9条1項・2項及びその解釈を維持したうえで「自衛隊」を明記する」とし、「第二次安倍政権を含む歴代政府の9条解釈を維持した上で、自衛隊の存在だけを明記する改憲」を行うという説明です。
吉國内閣法制長官が昭和47年(1972年)国会で繰り返した「憲法9条においては、個別自衛権行使しかゆるされず、あらゆる集団的自衛権は違憲」としているにも関わらず、この𠮷國答弁も含めて、「歴代政権の9条解釈」であると説明する虚偽を二重におこなっていることに他なりません。
つまり、1)の閣議決定説明が捏造と解釈改竄であり、2)の発議説明はさらに、1)の改竄解釈を「歴代内閣の9条解釈」とすることで、政府見解の歴史的認識に関する改竄を企てたものだと理解しなければなりません。
安倍政権は、本年7月参議院選挙で改憲を訴え、2020年に改憲を実現すると発言しています。
安倍自民党の「自衛隊明記」改憲は、つまり72年政府見解の歴史認識の重大な改竄による憲法改正(破壊)と言わざるをえないと理解しなければなりません。
追記:2019年5月19日
ーーーーーーーーーーーーーーーー
1)2014年7月1日集団的自衛権行使容認「閣議決定」に対する安倍首相答弁
衆:予算委員会2014年(平成二六年)七月一四日
安倍内閣総理大臣:
「今回の閣議決定における憲法解釈は、(中略)昭和四十七年の政府見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための合理的な当てはめの帰結を導いたものでありまして、 これは、従来の憲法解釈の再整理という意味で憲法解釈の一部変更でありますが、憲法の規範を変更したものではないわけであります。」
2)1972年内閣法制局長官𠮷國一郎答弁
参:決算委員会1972年(昭和四七年)九月一四日
𠮷國一郎内閣法制局長官:
「憲法ではわが国はいわば集団的自衛の権利の行使について、自己抑制をしていると申しますか、日本国の国内法として憲法第九条の規定が容認しているのは、個別的自衛権の発動としての自衛行動だけだということが私どもの考え方で、これは政策論として申し上げているわけではなくて、法律論として、その法律論の由来は先ほど同じような答弁を何回も申し上げましたが、あのような説明で、わが国が侵略された場合に、わが国の国民の生命、自由及び幸福追求の権利を守るためにその侵略を排除するための措置をとるというのが自衛行動だという考え方で、その結果として、集団的自衛のための行動は憲法の認めるところではないという法律論として説明をしている」
「憲法第九条の戦争放棄の規定によって、他国の防衛までをやるということは、どうしても憲法九条をいかに読んでも読み切れない。わが国が侵略をされてわが国民の生命、自由及び幸福追求の権利が侵されるというときに、この自国を防衛するために必要な措置をとるというのは、憲法九条でかろうじて認められる自衛のための行動(である)
「外国の侵略が(中略)現実に起こった場合に、これは平和的手段では防げない、その場合に「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が根底からくつがえされるおそれがある。その場合に、自衛のため必要な措置をとることを憲法が禁じているものではない、というのが憲法第九条に対する私どものいままでの解釈の論理の恨底でございます。その論理から申しまして、集団的自衛の権利ということばを用いるまでもなく、他国が侵略されているということは、まだわが国民がその幸福追求の権利なり生命なり自由なりが侵されている状態ではないということで、まだ日本が自衛の措置をとる段階ではない。日本が侵略されて、侵略行為が発生して、そこで初めてその自衛の措置が発動するものだ。」
by inmylife-after60
| 2019-05-18 21:53
| 政治・外交・反戦
|
Trackback
|
Comments(0)