2019年 05月 19日
「空洞化と属国化」(坂本雅子著)を読む(二) |
「空洞化と属国化」(坂本雅子著)を読む(二)
【「日本再興戦略」の全体像】
「日本再興戦略」は単なる寄せ集めではなく、二つの「理念」に基づいて構成されている。
第一の「理念」は、「規制撤廃」、「民営化」である。それは「日本再興戦略」の作成主体の「規制改革会議」であることに象徴される。
第二の「理念」は、「産業競争力」の強化である。これは「日本再興戦略」をまとめたもう一つの主体が「産業競争力会議」だということに象徴される。「産業競争力」とは民間企業の競争力を意味しており、「日本企業を国際競争に勝てる体質に変革」することをめざす。
二つの理念はと言ったが、同戦略の九割以上が「規制撤廃」、「民営化」に関する項目である。そしてこの「規制撤廃」、「民営化」の項目の大部分は、実は米国からの要求に端を発している。どんな要求かは項目ごとに順次明らかにしていくが、同戦略はこうした本質を持つため、日本経済全体を「再興」できる「戦略」なのかという問題だけでなく、そもそも「日本企業」さえも「再興」できるのかという根本的な問題を抱えた戦略なのだ。
【「規制撤廃」、「民営化」政策はどこから来たのか】
「日本再興戦略」に掲げられた具体策のほとんどが「規制撤廃」、「民営化」にかかわる施策であるが、「規制撤廃」、「民営化」策の本質は何か。それはなぜ諸分野で行われようとしているのか。各政策を個別具体的に論じる前に、まず「規制撤廃」、「民営化」策の意味を見ておこう。
規制改革会議、産業競争力会議の両会議の答申をまとめたものであるが、この答申は会議のメンバーが額をよせて導き出したテーマと結論というより、すでにあるテーマと結論を持ち込んだものである。それはたとえば以下のような事実からもわかる。
安倍首相は、規制改革会議の発足直後に、今後の会議で検討すべき「喫緊の重要政策課題」は、「①雇用関連②エネルギー・環境問題③健康・医療関連(3分野)」を規制改革の重点分野とする」という指示を出した。大田弘子同会議議長代理もこれを受けて、「この二年程度で、これまでの規制改革に決着をつける」、特に「関連業界・団体が強く反対し、長年解決がつかない規制」すなわち「医療・介護・保育・農業など“官製市場”分野の規制、雇用関連規制など」の「岩盤のような規制」に集中的に取り組むと、安倍首相の指示と同様のことを宣言した。
そして同日配付された資料・「これまでに提起されている課題の代表例」では、「健康・医療」、「エネルギー・環境」、「雇用」、「創業・産業の新陳代謝等」等の分野での具体的な項目が、その「解決策」と共に詳細に列挙されていた。のちに規制改革会議が出した最終提案も、ここでの「解決策」を基本的に踏襲するものであった。つまり規制改革会議が提案したテーマは、第二次安倍内閣で突然出てきたものでなく、長年追求されてきた課題であり、解決方向もいくつかの追加点があったにせよ、すでにおむね決まっていたものであった。
【「規制撤廃」・「民営化」——「構造改革」の源流】
なぜ、「日本再興戦略」の中心的検討課題が、安倍首相の指示した三分野(①雇用関連②エネルギー・環境問題③健康・医療関連)なのか。 それは歴代自民党政権、とりわけ橋本—小泉—第一次安倍の各政権を貫く「規制撤廃」、「民営化」政策でやり残した「宿題」が、この三分野に多く残されているからである。「規制撤廃」、「民営化」は、二〇年以上にわたって日本の政治の中心課題として追求されてきたが、まだ完了したわけではなく、安倍政権の政策は、残された課題を一掃しようというのである。
ではなぜ、「規制撤廃」、「民営化」は、かくも長期にわたる主要政策課題として追求されてきたのか。
われわれは「規制撤廃」、「民営化」策については“国民の痛みは大きいが膨れ上がってきた財政を縮小するし立て直すためのやむをえない選択”とか、”資本主義のグローバル化時代を生き延び、勝ち抜くための自国の巨大企業と国家の選択“という前提にたってしまいがちである。しかしこの二〇年以上にわたって断行されてきた規制緩和の改革、そして「日本再興戦略」で掲げる主要な「規制撤廃」関連の施策すべては、米国によって突き付けられた「対日要求」を源流としており、日本の企業と政府が自ら自主的に選択した政策ではないのだ。
では、米国はなぜそうした「要求」を突き付け続けたか。安倍成長戦略の本質を見るには、国際資本聞の競争を背景とした米国の意図と行動を、まず前段として押さえておく必要がある。日本側がなぜそれを唯々諾々と受け入れてきたかは、本節の最後で考察する。
【米国の攻撃】
米国政府の要求の原点には、日米の貿易不均衡問題があった。序章で論じたように戦後の日本経済は米国を市場として急成長を遂げたが、米国側は拡大する対日貿易赤字に苦慮し、一九七〇年代以降、本格的に日本との貿易交渉を開始した。第l 章で述べた日米半導体摩擦と、一九八六年に締結された日米半導体協定もその一端である。しかし対日貿易赤字は膨れる一方で、一九九一年には米国の貿易赤字に占める日本の割合は六五パーセントにまで拡大した。
米国の企業は、次第に「自分たちは日本企業と競争しているのではなく、日本のシステム全体と競争させられている」と考えるようになった。日本のシステム全体が、日本企業の競争力を強くしているため、もぐら叩きのような個別製品の輸出入規制では追いつかない。日本の経営・経済・社会のシステム全体を叩くしかないと考え始めたのである。
そのシステムとは、「官民一体」の成長政策、「企業グループ」による結束とグループ内銀行による成長のための資金供給、「労使協調」・「労使一体」などの労第関係も含めた日本の諸システム・慣行といわれたものであり、政府・企業経営者・労働者が一丸となって「ものづくり」に邁進して経済成長を担ってきたシステムそのもの、日本経済の成長と強さを支えたシステムそのものであった。
これらは、「日本的経営」として、特に一九八〇年代以降、世界的に良い意味でも悪い意味でも注目され、日本の驚異の経済成長と輸出競争力の源泉と世界から見なされ、かくして米国は、「規制撤廃」、「構造改革」の名で、日本の経済・経営システムから雇用・社会システムにいたるまで注文をつけて変更を迫る「構造協議」を開始した。「MOSS 協議」(一九八五年〜一九八六年)、「日米構造(問題)協議」(一九八九年〜一九九〇年)、「日米包括経済協議」(一九九三年〜一九九六年)と様々な名称で日米間の「協議」が断続的に持たれた。
【規制撤廃の要求書を毎年つきつける】
とりわけ一九九四年以降は、毎年、米国政府から日本政府して、大部(日本語訳で四〇〜五〇頁) の「要望書」をつきつけるようになった。この要望書の名称は、「日本における規制緩和、行政改革及び競争政策に関する書」(傍線部の文言は異なる年度もある)と名付けられており、二〇〇二年になると「日米規制改革および競争政策イニシアテイブに基づく日本政府への米国政府要望書」と名付けられていた(1996年以降のものは、米国大使館で仮訳されているが一九九四年〜一九九五年は未訳)。日本ではこの要求書は、一般的に「年次改革要望書」と略記されるが、本論では「要望書」と略記する。
これは「年次改革」の要望書などという生易しいものではなく、米国大使館の訳では二〇〇一年までのものは「規制撤廃要望書」、「規制改革要望書」の名称がほぼ毎年表紙に大書されており、米国からすれば、「規制撤廃」の有無を言わさぬ対日「要求書」であった。
では「規制撤廃」とは何か。「規制」とは日本側の輸入規制(WTO等の国際的に認められた規制)に関するものも多かったが、しかしそれにとどまるものではなかった。日本の国のあり方、日本の経済成長を支える仕組みそのもののすべてを「規制」として解体を迫った。それは、郵貯、簡保、通信事業、電力事業などの国民生活に深く関連する公共部門の解体と民間(米国資本等の外資を含む)への開放を迫るものであり、日本の雇用システムの改変、日本の法制度の改変、会計制度の改変等々を迫り、果ては日本の年金基金等の運用制度の改変と運用への外国ファンド等の参入まで迫る「内政干渉」要求を、「規制撤廃」「民営化」、「内外(企業)無差別」を盾に要求した。要は、戦後日本の官民一体、労使協調の経済・経営システム全般を破壊するとともに米国資本の参入を容易にし、公共部門も含めて米国資本に開放し、日本の金融資産や日本企業そのものを米国の投機資本に蚕食させることそのものの要求であった。それは、また日本の経済・社会ルールを米国流に改変し米国企業が米国内と同じように活動できる基盤を日本で整備しようというものでもあった。
【「日米投資イニシアティブ」も】
二〇〇一年には恒常的な日米協議の場である「成長のための日米経済パートナーシップ」の枠組みも開始し、「日米投資イニシアティブ」も設けられた。こうした枠組みを設けたのは米国側の強硬な要求の連続にさすがに日本側も反発する場面が多かったため、日本国内の「改革支持勢力」や日本の経済界ももっと大きく抱き込んでいこうと米国が考え始めたからであった。「直接的な『外圧』や『制裁』より『日本の構造改革』勢力をパートナーとして支援し、協力させたほうが得策だと」考えたのであった。
「日米投資イニシアティブ」は日米協議という名でお互いに相手国に対して要求を出しあい協議する場という体裁をとってはいるが、日本側は米国に打撃を与えない比較的簡単に解決できるある意味どうでもよいことばかりを要求した。
一方米国は日本の経済と社会のしくみを根底から破壊し改変する要求をあらゆる分野にわたって突き付け、それが実行されるまで粘り強く圧力をかけ続けた。
従来からの「要望書」も引き続き米国は、毎年出し続け、同時に「日米投資イシアテイブ報告書」も「日米経済パートナーシップ」の名のもとに毎年出し続けられた。こうした協議で米国は、「規制緩和」、「構造改革」の名の下に膨大な項日からなる内政干渉の要求を突き付け続けただけでなく、日本の実行度合いを毎年執拗に点検し続けたため二〇年以上にわたる米国の要求の多くが日本の政策に組み込まれ実現していった。
「日米協議」のための諸組織や米国からの「要望書」が終了したのは、二〇〇九年になって民主党政権に交代し、鳩山内閣はこれらを停止したことによる。ところが、民主党から政権を奪回した第二次安倍自民党内閣は、米国からの長年の「要求」のうちまだ実現せず残っているものを、まるで宿題を果たすように「日本再興戦略」に思いきり盛り込んだのである。
以上のような経緯から、「規制撤廃」にかかわる「日本再興戦略」の分析は、米国からの要求を抜きにして考察することはできない。それは、米国資本の日本攻撃から出発したものなのだ。
注:MOSS協議
《market-oriented sector-selective talk》市場重視型個別協議。日米通商協議において、国際的な競争力がありながら日本市場へ参入できない米国製品について、個別の分野ごとに市場開放策や貿易障害要因を話しあう方式。
by inmylife-after60
| 2019-05-19 17:11
| 経済危機・投資
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