2019年 09月 17日
深圳博物館について〜改革開放以降を中心に〜 |
深圳博物館について〜改革開放以降を中心に〜
8月23日から30日まで香港深圳澳門を訪問したが、訪問記で詳細に触れなかった訪問先である深圳博物館について紹介したい。
この博物館は、福田区市民センター駅に隣接する博物館であり、古代、近代、現代の3つに区分された展示エリアをもつ歴史博物館である。
おもに現代史(1949年10月以降)、とりわけ1978年12月経済特区として深圳市を創設した以降を中心に紹介する。
ここでは近代史は取り上げないが、以下の近代の前言を紹介する。今日の深圳が近代史をどう描いているのかを知ることできる。以下の通りである。(括弧内は筆者による注である。)
1)近代史エリア「前言」(翻訳)
『阿片戦争は中国近代史の端緒であり、1938年深圳新安海域の九龍海戦(1839年9月)は、阿片戦争の前哨戦であり、ここが近代における反侵略戦争の始まりである。阿片戦争敗北後、中国は外国からの侵略者の屈辱的和平交渉で、近代最初の不平等条約〜南京条約を調印し、独立国中国は、半植民地半封建国としての苦難な道を歩み始めた。
近代深圳は近代中国史の縮図である。深圳民衆は、英国による香港侵略に抵抗し、孫中山が三洲田(深圳:1900年10月)で蜂起し、清朝を覆す最初の火蓋を切った。宝安県党組織は、農民運動を指導し、軍閥列強に反対し、省港ゼネスト(広州:1925年6月〜10月:「上海530事件」に呼応)の前戦基地となり、8年の抗戦と4年の解放戦争を闘い、この一世紀あまりの抗争のなかにあって、深圳人民は強敵を恐れない勇敢さと頑強さを表出してきた。
阿片戦争以後、中国は通商港を開港し、西洋資本主義文明を継続的に輸入してきた。依然とした「天朝大国」の東方の眠れる獅子という甘い夢に酔いしれていたが、ここから、世界に眼を開き、近代化への曲がりくねった道を歩み、深圳と隣接した香港は、西洋の先進的科学技術と思想文化を吸収するに便利な位置にあり、中国の近代化のプロセスのなかにあって、重要な配役を演ずることになった。
これから、みなさんに時空を越えて百年に渡る深圳の変遷を理解頂き、激動する歴史を感受し現実を把握し未来を導いてもらいたい。』
2)改革開放の始まり
改革開放は1978年12月中共第11大会3中全会で決定され、79年7月蛇口で工業団地が、80年8月羅湖で都市建設がはじまった。羅湖の開発は、「五通一平」と呼ばれ、水道、電気、ガス、道路、通信線と土地の整地であり、約2万人の解放軍を動員し、1985年迄に18階以上の建物を60棟以上建設し、現在の商業中心街を造ったという。1981年5月に深圳貿易センタービルの建設がはじまり、その建設速度の早さ(3日で一階)から「深圳速度」という造語が生まれたと言う。
初期の経済特区は、「三来一𧘔」と呼ばれ、「来料加工:(部材から部品をつくる)」「来様生産(見本通りの生産)」「来件装配(部品から完成品の組み立て)」と「𧘔償貿易(パテント購入による輸出)」であった。この生産企業は「三資」と呼ばれ、「中外合資、中外合同、外資三類外商投資企業」であった。1985年迄に深圳特区は、4696件の外資契約、投資規模33.5億ドル、全国の外資投資の6分の1(プラザ合意前は1ドル250円、これで換算すると8375億千円、中国全土でその6倍の5兆円という規模)を占めたと言う。
3)深圳特区で実施されたこと
以下の10事項は深圳で全国最初に実施されたという。
1労働賃金の改革(1980年)
現物支給ではく、全面現金支給。
2インフラ建設投資改革(1981年)
社会インフラ(水道、電気、道路、通信、土地整地)への非政府資金の受入
3物価改革(1979年)
食糧配給切符を廃止し、生活必需品の市場価格による提供へ
4労働雇用制度改革(1980年)
職場配置と雇用契約の自由化
5幹部人事制度改革(1981年)
幹部(企業社長・工場長・技術長)の公募採用
6国営企業株式制(1986年)
国営企業の株式上場
7外貨為替交換センター開設(1985年)
外国為替取引の開始(兌換券ベース、その後人民元単一へ移行)
8株式市場開設(1983年)
企業の株式上場及び株式取引の開始
9土地使用権競売開始(1987年)
企業及び個人の土地使用権取引の開始
10住宅制度改革(1981年)
移動に伴う住宅契約の自由化
この中で、中国の社会制度上の最大の修正は、9の土地使用権の売買譲渡を可能としたことである。つまり所有権は政府が保有し、その使用権(70年間)の売買ができるようになったことである。
1987年12月13回大全人代で中国人民共和国憲法を改正し、使用権譲渡を認め、87年12月深圳で上記使用権に関する公開競売が開始された。
4)使用権譲渡のもつ意味について
習近平政権の「特色ある社会主義」とは何か?。それは1980年から深圳で始められ、このモデルを全国に広めたということがよくわかる。深圳で始められた改革は、資本主義制度のもつ資本融資、資本移動、資本移転の自由を前提にした資金展開を優先する資本主義体制に転換したと言える。
しかし、土地そのもの譲渡を認めず、使用権の譲渡を認めたことで、巨額の資金融資をうけ、中国が資本主義へと進む原資的蓄積機能を果たした。
この土地使用権の売買譲渡は、中央と地方政府官僚の巨額な不正と巨額な贈賄賂と巨額資産の海外移転の元凶となった。
この使用権つまりその相続権は、これからの中国社会における大きな政治的社会的問題として提起され、政権のいう「特色ある社会主義」という自己規定の理念との矛盾がますます問われるようになることを危惧する。
中国における市民的自由(法の下の平等、公務員罷免権の保障、請願権、表現・出版の自由、信教の自由、結社の自由、通信の秘密、学問の自由、思想信条の自由、私有財産の保障、成年男女参政権など)という普遍的権利の保障とともに、この土地所有と相続に関する問題は今後の大きな社会的な問題を引き起こすものと見なければならない。(完)
by inmylife-after60
| 2019-09-17 20:08
| 歴史認識・歴史学習
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