2020年 02月 07日
浙江省温州市「楽清地区」の封鎖過程 |
現地レポート
浙江省温州市「楽清地区」の封鎖過程
武漢由来のコロナウイルスの中国全土への感染が止まらない。以前から武漢から遠く離れていながら、感染者数の多い都市として浙江省温州市を注目していた。
本日(2月7日15時30分)現在の感染者は、浙江省で1006名、温州市は、421名であり、次に多いのが杭州の156名である。温州市は、湖北省の武漢の都市を除けば、最も多い感染者を抱える大都市である。何故これ程、浙江省温州市に感染者が多いのかを知りたかったからである。
ちょうど、一作日(2月5日)夜に、地元紙が温州市の楽清地区が封鎖された経過がよくわかる記事が掲載されていたので読んでみた。温州市は、約900万都市であるが、楽清は温州市の中心都市として120万人〜140万人の人口を有する地区であり、このレポートは、その中の磐石村に帰省した北京在住者のインタビューをまとめたものと思われる。
この「楽清地区」が湖北省以外で最初の封鎖都市となった理由は、感染者の多さに起因すると思われるが、その背景として、この楽清が温州商人の独特なネットワークによる都市発展のモデルとなったとの指摘があるものの、具体的な詳細については、記述されていない。
ここには、感染者のいない磐石村が、楽清地区を一律に封鎖する地区政府の決定により、各家庭の隔離と村の封鎖という事態に余儀なくされた過程が記述されている。大晦日と新年の始まりから、感染統制の強化、封鎖の開始と脱出機会の逸失、諦観の様子など現地の様子がとてもリアルにわかるレポートだと思う。
現在中国の35都市で「都市封鎖」が検討されているとの報道もあり、今後このような事態が、中国全土で発生することが予測されている。
3月下旬から4月上旬に成都、重慶、九寨溝にいく予定で、11月に航空券を購入済みであったが、キャンセルしなければならないと思っていたところ、昨日(2月6日、キャンセル料なしで、キャンセルできることが分かり、昨日一旦キャンセルした。6月以降に延期する。致し方ない。
以下、日本語訳である。
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湖北省を除く地区で、新型コロナウイルス感染患者人数の多さに注目の集まる都市として、浙江省温州市がある。温州の東北にある楽清地区も、温州のなかでも感染者が最も多い地区である。昨晩(2月3日)午後6時、温州市楽清は、緊急通告があり、一切の対外交通を遮断し、すべての企業の操業を停止することが宣言され、楽清地区は湖北省に続く「封鎖都市」の一都市となった。
2月4日24時現在、江蘇省の累計感染確定者は、895例、そのなかで、温州は364例、楽清はそのなかで116例を占める。その後続としては、瑞安(64例)、永嘉(37例)が感染者総数の多い地区である。温州は感染者数が多く、温州商人は、各地との大変多くの関係をもつ。楽清は、温州経済モデルの発祥の地であり、市場経済の開発が早く開始され、経済活動力が極めて高く、楽清市の経済人は、他省の経済人との膨大な繋がりをもつ。
感染暴発以来,楽清の感染統制は順次強化され、界面新闻(地元紙)は、北京から新年を過ごすために楽清に帰省した黄さんのインタビューを掲載した。彼女は、現在楽清・磐石村に住み、村内には感染者はいないが、彼女が実際体験した当地における感染統制に関する強化の過程について、彼女の口述から実録を以下紹介したい。
私は、春節前に北京から新年を過ごすために楽清を訪れた。楽清は伝統民俗行事が大変多く、私はこの伝統民俗の獅子舞を見るのを楽しみに来訪した。この伝統的な獅子舞は、400年余りの歴史をもつ。春節前に古い村落「黄檀洞」に行った時、村内には綺麗に装飾された獅子を見つけ、友人は、磐石の獅子舞はとても綺麗だと言う。
感染暴発に伴って、獅子舞は当然見ることはできず、村の統制は追って強化され、益々厳格になった。磐石・西门村には、鎮守の道教寺院があり、現地人と多くの付近の人々は、除夜に参拝し、お神籤を引き、毎年の除夜は、寺院の外に駐車する車で溢れていた。しかし今年の除夜は、ことのほかもの寂しいものとなっていた。
元日(1月25日)私たちは、鎮守境内門に散歩がてらに行って見たが、出入り口は、閉ざされ、封鎖の札が貼られていた。電話連絡先が残されていたが、二日後に再びきてみたが、電話連絡先もひきはがされていた。元日は村の別の小さな道教寺院、火神の寺院などが、まだ門を開けていたが、大体正月3日(1月27日)が過ぎると、全ての道教寺院の出入り口が閉鎖された。
楽清には、各村単位に老人協会があり、友人の母も以前は毎日午後に麻雀を囲み、私の記憶では、元日と二日の午後は、友人の母はマスクを付けて一度麻雀をしに行ったが、二日は、すべての老人協会は閉鎖された。村には「武漢帰りはみだらに立ち回るな、肺炎の感染が甚だしい」「食事を少なくして、肉親でもおしゃべりするな」という横断幕が出現し、集まりを減らすことが提案され始めた。
新年7日目の1月31日、村の主要幹線道路に検問所が設置された。すべての車が通れる道はすべて封鎖され、車の移動は幹線道路に誘導され、登録制となり、体温検温が求められた。村の生鮮市場の野菜などの来場者は、体温検温が必要であり、移動屋台販売営業が禁止された。
2月2日地元人民警察は、戸籍家屋毎の登記を調査し、現在の各戸籍居住者に詳細を記入させ、武漢から温州に戻った人及び接触のある人がいるかどうかを調べにきた。たとえ既に温州を離れたとしも、春節期間に温州に戻ってきた人も登録することが必要であった。警察は更に村内に武漢から戻り、自ら隔離していない人に村内の旅館に送り、集中隔離し、観察すると告知した。同時に、村内に職員が移動車両からの放送を開始し自宅から外出しないように呼びかけた。各戸単位で毎日買い物は一回しか認められず、生鮮市場は毎日、半日営業となった。
2月3日、磐石村の道路封鎖が始まり、私の住む南門村が最初に始まり、私たちは、回り道をして、未だ封鎖されていない西門村から生鮮市場に買い物にいくことになり、生鮮価格の値上がりが増え始めた。封鎖の目的は、全ての生鮮市場に行く場合に、村の幹線道路に誘導し、統一的管理をしやすく為である。
友人のお兄さんが、この日車で居住地の蘇州に戻る予定であったが、聴くところによると、温州から蘇州に戻る全ての人は二週間の集中隔離が求められることから、彼は戻ることを断念した。私もいつ北京にもどろうかと考えたが、すべての外地住民は、村を離れると再び村に戻ることが出来ず、従ってネット予約車を呼ぶこともできず(運転手が帰れなくなる)、また村から外地に行くバスもすでに運転停止していた。飛行場にいく唯一の方法は、当地に戸籍をもつ人を探し、運転してもらうしかなく、現地人が言うには、各戸に村を外地に三度外出できる券があるという。
2月4日昼、私たちは外出せず夜になると、友人が私に楽清市が封鎖され、現地人の外出券は無効となったと告げられた。私たちは、翌日も外出せず、残りの食材を食べるつもりでいたが、封鎖の知らせを聴き、翌日には外出し、食材を買い求め、これ以降の物資欠乏のことが心配になった。
本日、午前外出したら横断幕がすこし多くなったことに気づいた。村にまだ戻って来ない外地の借家人の家屋には封鎖の札が張られていた。
村の居住民が、私たちが台車を引いて野菜を買いに行こうとすると、善意から自家制野菜をくれた。現在、磐石村はまだ感染患者がいるという話しをなく、路上はがらんとしている。私がいつ北京に帰ることがきるのかはわからない。しかし居住民の自家制野菜は、北京の市場で買う野菜に比べて、抜群に美味しいのだ。
(完)
以下、原文
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「口述」温州乐清“封城”记
界面新闻 2020-02-05 16:56:31
除了湖北省的各个地区,还有一个城市因为感染新型冠状病毒患者人数较多而颇受关注,这就是浙江省温州市。而位于温州东北部的乐清市,则是温州感染人数最多的地区。昨日晚18时,温州乐清市发布紧急通告,宣布关闭一切对外交通,所有企业停工,乐清也成为了继湖北之后又一个封城的地区。
截止2月4日24时,浙江累计确诊病例为895例,其中温州为364例,而乐清占据了其中的116例,比排在其后的瑞安市(64例)和永嘉县(37例)感染病例总和还要多。温州感染人数多,和温商遍天下有很大关系,而乐清则是温州经济模式的发祥地,市场经济发育早,也极具经济活力,这也使得乐清在外经商的人数庞大。
疫情爆发以来,乐清的疫情管控也逐渐升级,界面新闻连线了一位今年专程从北京来乐清过年的黄女士,她目前居住在乐清市磐石镇,镇子里目前没有感染者,但她切身体会到了当地疫情管理的逐渐升级,以下是她的口述实录。
我是春节前从北京来乐清过年的,乐清这边民俗活动很多,我本来盼着可以看传统民俗首饰龙灯,这种民俗至今已经有400多年的历史了。节前去古村落黄檀洞的时候,看到了村子里做好的首饰龙,朋友说磐石的更好看。
后来随着疫情的爆发,龙灯当然是看不成了,镇子上的管控也逐步升级,越来越严格。磐石西门村有座城隍庙,当地人和很多附近镇市的人都会选择除夕的时候去拜拜和抽签,每年除夕城隍庙外面停满的车子。但是今年除夕格外萧条。初一我们散步走到城隍庙门口,大门紧闭,只是贴了个条子,留了个电话,过了两天再去,电话也被撕掉了。初一那天镇子上还有个别小道场开着门,比如火神庙,大概两三天后,所有的道场都大门紧闭。
乐清每个村子都有老人协会,朋友的妈妈以前每天下午会去搓麻将,我记得大年初一或初二的下午朋友妈妈还戴着口罩去搓了一次麻将,第二天就宣布所有的老人协会都关掉了。接着镇子上开始出现诸如“武汉回来别乱跑,传染肺炎不得了”“少吃一顿饭,亲情不会淡”的横幅,建议大家减少聚众。
到了大年初七也就是1月31日,镇子上开始在主干道设立关卡,所有可以开车的小路全部封闭,开车出入需要走进村大道,接受登记,测量体温。去镇子上的菜市场买菜,也都全部需要测量体温,而流动摊贩开始被管制,禁止街边摆摊经营。
2月3日,磐石镇开始封路,从我居住的南门村最先开始,我们需要绕道到尚未封路的西门村去菜市场买菜,菜价也升高了不少。封路的目的是要所有人去菜市场都走进村大道,方便统一管理。本来朋友的哥哥打算在这一天开车回居住地苏州,但是听说从温州返回苏州的所有人都要集中隔离两周,他又打消了返回的念头。而我也在盘算何时返京,但因为所有外地人离开镇子后都不能返回,所以也不可能叫到网约车,出镇子的小巴很早已经停运。所以去机场的唯一方法就是找本地户籍的人开车出去,而当地人说每户只能出镇子三次,凭出门条。
2月4日白天,我们没有出门,到了晚上,朋友告诉我乐清封城了,所以本地人的开车出门条也作废了。本来我们打算第二天不出门的,先把家里的余粮吃一吃,但是封城的消息来了之后,我们还是决定第二天去进行一番采购,担心后面会有物资匮乏的问题。
今天上午再出门,就发现横幅又多了一些,而镇子上所有尚未返回的外地租户的房屋都被贴上了封条。去菜场的路上设了路障,出去可以,但是回来要查身份证的,不是本地居民一概不能进入,而且还要严格确认每一户的出门次数,于是我就彻底不能再去市场上买菜了。
镇子上的邻居看到我们拉着推车去买菜,好心送了我们些自家种的蔬菜。目前磐石镇还没听说有感染病例,街道上空荡荡的,我不知道什么时候可以返回北京,不过邻居们地里种的菜比北京市场上买回来的倒是好吃很多。
by inmylife-after60
| 2020-02-07 17:21
| 中国事情
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