2020年 03月 21日
日本は何故コロナウイルス検査が抑制されるのか? |
日本は何故コロナウイルス検査が抑制されるのか?
3月11日 WHO事務局長は、新型コロナウイルスによる肺炎の感染拡大について、世界的な大流行を意味する「パンデミックと呼べる状態だ」と述べ、パンデミックを宣言した。
日本は、1月16日の感染事例以降、新型コロナウイルス感染対処は、帰国者接触者相談センター→指定病院(非公開)医師→保健所判断→行政検査(全国感染研、地域衛生研、保健所)→指定病院(非公開)医師ルートで検査を抑制する方針をとった。
2月27日安倍首相は、3月8日より保険適用化を図り、クリニックからの民間検査機関への検体検査が可能とする態勢に移行すると表明したが、その後の衆院審議で、厚労省によって保険適用=検査自由化ではなく、行政か民間かに関わりなく、指定病院医師の判断以外のPCR検査は応じないとのこれまで通りの態勢に後退を余儀なくされた。
現状の検査態勢は、1日当たりの検体PCR検査キャパシティを8000件にまで拡大していると言うが、未だに1日当たりの検体処理数は1500件前後で推移しており、韓国、台湾など東アジア諸国の検査数に比べでも、桁違いの少なさである。医師からの検査依頼に対して90%が拒否されているとも言われている。今後の方針も「爆発的な感染」がない限り、変更されないと思われる。
この理由とされるのが、御用学者と御用評論家が口にする「検査を増やすと医療崩壊が起こる」との言説である。
医療崩壊を防ぐに、高齢者や基礎疾患のあるリスクの高い人には発熱した初期の段階で解熱剤、輸血、点滴などで体力を温存し、免疫を強めることで重篤化を避けることが必要であり、そのためには、検査態勢を整え、陽性の場合には患者毎のフェーズ別に対処方針を明確にすることが必要なはずである。
その上で、医療環境を勘案して、自宅養生、隔離、入院I(一般治療)、入院II(緊急処置治療)というフェーズ別に治療と処置を継続することである。
早期検査と医療崩壊とはそもそも、全く異なる問題であり、これを一緒にして論議することから、混乱が起きており、むしろ医療崩壊を回避し、重篤化による死者を最小化するには、発熱患者への早期検査機会の提供こそ不可欠な対処である。
しかし、その後の世界的な感染拡大に伴い、韓国・イラン・イタリアなどの感染爆発国に比べて、日本は、他国とは異なる有効な対処政策を選択し、爆発的な感染を抑制してきており、それはいわば、医療崩壊を回避しながら感染拡大を制御する日本型モデルである等という言説が報道され、「日本が凄い!」コールの様相を呈している。
そこで、なぜ日本はこのような発熱患者への検査機会を抑制するのか、そこにはどのような歴史的経緯と構造があるのかを改めて検証することが不可欠と判断した。
ここでは、日本の医学界のもつ中国戦線で「細菌戦と人体実験」を遂行した関東軍731部隊との関わりから、今日の日本の感染症対策の現状について考えてみたい。
その内容は、2017年5月に刊行された加藤哲郎著の「飽食した悪魔の戦後〜731部隊と二木秀雄「政界ジープ」(花伝社)」の記述に基づくものである。
この著作の目的は、部隊長石井四郎による関東軍731部隊が、ソ連の対日参戦に伴い、いち早く満州から帰国し、連合国による天皇の戦犯訴追を回避するために行った隠蔽の行状、戦後の731部隊組織の存続にむけた準備、戦後日本における一時的拠点(金沢)の設置と隊員間ネッワークの形成、GHQに対する731部隊の隠蔽と防衛・戦犯免責・実社会への復権のプロセスとその人脈に関する実証と論考にある。
日本政府の今日における感染症と防疫は、戦後GHQが深く関わっており、戦後の医療・疾病予防・感染対策の組織構造が今日の医療現場の予防・感染・治療を支配するという相互補完性を形成しており、日本の感染症対処の現状を分析するには不可欠と言える。
731部隊に係る記述は戦後に生起した様々な事件(帝銀事件・ミドリ十字・薬害エイズなど)を知る上でとても示唆に富む著作であり、戦後現代史を理解する上でも一読に価する。
以下戦後GHQ占領政策と日本の731部隊関係者の医学界への介在と復帰に関する指摘について紹介する。
1)憲法第25条との関わり
日本国憲法第25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と明記されている。
前半の条文は、もともとのGHQ案文にはなく、1945年12月の高野岩三郎らの民間憲法草案に準拠し、その下敷きは、ワイマール憲法151条1項を基にしたものであり、後段の国の責任に関する条文は、GHQ公衆衛生福祉局サムス局長の起案だった。
2)GHQと731部隊関係者による原爆調査、感染病対策との関わり
GHQ公衆衛生福祉局サムス局長の第一義的任務は、連合国兵士の生命と健康を守ることであり、敗者である日本の民衆に施された施策として有名なのが、その後環境汚染物資とされる有機塩素系殺虫剤DDTの撒布であった。
また、サムス局長の任務でもある原爆被害調査と感染症対策には731部隊関係者の協力を必要する一方で、731部隊関係者の自らの免罪と復権を狙う意図と利害が一致していた。
一つめの原爆被害調査は、米軍関係者の放射能被曝を回避するために日本人協力者が不可欠であり、被曝者救済を名目とする被曝者の生体被曝データの完全回収にあった。
もう一つは、伝染病と感染症(天然痘、発疹チフス、赤痢、腸チフス、パラチフス、ジフテリア、コレラ、日本脳炎、ポリオ、性病、結核など)に対する殺菌、ワクチン、予防接種、DTT、BCG、ペニシリンなどの治療とワクチン製造への731部隊関係医師と医学者の動員であった。
3)東大伝染病研究所・国立予防衛生研究所と731部隊関係者の関わり
敗戦直後の日本は、全国の最先端細菌学・生理学者を集めた「陸軍防疫給水部」と関東軍所属の731部隊のほかに、東京帝大伝染病研究所(伝研)があり、ワクチン研究・製造と製剤の検査を行っていた。
GHQは、1947年伝研を、東大に残置し1967年に改称される医科研と、ワクチン検定の研究業務を担う厚生省管轄の予防衛生研究所(予研)に分割する。予研は、原爆調査も担当し、49年に国立予防衛生研究所に、1997年に現国立感染症研究所となった。
伝研と予研は、何れも、731部隊関係者が重要な役割を果たす。伝研は、もともと、731部隊第二代隊長の北野政次の出身母体であり、若手研究者を中国東北部ハルピン(731部隊所在地)に送った。日本医学界の重鎮は、戦後伝研に籍をおいた。一部が伝研から予研に移動し、予研の中心は731部隊関係者が多い。サムスによる日本人医師と医学者を使った伝染病、感染病対策は、もともとこの分野で君臨してきた731部隊関係者の戦後の復活基盤を形成することとなった。
4)厚生省の発足と731部隊関係者の公職者の関わり
厚生省は、もともと1938年に内務省から独立した、戦争遂行のための国家機関であった。戦争遂行と治安維持のための体力育成(体育)と疾病・伝染病対策、戦傷者・遺族対策を任務とした。日米開戦時の大臣は、石井四郎の強力な支援者であり、731部隊創立の立役者であった。
医学教育を含む改革には、医療行政を担う専門家の助言が必要であり、そこに戦前の大学病院を中心とした医学者と医師のハイアラキーが色濃く継承された。
731部隊の掟の一つとして石井隊長が731部隊の撤退の際に語った「あらゆる公職に就くな」は、形骸化し、全国の大学医学部と医科大学の教授たちはもともと731部隊の協力者であり、弟子を731部隊に送り出していたことから、技師などの資格で、人体実験・細菌戦に携わった第一線研究者の多数が大学研究室とアカデミズムに復権していった。
以上のことを踏まえた上で、今日における発熱患者の検査が抑制される原因について指摘しておきたい。
現状の日本の検査態勢は、検体検査キッドの不足、検体採取に伴う感染防止環境(N95医療用マスク、ゴーグル、防護服、消毒薬など)の不備、陽性重篤患者受入れ病床の制約など、その殆どが日本の医療態勢の不備と貧困によるものであり、その病根は以下にある。
1)感染研は、その発祥から明らかなようにワクチン調査と研究および開発に関わる研究機関であり、ワクチン検査を独占し、民間への検査委託を極力排除するとの意思を持たざるをえない機関であること。
2)厚生労働省の厚生部門は、憲法25条(健康で文化的な最低限度の生活)を担う役割を持ち、「公衆衛生の向上及び増進」を担う部門でありながら、その具体的準備と対応を怠り、医療崩壊を声高に叫び、検査を抑制するしか対応する術がない状況にあること。
3)日本の感染症対策は、肺炎への疑念をもつ発熱患者本位からの検査・治療の整備を志向することなく、国民の健康と命に関わる「安全保障」を放棄する施策にならざるを得ない現状にあること。
(完)
by inmylife-after60
| 2020-03-21 21:49
| コロナウイルス
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