2020年 08月 08日
日本のPCR検査をめぐる二つの誤りについて |
日本のPCR検査をめぐる二つの誤りについて
〜いそがばまわれ〜
日本は、コロナ感染に伴い海外では一般的に行われている「PCR 」検査が世界的にも検査数量が極端に少なく、発展途上国並の150位前後であるとの指摘もある程だ。
その背景として日本は重篤者数と死者数が欧米に比べて少なく、あえて有症者以外を対象とする希望者へのPCR検査の拡大をしなくとも、充分にコロナを抑止できたとする「日本モデルの成功」論調とともに、PCR検査精度の限界を根拠に財源と医療資源との費用対効果から、有症患者以外を対象にしたPCR検査に慎重にすべきとする論議も少なくない。テレビのキャスターにもこの確信犯がいて、慎重どころかやる意味がないと吹聴する有様だ。
それどころか、8月7日の東京新聞にも、鈴木穣論説委員の「PCR検査の活用〜精度に限界、過信は禁物」との論説記事が掲載された。この記事は、「感染している確率の低い人を対象にするには不向きな検査だ」といい、「感染者を陽性と判定する能力(感度)がよくて70%、非感染者を陰性と判定する能力(特異度)が99%台である」ことをその論拠として挙げ、とりわけ特異度で0.1%だとしても規模が拡大すると、百万人なら千人の規模で偽陽性者が発生し、感染を広げ、入院や待機措置に伴う医療が提供できなくなるという。
この論旨に対して、本日(8月8日)しんぶん赤旗に掲載された渋谷健司教授のインタビュー記事は、上記の「PCR検査」精度に関して、二つの誤りがあるとして以下のように解説されていた。
ひとつはPCR検査の精度は普通の検査とは違う高い精度をもつことを無視した論議であること、もう一つは、PCR検査の目的性とは異なる論議であることと指摘する。
まず一つ目の精度だが、日本医師会の有識者タスクフォース会議で、特異度は100%に近いと認定されていると言う。つまりPCR検査は、微量の遺伝子を増幅させて判定するもので、特異度は100%であって、人為的ミスを除けば、偽陽性はありえないという。
二つ目は、臨床診断上の「偽陽性」と「偽陰性」の考え方とは異なる目的で検査するという点を理解していないことに起因するという。つまり、いま求められているPCR検査の目的は「ウイルスの存在が検出されば、感染の可能性があり、検出されなければ、感染させない」という感染制御と社会経済活動再開基盤の整備が目的であり、臨床診断とは異なるという指摘である。それは、PCR検査をウイルスそのものの存否を検出する秤量(ひょうりょう:秤で測ること)であるという本質を忘れた論議だという。
私が理解したのは、PCR検査の陽性判定精度(感度)が70%だとしても、陰性判定精度(特異度)が100%であれば、無症状の保菌者ではないことが判明し、他者に感染させる恐れがないと証明され、後は自らの感染しない対策に専念することによって社会的参加基盤を形成することができるのだと思う。もちろん一回の検査ですまないので、一定の頻度が必要だろう。すくなくもエピセンター周辺地域でこれを実施すれば、感染抑止に充分効果が発揮できるはずだ。
いま日本は、4月7日から5月25日までの外出禁止による感染抑制効果が政権の無策と不作為で気泡に帰そうとしている。政権の経済社会の再開への思惑が逆に7月下旬以降の急激な感染拡大を招き、感染不安による巣ごもり回帰によって、経済社会の再生の途が遠のき、人びとの暮らしの糧と希望が奪われ、一層の景気後退を誘発するという完璧な負のスパイラルの道を歩んでいると言う他ない。
このスパイラルから脱するにはPCR検査の拡大こそ王道である。「いそがばまわれ」である。
by inmylife-after60
| 2020-08-08 12:59
| コロナウイルス
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Comments(2)

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kataさんへ
当日8月8日赤旗一面左に「聴き手 中祖寅一」とあります。記事内容は本人との査読を経ないままに聴き手が書いたものかどうかは当方にはわかりません。赤旗編集部にご確認ください。
当日8月8日赤旗一面左に「聴き手 中祖寅一」とあります。記事内容は本人との査読を経ないままに聴き手が書いたものかどうかは当方にはわかりません。赤旗編集部にご確認ください。
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