2020年 12月 31日
「日本のコロナ対策はなぜ迷走するのか」を読む |
「日本のコロナ対策はなぜ迷走するのか」を読む
毎日新聞社出版
上 昌広
2020年11月30日発行
日本のPCR検査の、6月末時点の1000人あたりの検査件数は、米国97.30人、イタリア89.15人、英国89.64人、シンガポール70.83人、ドイツ70.10人、韓国24.44人に対して、日本は、5.30人であった。
さすがにその少なさに気がついた安倍首相は、5月4日にこれを「目詰まり」と指摘したが、そのご検査体制の新たな施策への転換の兆しも見えないまま、病気を理由に退任してしまった。
その後任として霞ヶ関官僚の人事を握る菅官房長官が首班を引き継いだ菅政権は、感染症対策の推進に執着するどころか、真逆の「GOTOトラベル・イート」に注進し、本日(大晦日)の東京の感染者数は、遂に1000人の大台を超えて1337人を数えたという。
本書は、何故日本の感染症対策が迷走し、政府の感染予防策としてのPCR検査に消極的なのかを明かにし、その組織の体質を鋭く分析する視点と、現状の根源を明らかにしており、その内容をここに紹介したい。
日本は、泥縄式弥縫策に喘ぐドン底状態にあり、感染の終息どころか、日銀と年金基金の日本株の購入によって株価が上がるだけで、実体経済の回復を展望する兆しさえ掴めていない。戦前から今日に至る厚労省と感染症対策コンセプトとそのパラダイムを変えない限り、日本の感染症克服の展望も望めないのは自明だ。
2021年がこの閉塞状態を転換する年になることを期待したい。
【東アジアで「日本のひとり負け」】
官邸スタッフは、「新型コロナ民間臨調」ヒヤリングに、「泥縄だったが、結果オーライ」と総括し、安倍前首相は、感染者数と死者数ともに欧米に比べて少なく済んだことついて、「これが日本モデル」と胸を張ったが、私は、東アジアで「日本のひとり負け」という厳しい厳しい認識を持つという。2020年4−6月データを見れば、東アジアでこれだけGDP(▲7.9%)が下がった国はない。まだ人口10万当たりの死亡率(0.77人)も、東アジアに限定すれば、これもひとり負けという。
落ち込みの原因は一言に言えば、PCR検査が貧弱なため国民の不安解消につながらず、それが経済活動の停滞を招いたとした上で、PCR検査をどこでも誰でも何度でも、安価に受けられる体制を作ることが最も早道だという。
自分が陽性か陰性か、相手が陰性か陽性かを知って、人々は、初めて安心を得るのです。検査体制を抜きに、経済活動だけを煽っても効果がでる訳がありません。データがそれを物語っていると。
実はこれは、1990年代の金融バブルの崩壊で経験蟻地獄のような資産バブル時の最大の失策は、不良債権の実態をひた隠しに、情報開示、オープンにしなかったこと、つまり、個別状況も全体状況も明かにすることなく、曖昧のまま、いずれ地価が上がり、いい方向に向かうだろうという根拠なき願望と当局への情報開示への消極姿勢がそうさせた部分がこれがひたすら企業の経済活動を萎縮させてしまったという。
【PCR検査は何故増えないのか】
これは端的に言えば人災である。現行の感染症法で、検査対象を濃厚接触者に限定している部分を無症状者にまで広げられるようにすればいいだけだからだ。何故限定しているのか?これは、この検査を特定の組織、団体だけで利権化しよいとする動機があるからだと睨んでいる。日本では、本当の意味での国民主権の論議をしていないのではないかという問題提起だ。
例えば、エッセンシャルワーカー(社会で必要不可欠な労働者)である医師、看護師、介護職、学校教員、警察官、自衛隊などこういう方々こそ、率先してPCR検査を受ける権利があるはずだと思いませんか。彼らを検査対象に加えるためには感染症法の改正が必要になるのですが、これに強硬に反対したのは、厚労省であり、その官僚に担がれた加藤勝信、田村憲久厚労相だ。
それからもう一つ、無症状感染者にも隔離される権利というものがあります。家には家族がいたり、高齢者がいたり、妊婦がいたり、子供がいたりすれば、移すと困ります。従って、病院でも家でもないところに隔離される権利があるという。無症状患者も症状のある人と同じくらいウイルスを出すことがわかっているからだ。
7月から9月に新宿歌舞伎町でPCRのスポット検査(5000人規模)を始めたが、これは感染症法にある「濃厚接触者」を拡大解釈して実施した検査であり、予算措置でした。拡大解釈とは温情的措置に過ぎない。国民には、検査を受ける権利、隔離される権利、治療を受ける権利がある。まず感染症法で、「濃厚接触者」の検査対象者を広げ、検査を医療機関や民間検査会社の検査を認め、公費を入れるとはっきり書いてもらいたい。それは、ホテル、あるいは療養機関、つまり病院以外の療養期間に公費を入れるということだ。
【「専門家会議(分科会)と感染研」の系譜】
専門家会議の議事録を作成されていない。これは日本の医療行政の宿痾(永く直らない病気)です。彼らに共通するのは、患者と直接向き合う臨床医ではないことです。彼らが予算をくれる役人に迎合するのは、当たり前のことだ。
副座長の尾身茂氏は、「設備や人員の制約のために、全ての人にPCR検査をすることはできません。急速な感染拡大に備え、限られたPCR検査の資源を重症化の恐れのある方の検査のために集中することが必要」と述べた。PCR検査増やすことで感染状況を正確に把握して、抜本的な対策を取ろうという国際標準的な構えとは全くことなる。
なぜPCR検査の拡大志向がないのかと言えば、それは簡単です。検査数が増えれば、感染研と保健所の処理能力を超えるからです。感染研は「研究所」なのです。つまり、現在のPCR検査が、形式上は「研究事業」の延長だからこそ、臨床医がPCR検査を必要としても断ることができると言う。可笑しな基準(高齢者は、2日以上の高熱で相談を)が設定されるのは、そのためだ。
現状の専門家会議は、言わば、日本帝国陸海軍の亡霊を見るようなものだ。専門家会議のメンバーは、感染研、医科研、国立医療センター、そして、慈恵医大と言う4つの組織に関わりがある。専門家会議は、12人だが、日本医師会、日本感染症学会、弁護士を除く9名の内、8名がこの組の関係者だ。
まず、その前身を戦後設立された「国立予防衛生研究所」(予研)とする感染研について言えば、これは、戦後GHQにより「伝染病研究所(伝研)から分離・独立した組織であり、伝研は、東京大学に医科研として再編される。いずれもそのルーツは、陸軍と関係を内包し、伝研から分離された感染研の幹部は、陸軍防疫部部隊(関東軍防疫給水部=731部隊)の関係者が名を連ねている。
次の国立国際医療研究センター(国立医療センター)は、明治元年に設置された「兵隊仮病院」に始まり、1936年に「東京第一陸軍病院」と改称され、戦後帝国陸軍が解体されると、厚生省に移管され、1993年に「国立国際医療センター」へ、2010年に独立法人され、現在に至る。医療センターに限らず、多くの国立病院の前身は、陸海軍の医療機関でした。例えば、「国立がん県級センターは、海軍軍医学校で、1908年に港区芝から中央区築地に移転された。
慈恵医大は、海軍軍医学校の創設者の一人である高木兼寛という人物にからみます。高木は、戊辰戦争で薩摩藩の軍医として従軍、海軍軍医の最高位である海軍軍医総監を務めた。この高木が中心になって1889年に「医術開業試験」の受験予備校(乙種医学校)である「成医会講習所」を設立したが、これが1903年に専門学校令を受けて、日本初の私立医学専門学校として「東京慈恵医院専門学校」となり、これが現在の慈恵医大である。慈恵医大は、海軍との関係が深く、明治期の海軍軍医総監の大部分は、成医会講習所の関係者で占められる。
【陸海軍との深い関わりのある組織の特性】
軍の特性とは何か、二つある。「情報不開示体質」と「自前主義」である。敵軍と対峙する前提の軍隊には、情報開示は求められない。軍事は高度に専門的であり、政治家には理解できないことが多く、暴走を許してしまう。統帥権を盾に暴走した帝国陸海軍の末路にそれがよく現れている。専門家会議が議事録を残さないというも不開示体質が残っているような気がしてならない。
もう一つの自前主義は、軍医のからすれば、治療薬やワクチンを自前で調達しなけければならないという意識にあらわれてくる。その一つがワクチンの製造である。軍隊にとってワクチン確保は重要課題であり、陸海軍は、伝研と協力して、ワクチンを確保してきた。
インフルエンザワクチンの開発は通常とは全く異なるやり方である。毎年感染研が海外からウイルス株を入手し、数社の国内メーカーに配布、その培養結果を感染研が取りまとめ、最適株を国内メーカーに配布し、メーカーはワクチンを製造し、感染研が最終評価を下す。感染研には、その対価として、施設設備費と試験研究費という形で、税金が投入されるのである。この金が感染研の経営を支えていると言われている。
通常の医薬品は、処方量に応じて医療機関に対価が支払われる。処方量を増やして欲しい製薬企業は、顧客である医師の機嫌を伺うのに対して、感染研は、医師より、政府と与党を気にするようになる。
感染研に対価として、投入される税金は、一種利権化し、軍を中心とした戦前のワクチン開発・提供体制が形を変えて生き延びています。ワクチン開発という最も成長の期待される分野で日本の競争力を停滞させている。
何故インフルエンザワクチンの開発は通常の医薬品と異なるのか。感染研は「特殊製剤で、特別な品質管理が求められる」というが、この説明を真に受ける人はいない。これは戦前から続く利権が残っているからだ。
現在、国内でインフルエンザワクチンを製造しているのは「第一三共」「kMB」「デンカ生研」「阪大微生物病研究会(BIKEN財団)。これらは伝研に近い存在であり、コレラなどのワクチンを製造し、軍に提供してきた。軍を中心とする戦前のワクチンのルートがそのまま残っていることがわかる。
【感染症ムラの今日の構図】
現在の感染症対策を仕切るのは、厚労省健康局結核感染症課と感染研、保健所・地域衛生研究所である。新型コロナウイルスのような新病原体が発生した時に、厚労省で窓口になるのが「結核感染症課」で、検疫法と感染症法を所轄する。日本の新型感染症対策は、この二つの法律を根拠に実施される。
所轄は、大臣官房厚生科学課で、健康局結核感染症課の指揮下で、感染症対策を行う。健康局結核感染症課と感染研とはどのような関係にあるかといえば、それは、「振興・再興感染症及び予防接種政策推進研究事業」への研究費給付に現れており、感染研研究者が受け取る総額が全体の41%を占め、そこに感染研OBも含まれ、彼らの所属組織は、地方自治体が運営する検査機関の地方衛生研究所(地衛研)であり、感染研の有力な天下り先になっているのが実態である。
つまり、地衛研は、地方自治体の設置機関だが、トップは、感染症ムラが仕切っている。地方からPCR検査の要望が出ても、なかなか進まないのは、そういう背景もあった。
【戦犯は誰か?医系技官の罪と罰】
日本の感染症対策の初動で2つのミスがあった。
まず1月17日である。前日の16日武漢から渡航した日本在住の中国人男性(日本初の感染者)への厚労省による積極的免疫調査の開始指示と感染研の実施要領を公開した日である。
積極的免疫調査とは、感染者が確認されたら、その範囲の濃厚接触者も探し出し、検査し、感染が確認されれば、感染症法に基づき、強制入院させ、そうでなければ、一定期間の自宅待機を要請する措置のことである。
この方法は、特徴的な症状を呈するコレラやペストなどの感染症には有効で見逃すことはないが、無症状感染者が出てくる全く系統の異なる新型コロナウイルスに対する今回のやり方では、検査を中国から帰国した感染者と濃厚接触者に限定することになり、潜伏期や不顕性感染の患者を検査対象から漏らし、そこからの感染ルートを野放しにすることになってしまった。
次が1月28日である。厚労省が新型コロナを感染症法の「二類感染症並み」に政令指定した。SARS、MERSと同じ2類指定したことによって、医学的に入院の必要性のなくとも、強制入院させることになってしまったのである。新型コロナは、潜伏期間が長く、無症状者と軽症者が多く、一部が重症化するという特性を念頭においた対応にはなっていなかった。確かに濃厚接触者には徹底的に検査されましたが、濃厚接触者という要件から外れた一般の発熱患者にはPCR検査を厳しく抑制することになってしまったのである。
28日の2類指定の問題が大きい。つまり、濃厚接触者に限定してPCR検査を優先するとした路線を切り替える機会を自ら逃し、無症状者や軽症者を自宅やホテルという病院以外で隔離するという道を法的に閉ざすことになったからである。
この段階で、新型コロナ対策は、濃厚接触者の塊を徹底的に追跡するクラスター班を主体とする「クラスター一本足打法」になり、一般的な発熱患者が検査を求めても順番が来ず、或いは拒否されるという日本的悲劇が生まれたからだ。無症状感染者からの市中感染拡大という視点が蔑ろにされたのである。
何時、無症状感染者問題は何時判明したかと言えば、1月24日である。香港大学の研究者が英国「ランセント」誌にその存在を報告していた。世界最高水準の学術5大誌の中で、査読制の週刊医学雑誌の情報は、特に重要であり、日本の当局がこの指摘を見逃し、フォローできていなかったと言えます。まともな対策など打てるはずがない。
1月30日、武漢からの帰国者に無症状の感染者がいることが判明した。厚労省が、日下英司結核感染症課長が急遽緊急記者会見を開き、「新たな事態」の発生という認識を示した上で、「潜服期間に他の人に感染させることも念頭において、対策を取らねばならない」とまで言ったが、路線の変更はなかったのである。
問題は、その後の厚労省の頑な姿勢である。4月2日までPCR検査充実の声が巻き起こっても、専門家会議も厚労省も自民厚労族も「医療現場の崩壊防止」を印籠に尽く封じ込んできた。4月2日になってやっと、軽症者に自宅、宿泊療養を認めるマニュアルを出したのである。何故か、経路不明者の市中感染が増えれば、PCR検査拡大の必要制を認めることになりクラスター調査班がいらなくなってしまうことを恐れたからだ。つまり「クラスター一本足打法」を続ける方が関係者には都合が良かったのだ。
関係者とは、まず、感染研と専門家会議だ。彼らは、クラスター関連予算増で利権を温存し、2月13日の総額153億円のコロナ緊急対策予算として30億強が計上されて、これはクラスター対策班経費でした。同時に感染研に対して、研究開発費として、10億弱の予算がついた。年間予算62億弱の組織として少なくない予算だ。PCR検査を拡大すると、一般のクリニックや民間検査会社任せになり、出番がなくなるからだ。
厚労省は、ただひたすら法と政症例に従がい、前例踏襲型行政をすれば良いだけ。行政改革で減らされた保健所を見直される機会となり、保健所長は、厚労省医系技の重要な天下りポストだからです。安倍政権にとっても東京五輪を予定通り開催するためには、感染者数を抑えるには検査抑制は悪い話ではなかったのだ。
「新型コロナ民間臨調報告書」では、ヒヤリングに対して、安倍一強をも出し抜いて、厚労省によるマル秘ペーパーを以下の様に紹介している。
「補足:不安解消のために、希望者に広く検査を受けられるようにすべきとの主張について」と題し、「自分がコロナ ウイルス感染症に罹っていないか不安に思っている人が多いため、無症状者を含めて広く希望者にPCR検査を受けられるようにすべきではないかとの意見がある。しかしながら、PCR検査は、100%の感度、特異性を持たない以上、広範な検査の実施には問題がある」として、偽陽性から生じる問題として医療崩壊を招く可能性に言及し、偽陽性から生じる問題についてかえって感染を拡大させるとして、「従って、医師と保健所によって、必要と見られる者に対して検査を実施することが必要」と結論付ている。
これに対して、著者の見解として、科学雑誌「ネイチャー」に発表されているように、「仮に3割のエラーが出るとして、2回PCR検査を受ければ、エラーとなる確率は9%、3回受ければ、1%以下になる。何度も検査すれば良い」と解説している。
「検査抑制の罪と罰」の罰から言えば、検査を受けられずに亡くなった方々である。しかし最大の国民的負の後遺症は、正確なデータに関するエビデンスを欠いているために、何時迄経っても感染の全体像が把握できないこと、その結果として説得力のある出口戦略ができないことである。
その他にも、罰が二つある。一つは、「超過死亡」データである。それによると、2月、3月の東京都の死亡者数は、例年より、1週間当たり50人から60人多く、4月第1週から減っている。厚労省は、2月、3月は、クラスター作戦が感染抑制に成功して、3月末に欧州からのウイルスが感染者増に繋がったというが、それは自己正当化に過ぎない。
もう一つは、日本では、PCR検査の抑制で医師と看護師らを初め、介護、保育、教育などの接触回避が困難な職種のエッセンシャルワーカー達をまもる体制もできていなかったということである。
誰が戦犯かと言えば、厚労省だ。当時その任にあった鈴木俊彦事務次官、鈴木泰裕医務技監、コロナ対策課長日下秀司課長、加藤勝信厚労相の4人。あえて一人付け加えれば、宮嵜雅則健康局長である。
(完)
by inmylife-after60
| 2020-12-31 22:09
| コロナウイルス
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