現代の中国をどう見るか〜その分水嶺について |
現代中国をどう見るか〜その分水嶺について
中国で発禁処分となった「中国現代化の落とし穴」(2002年12月)と題するこの本は、中国の改革開放
以降の中国資本主義の「原始的蓄積」と「社会主義市場経済」との相互関係をリアルに記述されており、アマゾン
は10円という評価だが、現代中国を理解する必読文献の一つだと思う。
ここでは、現代中国(1945年)以降の政治経済動向の足跡を踏まえて、現代中国を理解する上で必要な統計資料から「社会主義市場経済」の輪郭を示し、中国の社会・経済状況を紹介します
中国の全体的な社会状況の変遷を①土地所有制度②戸籍制度③社会保障制度④財政制度⑤税制制度⑥証券株式の変遷を見ながら、現状を明らかにする。最後に中国社会をどう見るかの分水嶺について提起します。
I 建国以来の政治・財政・経済略史
第1期:1945年~1955年
47年:中共満州に人民政府樹立。土地法大綱で土地所有権を廃止。
49年:中華人民共和国建国 「政治協商会議共同綱領」
50年:朝鮮戦争介入
52年:「三反五反運動」(公務員汚職摘発)
53年:『食料の計画買付けと計画供給の実行に関する命令』
54年:金門馬祖砲撃。中華人民共和国憲法発布(生産手段の集団所有・国有化)
55年:ソ連、旅順・大連を返還。第一次5カ年計画決定
「農業合作化の問題について」発表
第2期: 1956年~1965年
56年:社会主義革命の基礎的完成。「百花斉放・百家争鳴」提唱。
57年:反右派闘争(百花斉放・百家争鳴で出された異論を封殺)
58年:強大な社会主義国建設:「大躍進運動」。人民公社設立決議。
「戸籍登記条例」制定
59年:各地で飢饉。廬山会議(彭徳懐解任)3年間餓死者、人食横行。
2000万人以上の餓死者
62年:毛沢東、大躍進を自己批判。劉少奇・鄧小平体制へ。自由市場容認。
第3期: 1965年~1977年
66年:プロレタリア文化大革命発動。紅衛兵登場。
68年:劉少奇追放決議
69年:中ソウスリー国境衝突。毛沢東・林彪体制。林彪後継指名。新疆中ソ衝突。
71年:林彪クーデター未遂事件。中華人民共和国国連加盟、台湾離脱。
72年:米中共同声明(台湾を中国帰属とする)。日中国交正常化調印。
73年:邓小平復活。四人組台頭。
74年:中・ベト西沙諸島交戦
75年:「4つの現代化」決定(農業・工業・国防・科学技術)
76年:周恩来死去。第一次天安門事件(軍警による民衆弾圧。鄧小平解任)。
毛沢東死去。江青四人組逮捕。
77年:「四人組永久追放・邓小平復活」。文革終了宣言。
第4期:1977年~1991年
78年:農村の「農家請負制」。(11月安徽省鳳陽県小崗村)
第11期3中全会「4つの近代化」(経済の改革開放)。
80年:経済特別区設置(深圳・珠海・汕頭・廈門 )1ドル=1.5元
国有・集団所有企業で株式発行を試験的に実施(撫順・成都)
81年:「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」(劉少奇名誉回復)
82年:憲法改正。人民公社廃止。
84年:「経済体制改革についての中共中央の決定」(所有権と経営権の分離)
香港返還合意。
85年:沿海開放地帯(長江、珠江デルタ3地帯)制定。人民公社解体完了。
生産財の「二重価格制」導入. 12期全人代憲法改正(終身制廃止)
長期間戸籍を離れた者の居住地にて「暫定人口」を登録。
86年:土地管理法制定(人民所有と農地集団所有)
87年:第13回党大会で改革開放路線推進を決議。国営企業に経営請負責任制導入。
88年:チベット自治区ラサ騒乱。
89年:チベットラサ戒厳令発令。第二次天安門事件。江沢民体制へ移行。
90年:北京(天安門事件)戒厳令解除。上海に初の証券取引所開設。
91年:台湾、対中内戦終結宣言。
第5期 1992年~2001年
92年:邓小平南巡講和。領海法採択(尖閣、南沙、中沙、西沙領海明記)
93年:「社会主義市場経済体制の構築における若干の問題に関する決定」
「社会主義市場経済」(国有企業の経営権確立、株式・各種市場の育成)
「藍印戸籍」(準都市戸籍)制度の導入。第10回大会江沢民国家主席就任。
94年:人民元レートを一本化し、ドルベッグ変動相場制へ移行。1ドル8.7元。
分税制改革:増値税・消費税・営業税の流通税構築
95年:WTOオブザーバー資格取得。
97年:株式制導入改革推進。1ドル=8.3元
98年:戸籍管理改革の実施:新生児は両親のどちらも可。都市居住者(投資、起
業、住宅購入)非農業戸籍への転換申請可能へ
99年:証券法制定。西部(四川・チベット内陸部)大開発。
01年:中国・台湾WTO加盟。「小都市戸籍」改革
第6期 2002年~2012年
02年:第16回大会胡錦濤総書記(03年国家主席)。「3つの代表」党規約改正
03年:広州SARS発生。三峡ダム貯水開始。
04年:全人代常務委員会「憲法改正案」上程。私有財産の不可侵明記。
05年:「反分裂国家法」台湾独立への非平和手段採用可。
人民元「バスケット制」による「管理変動制」(10:30基準レート公開)
対ドルレート2.1%切り下げ(元安)
06年:農業税全廃。三峡ダム完成、外貨準備高1兆ドル突破
07年:確定申告制度(年間所得12万円以上の高額者)
第17回党大会「20年迄に一人当GDP2000年比4倍化、党大会外表任期制。
08年:人民元対ドルレート7元を突破(元安)。独占禁止法施行。
「08懸賞」303人19項目要求発表。
09年:中国・ASEAN自由貿易区の投資協定調印。
10年:中国・ASEAN自由貿易圏発足。尖閣中国船長逮捕。習近平軍事委副主席。
香港に人民元オフショア(CNH)市場開設。
11年:営業税から増値税への切替改革(営業税を吸収)
12年:薄煕来の政治局員委員の職務停止。尖閣政府購入関係閣僚申し合わせ。
反日抗議デモ頻発。20年迄に一人当GDP00年比2倍化。習近平総書記就任。
第7期 2013年~
13年:G20「シルクロード経済ベルト」。APEC「21世紀海上シルクトーロード」
14年:「依法治国の全面的な推進に於る若干の重大な問題に関する中共中央決定」
党の命令的指導と社会主義法治の一致
15年:「二人子政策」発表。AIIB(アジア開発銀行」設立。
「チャイナショック」(元安誘導)
16年:18期6全会、習近平を党の「中核」とする決定。
17年:国家級開放区「雄安新区」設定。「一帯一路」提唱。増値税改訂。
19回全人代「習近平時代の中国の特色ある社会主義思想」党規約改訂。
18年:トランプ政権制裁関税開始。
19年:第2回「一帯一路」国際フォーラム開催。HUIWEI副会長逮捕(カナダ)
20年:武漢封鎖(新型コロナ感染)。
21年:「反外国制裁法」「データセキュリティ法」中国共産党100周年記念式典。
II.中国の社会構造について
1)中国の土地所有について
第1段階~55年以前
建国以前の革命根拠地「解放区」における農地改革 ~地主と富農から取り上げた農地を小作農、農業労働者へ分配する土地改革
第2段階(56年~81年)
55年:『農業合作化に関する決議』(10月)
56年:「高級合作社」による農業集団化を開始。 ~農地は取り上げられ農地の集団所有へ移行する。
58年:人民公社で農地の集団所有制が成立した。
第3段階(81年~85年)
81年:農家を単位とする「生産請負制」(各戸請負制)が普及する。~農民は農地の「請負経営権」を手に入れ、家畜・機械の私有を容認。
85年:政府への供出義務を負う穀物を除き、作付けと販売の自由を容認。
第4段階(86年~現在)
86年:「土地管理法」:国民所有と農民集団所有を明記。~土地を使用する権利(土地使用権)は、地方政府の許可で取得可能へ。その対価
として土地使用者は地方政府に「土地使用権譲渡金」を支払う必要があり、取得した土地使用権は法律に従い譲渡・賃借・抵当設定可能へ。
90年:「都市部の国有土地所有の払い下げ及び譲渡に関する暫定条例」~土地使用権は一定期間に制限され、使用年限は土地の種別で設定。
(住居用地:70年、工業・複合・教育など用地:50年、商業用地:40年)。
~土地使用権が譲渡されると、建物およびその他の定着物も同時に譲渡され、逆に建物およびその他の定着物が譲渡されると、その分の土地使用
権も一体的に譲渡される。これは抵当の場合も同じである。
定められた使用年限が満了後、「土地を政府に返す必要があるのか」「家には住み続けられるのか」はまだ確定していない。
現状:
16年12月に国土資源部は土地使用権使用年限の満了に際しては、関連法則が明確になるまで「申請手続きなし更新料なし」の暫定措置を発表した。
18年8月「民法典各分編草案」の法改正が始まり関連法律を整えようとしている。中国では修繕計画に基づく大規模修繕どころか、日常の設備点検
なども疎かなため、問題となるマンションが多い。それは、「土地管理法」が「公共利益のため、国は法律に基づき土地を収用(征收・征用)する
ことができ、その代わりに(建物およびその他の定着物に対し)補償する必要がある」と明記しているからである。一夜にして億万長者になるケー
スがめずらしくなく、そのため敢えて取り壊し対象になりそうな住宅を購入する投資家が多い。
土地使用権の更新料の代わりに、固定資産税(房产税)を徴収することも数年前から議論されており、土地使用による費用負担の程度も流動的であ
ったが、最近、(10月23日)全人代常務委員会は、房产税を実施都市を決めて5年間で試行することを決定した。
2)戸籍制度について
第1段階(49年~58年)「公民の居住と移動にはいかなる制限も課さない」~49年「政治協商会議共同綱領」と54年憲法を尊重~
・51年7月:公安省:都市戸籍管理暫定条例~戸籍と、住民への食料供給
・53年4月:国務院「全国人口調査登記弁法」~農村戸籍制度の発足
・53年11月:『食料の計画買付けと計画供給の実行に関する命令』~国定価格での供出を義務づけ、都市部住民への統一価格で販売。
・55年6月:国務院「経常的な戸籍制度制定」指示
第2段階(58年~78年)~基本原理が移動自由から制限に変貌する~
・57年12月:党中央・国務院「農村人口の無秩序な移動を防ぐ指示」~大規模な移動禁止=大躍進の失敗・都市部国営部門の職員増加
・58年1月:「戸口(戸籍)登記条例」を公布
第3段階(78年~現在)~人口移動制限が緩和される
【前半期】~移動制限の緩和開始
・80年9月:公安省・食糧省・国家人事局「戸籍制度の制限緩和規定」公布
・84年 :国務院「農民が集鎮(農村小都市)問題通知」~都市部に勤務する農民を食糧無保証の前提で「集鎮戸籍」を与えた。
・85年7月:公安省「城鎮(都市)住民暫住人口管理規定」~中国公民が、戸籍域内に於る非戸籍地に長期間滞在することを合法化。
(離土不離郷):離農しても離村しない
【後半期】~移動制限緩和の本格化
・92年8月:公安省:「当該地区のみに有効な住民戸籍実施通知」~小城鎮、経済特区、経済開発特区、ハイテク産業特区のみで有効な戸籍
(グリーンカード)
・97年 :国務院「小城鎮戸籍制度改革試行案」~農村住民が小城鎮に移動し、安定的に従事する者と家族に居住を認可。
・01年5月:国務院「小城鎮戸籍制度改革推進」意見~農村住民の小城鎮への移動条件を緩和
・04年 :農民に対する制限を原則廃止
・07年 :12の章、自治区、直轄市で農業戸籍と非農業戸籍区分を廃止。居民戸籍へ。~社会保障や公共サービスなどの制約が問題になり始める。
現状:14年に「戸籍制度改革の更なる推進に関する意見」を発表し、都市と農村の統一型戸籍登録制度の導入、半年以上の滞在する地元戸籍保有者んを対象
とした居住証制度の導入を掲げているが、広州市の15年の同市戸籍取得者の90%は、専門学校卒以上であり、学歴のない農民工が取得できず、また戸
籍改革は、地方政府の財政負担を膨張させることから困難な課題として積み残されている。
3)社会保障制度について
第1段階(49年~56年)~国家ー単位(所属組織単位)保障制の創設
・共同綱領に基づく軍人と遺族への補償措置に言及。社会保障制度の出発へ。
・被災者救助から失業者救助、労働保険、公費医療制度などを実施。
第2段階(57年~68年)~国家ー単位保障制の調整
・57年:労働者定年退職及び退職後の生活保障制度を開始。
・62年:農村の医療衛生システム、合作医療制度、軍人定年退職制。
第3段階 (69年~85年)~国家ー単位保障制の責任主体の転換。
・69年2月:労働保険費用の拠出を国家から単位へ移転。
・78年 :憲法で労働者、軍人、遺族の福利厚生、年金、医療、失業保険などの生活保障を規定し、新たに「民生省」を増設。
第4段階(86年~93年)国家ー社会保障制の出発
・改革開放政策に伴い、経済主体の多様化、労働力の市場化、所得格差の拡大を社会階層の分離を招き、国家ー単位保障制は、事実上破綻し
たことを受けて、個人の保険料拠出をベースにした国家ー社会保障制を開始した。
第5段階(93年~97年)両制度の共存
・社会保障の社会化を進め、年金と医療保険を企業と個人の共同負担とする。
第6段階(98年~05年)国家ー社会保障制への転換
・新たに労働社会保障省を併設し社会保障管理の一元化、単位からの独立を目指す
第7段階(06年以降~
・07年:17回党大会「適度普恵型」福祉政策への転換。
現状:「社会保障制度の構成」
①「最低生活保障制度」(日本の生活保護制度)
・全国の都市住民を網羅するシステムは1993年に上海市で制度が実施されるのを皮切りに、1999年には「都市住民最低生活保障条例」が公
布され、概ね完成した。(19年4300万人:都市部月額600元(10200円)
・農村住民を網羅するシステムは、2007年にようやく国務院が「全国で農村住民の最低生活保障制度の確立に関する通知」を公布しようや
く完成した。
②社会保険(年金、医療、失業、労災、出産育児)
・国有企業改革の付随策として始まったが、当初は主に国有企業従業員が中心であったが、民間、公務員などに広がった。医療保険は、17
年度末11.8億人。
4)中国の財政について
第1段階:49年~78年
・建国後、「統収統支」によって地方政府の収入を中央政府に集め、予算の管理は、中央政府が行った。地方には財政的権限は与えら
れなかった。
第2段階:78年~94年
・「財政請負制」を導入し、下級政府が、上級政府との取り決めで、徴税及び財政収支を請負、その額を達成すれば剰余分は下級政府
が留保できる。
第3段階:94年~15年
・「分税制」は「財政請負制」と「利改税」(利潤上納を納税に改める)が中央政府の財政力の相対的な低下を招き、財政の分散化に
歯止めをかけるためである。
・「分税制」とは、財政を中央、地方、中央・地方共有の3つに区分し中央の財政比率が増加し、12年以降はほぼ半々の状況となった。
・「分税制」の導入によって地方の減収を還付する制度として再配分を狙う「税収返還制度」で地方政府の既得権を保護してきた。そ
れが、日本の地方交付税に当たる「一般性移転支出」の特定補助金である。
・2000年から12年までの年率20%を超え、財政規模は、約10倍となった。現状の「分税制」区分は、以下の表の通りである。
・地方政府の負債は、①政府が借り入れた直接返済を負う直接債務、②政府部門が連帯責任・連帯保障を負う偶発債務、③政府は担保
責任をおわないが返済不能となった場合に政府が一定の責任を負う公共事業投資である。
第4段階:15年~現在
・「新予算法」でこれまで、債権による資金調達は禁止されていたが、省レベルによる起債が可能となった。
・また遺産税(相続税)は、一部地域で実験的に施行されているが、まだ本格的な整備がこれからである。
5)中国の税制について
①付加価値税(1994年導入「増値税」)
②税収推移(1995年度~2020年度)
家計の所得や企業の所得に対して対する「直接税」は法人所得税と個人所得税である。一つに同じ法人所得税も、1994年以降は原則33%(うち30%は国税、
3%は地方税。1984年の「利改税」以降では55%)であり、業種や地域によって税務署による微妙な対応が行われ、外資系企業にはしばしば優遇税率が適用
されます(経済特区や経済技術開発区では15%、しかも「二免三半減」といって利益が出た最初の二年は免税、その後三年は税半減)。
6)中国の株式証券について
第1段階: 45年~79年(証券取引所及び国債発行の停止)
52年:証券証券所(北京・上海)廃止
59年:国債発行停止
第2段階: 79年~88年
80年:撫順と成都で小型国有企業と集団所有企業の株式発行
81年:国債発行復活
86年:株式と債権の店頭取引開始
第3段階:89年~93年
90年:上海証券証券所開設
91年:深圳証券証券所開設。海外投資家向け「B株」発行
92年:「南方講」以降、国有企業が株式制採用へ。
93年:「社会主義市場経済」へ
第4段階:94年~04年
94年:会社法施行:国有企業に対する株式会社制度の導入
国務院証管委:株式総発行額を決定、国内投資家向「A株」発行
~国有資産の法的所有権の一極化、経営者支配及び党の経営介入が国有支 配株式会社の特徴として形成された。
98年:流通株と非流通株=4:6を受けて、非流通株改革を開始。
99年:非流通株の大半を占める国有株の売却も大幅下落(01年も)断念。~国有資本が進出すべき分野とその他を分類し、後者の国有株を売却~
04年:国務院「資本市場の改革・開放と安定的な発展の推進」政策へ~売却路線を改めて、非流通株(国有株)を流通株主に無償譲渡し、対価
を得る方式(流通株10株につき、非流通株3株を無償譲渡)に転換へ。
第5段階:05年~現在
06年:IPO(新規株式公開)と増資を再開し、株式市場の資金調達機能が復活した。
17年:17年末迄に「流通株」は、発行済み株式の84%となった。
現在:党と政府が主要な産業分野認定し中央の国有部門と地方政府が株式の過半数を取得。
~党委員会は企業の生産経営,技術開発,事務管理,人事管理などの分野の重大問題について意見及び提案を(株主総会に)提出し,企業の重大問題
の決定に関与する。
~中国企業家調査系統によれば1999年段階で 42%の株式会社に企業内党組織責任者と役員の兼任があった。また2000 年の上海証券取引所の同取引所
上場企業の調査によれば,重役(取締役・監査役・上級管理者)が共産党・青年団の責任者であり,これらの党関係者の中の68 %が党書記を兼任して
いる。
(「中国国有企業における株式会社制度導入の歴史」:徐涛)
~党委員会書記が代表取締役を兼任し,党規律検査委員会書記が監査役会主席を兼任す れば,取締役会と監査役会との関係は,指導と非指導支配と被支
配の関係になる。共産党幹部が企業の経営と監査のリーダを兼任することによっ て「党企一体化」を実現し,組織の簡素化による効率の向上が実現す る。」
( 『中国の上場会社と大株主の影響力―構造と実態―』:童適平)
7)経済改革開放の経緯(78年以降)について
中国における食糧作物概念(中国語は糧食作物)には、国民の主要食料として水稲(米)、小麦 (小麦粉)、トウモロコシ、その他の穀類、大豆、芋類が含まれ、1953年以降、長期にわたって生産と流通が国家統制の下に置かれてきた。しかし1980年代に改革・開放政策が開始して以降は、国内生産の増大と国民生活の向上により、自由市場取引の拡大が進み、また1993年以降は配給制度が廃止され小売価格が自由化された。
まず1978年から1984年まで農村では「農家請負制」が導入された。農家請負制とは,農家が政府から生産を請負,所定の農作物を国に上納し,それ以外の余剰農作物は農家個人が自由に販売できるという仕組みである。
請負制は1978年11月に安徽省鳳陽県小崗村の農家たちが自発的に生産請負を実行したことに始まる。小崗村の自発的な行動を契機に,請負制は急速に全国に広がっていって,1982年政府は当時実施されていた各種請負制を社会主義集団経済の生産責任制として承認した。
農村部・農業分野で人民公社の解体と農家請負制の確立などに功を奏した経済改革は,1980年代半ばには新しい転換点を迎える。1984年10月に開かれた中共12期3中全会において「経済体制改革についての中共中央の決定」が採択された。
同「決定」では,経済改革の重点を都市部,産業部門へと転換し,経済体制全体の改革をさ
らに加速させること,商品経済の概念を提起し,社会主義商品経済を発展させることが決定され,「計画経済を主として,市場経済を従とする」方針が打ち出された。
1987年の中共第13期大会において,「国家は市場を調節し,市場は企業を誘導する」と提唱され,市場重視の姿勢が一層鮮明となった。
1980年代後半において経済体制改革の重点転換を受けて,国営企業を中心に経営自主権の拡大が進められていた。
1987年に政府は,国営企業に経営請負責任制(承包責任制)を導入した。経営請負責任制では,企業と政府が請負契約を締結し,工場長または管理経営執行部が企業経営を請負,請負契約超過(所得税納付後)の利潤は企業の自由意志に委ねて扱われる。1987年に経営請負責任制が始まってから,1990年までに国営企業のほとんどは導入するようになった。
1980年代後半における経済改革が加速するにつれて,経済過熱とインフレーションが起きた。また,1985年に導入された生産財の供給と価格の「二重体制」では,計画価格と市場価格の間で大きな ギャップが存在するため,1980年代後半において安い価格で買って高い価格で売るという手段で巨額の利益を得るような転売が横行していた。
そのような転売は,権力(主管部門の官僚)が深く介在する場合が多いため「官倒」(官製不正転売)と呼ばれている。高進するインフレによる生活苦に加え、官僚による腐敗の蔓延や所得分配の格差拡大などにより,国民に強い不満、不平が生じ,中国の社会が不安定な状態に陥った。このような経済,社会問題を背景に,1989年6月に「天安門事件」が発生した。
1989年の天安門事件後,同年11月に鄧小平は共産党中央軍事委員会主席を辞任したのを最後にすべての公職から退いた。しかしながら引退後の鄧小平は依然として絶大な影響力を維持する事実上の最 高実力者であった。ノートンは「鄧小平が民主的な政治改革のいかなる芽も断ち切ることを望んでいるのは確かであるが,彼は,自身の最も重要な遺産となるはずの経済改革の維持を同じくらい望んでいた」と述べている。天安門事件や経済引き締めによる停滞した局面を打開するために,鄧小平は1992年1月から2月にかけて,中国南方の地方都市である武漢,深圳,珠海,上海 などを視察し,その視察先において改革開放を加速させていくべきだという旨の発言を繰り返した。 この南方視察時の鄧小平の一連の発言は「南巡講話」と呼ばれている。鄧小平の「南巡講話」という
「鶴の一声」は保守勢力の「雀の千声」を退けて,中国を再び改革開放路線の軌道に戻した。
1994年の税制改革は,「税制の統一,税負担の公平性,税制の簡素化,合理的分権」の原則に基づいて,国内企業所得税(33%)を統一すること,個人所得に対する累進税率(4~45%)に統一すること,流通税や付加価値税,消費税を導入することなどが進められた。
1992年の中共第14期大会では,企業が経営権を持ち,国が所有権を持つように企業の所有権と経営権を分離させる方針が打ち出された。1994年には中国初の会社法(公司法)が施行され,企業は「国有国営」から「国有民営」へと転換すると規定されため,この頃から従来の国営企業(全民所有制企業)は「国有企業」と呼ばれるようになった6
《研究ノート》「中国の改革開放後における市場移行政策の展開」:滕鑑
III.中国の現状をどう見るか〜その分水嶺
1)社会主義に関する指標
社会主義に関する指標は、色々あるだろうが、以下の3つであると思われる。
①資産の所有形態(生産手段の社会化の有無)
~生産手段とその所有形態。土地の所有形態(私有か公有か)
②企業の所有形態(国家による企業管理の有無)
~生産手段としての企業の所有(国営企業か株式企業か)
③国家の所有形態(労働者階級の独裁による国家形成)
~労働者階級の独裁国家か市民の主権在民国家か
2)資産の所有形態(公有から私有へ)
・経緯は年表の通りだが、中国の資本主義の原始的蓄積にとって、「二重価格制」とともに失敗した「経営請負制」とその後「株式制改造」
の果たした役割が大きい。中国の富豪五百万人はこの「二重価格制」と「経営請負制」と「株式制改造」で国有資産を私有財産に転化でき
る地位にあったのは、他ないない共産党幹部である。
3)企業の所有形態
・企業の所有形態の大きな変化は、94年「会社法」による「国有企業に対する株式会社制度の導入」である。これは国有企業改革と言われる
が、実態は、「資本市場」を利用した企業の党支配、ガバナンスであり、上場株式の中央、地方共産党幹部の株式保有の機会となった。
4)国家の所有形態
・形式的には、土地の「公有制」というが、使用権の売買を認め、資本家を、共産党を構成する第3の代表として容認した。共産党の古典的な
組織構造は変質し、政権政党の国益と私益を優先するイデオロギー支配を貫徹する国家形態の追求を推進した。
結論:現代中国は、社会主義を語る国家独占資本主義国家を完成し、世界の覇権を争う「中華帝国主義国家」になりつつある。
ーーーーーーーーーーーーーー
参考文献:
・「中国経済データハンドブック2021年版」:日中経済協会発行
・「中国年鑑2019年版」:中国研究所発行:明石書店
・「人民元の興亡」:吉岡圭子:小学館 2017年
・「二重の罠を超えて進む中国型資本主義ー「曖昧な制度」の実証分析」:加藤弘之、梶谷懐編著:ミネルヴァ書房 2016年
・「中国現代化の落とし穴」:何清漣(坂井臣之介・中川友訳)草思社 2002年
・「帝国とは何か」:山内昌之、増田一夫・村田雄一郎 岩波書店 1994年
後記
・年表は、「中国経済データハンドブック2021年版」をベースに作成し、実態的理解のために必要な事由を発生年月順に追加付記した。
・各制度に関する紹介文章は、「中国年鑑2019年版」を要約し時系列で記述した。段階区分は、筆者の判断による。
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