すでに8月8日に方方日記:日本語訳(2)(2月3日から12日までの10日の日記)をアップしてから既に1ヶ月程になる。これまで使いていたパソコンの画面接続機能の不良に伴い、新たな0Sを搭載した新規マシンに変更したためにトラブルが多く、ケアサポートへの問合せなどに忙殺されたこと、またこれまでのデスクトップ環境(ATOKが使えない)が変わり、ユーザー単語登録が失われ、作業負荷が増大したことも要因である。
前回まで(日本語訳:2)では、やはり都市封鎖に伴う弊害と管理優先措置による非人道的な措置への批判とともに2つのトピックスとして、火神山医院・雷神山医院の建設と、2月7日の李文亮医師の死をあげることができる。
前者の火神山病院は重篤者用に10日間計画で建設された大型プレパブ型の新規建設病院であり、本文の記載にもあるように、軽症者用の既存施設(体育館や大型展示会場など)への病床配置として、野戦病院に例えられるキャビン型病院の建設が進められ、指定病院への殺到を遮断し、PCR検査による陽性感染者の隔離の徹底を図ることが目的である。
後者は、1月初旬に武漢市共産党党紀検査委員会が新型コロナウイルを「人・人感染する」として警戒と感染防止策の必要を感じた武漢センター病院勤務の眼科医李文亮医師が武漢医師ネットワークに報告したことを問題視し、これを「デマを拡散させた」とする「訓告処分」にしたことに由来する。その後院内感染がわかり、エコモによる救急医療空く亡くなったのである。
この「人・人感染」の発見と武漢医師及び出身大学同窓生のネットワークによる拡散、直後の「武漢センター病院」医師への病院党指導部による処分と口外禁止措置は、1月20日まで正式に発表されるまで続き、院内感染と医療スタッフへの家庭内感染を通じて、感染蔓延を引き起こしたのである。
この経過については、すでに『武漢中心病院女医の証言:武漢のウイルス感染蔓延の真実』として、このブログに掲載した武漢中心病院救急科艾芬主任(部長)の記事を参照いただきたい。
今回翻訳した日本語訳(3)は、2月13日から22日までの10日間である。この期間では、2月14日に湖北省党組織指導部と政府幹部の更迭と新指導部による感染防止の強化、そして感染統計及び感染者確定基準の変更など数値データの変動などが取り上げられている。
「今回の感染蔓延が、私たちに特別に明らかにさせたことがある。それはヒューマニズムに関する社会全体の到達水準がどの程度かということだ。恐らくだれかがしっかり呼びかけることが必要だ。ヒューマニズム教育を強めることが急務だ。それは本来、基礎的な常識教育に属すものだ。普段テレビで視る戦場における医療スタッフによる救命負傷手当は、民族や国家の帰属をとわず、また敵味方の厳格な区別はない。人である限り全てを救援する対象なのだ。それが最も基本的なヒューマニズム精神だ。現在この感染蔓延がまさに戦場であり、私たちのヒューマニズム水準の低さが露呈した。これ以上に言いようがない。」(日記:2月14日)
正月二十日(2月13日)
昼に窓を開けて、また登る太陽を見た。今日は李文亮の初七日だよね!初七日は、たびだった故人が再び訪れる日である、李文亮はいま天国にいる。故地に再びに帰り、彼は、何をみたのだろうか?
昨晩から二日ほどネットに退屈していたが、突然活気づいてきた。長江日報の三つの魔法式エッセイで多くの人の大脳皮質を刺激することとなった。それらを見て、皆活力が戻ってきたようだ。この活力は、呪いの心情に由来するものだ。事実、人を罵り、事を責めることは、心の妨げを取り除く良い方法だ。私の娘の祖父は99歳まで生きた。あるとき彼に長寿の秘訣は何かと聴くと、彼は、脂身肉を食べること、身体を鍛えることはしない、罵ること。みてください!三つめの秘訣が罵ることだ。武漢人は家で悶々とし、何もすることもできず、退屈でいらいらしており、発散することが必要だ。会っておしゃべりするのもダメ、感染を恐れて窓を開けて大声で歌うのもダメ、飛沫を恐れて李文亮のために大声で泣き叫ぶこともダメ、不安定を恐れて、罵る位は試してもよさそうなものだ。
尚かつ、武漢人は好んで人を罵っている。罵ると身体全体が爽快になり、それは北方人が寒波の時に風呂から上がった感覚のようだ。ネット民達の3つの見方が正しいと言わざるをえない。長江日報が塞ぎ込む人びとに爽快で叫ぶ機会を与えてくれたことに感謝したい。さらに李文亮の死後、上海の各紙は紙面のトップで彼に哀悼を捧げたが、彼らは李文亮の病院とは遠いことから、彼らの紙面はどうなのかも気になった。多くの武漢人は、そのアカウントを留保しており、固唾を呑んでいるからだ。もちろん、そうは言っても、他人を叱ることができないが、あなたたちを叱ることはダメでしょうか?私は一晩中寝て、WEB管理者が、新聞を叱る投稿を削除しているかどうかを見たかった。結果は削除されていなかった。しかし長江日報のあの記事が削除されてしまった。これは、人びとの心と脳に別の悲しみを与えるものだ。
感染は、いまだ絶え間なく続いている。ネットのテーマは頻繁に変化する。悲しくもあり、楽しくもある。湖北武漢は遂に指導者が交代した。実は、誰がここに来るかは、私たちから言えば重要ではない。重要なことは、だれが感染を制御する胆力も持ち、あのようなレベルの低い誤りを再び繰り返さず、あのような何らの意味を成さない形式主義を行わず、何度も無駄ばなしと絵空事を繰り返さないことだ。これで充分だ。
罷免された湖北の主要官吏は、省土を守り、省民を安心させる仕事をできなかったのだ。斯くの如くに省と民を悲惨な状況に陥れ、市民の憤激に換えないでください。かれらは任地をかえてまた出てくるかどうかはしれたものではない。過去の皇帝に、「決して再任させない」という鉄則があり、このようか重大な過ちを犯した官吏、また国家と国民にこのような重大な災禍をもたらした判官は、たとえ再任させたとしても、最軽の任務だった。私は、彼らを故郷に市民として戻し、その時はじめて市民のことを理解するかもしれないと思っている。
今日、私の悲しむ情報は届けられた。画家劉寿祥が亡くなった。以前から彼が新型肺炎と闘病していることを知っていたが、はからずも、この関門を乗り越えることができなかったようだ。我が家の隣近所は皆画家で、私も既知だ。さらに、私を更に悲しませたのは、私の友人の医師が転送してくれた写真だ。これはここ数日来の悲しみが再び私を襲いました。写真には、斎場の床一面に主を失った携帯電話が散乱し、電話の主人がすべて灰燼に帰したのだ。もう話せない。
やはり、感染状況を話す。湖北以外のすべての省はすでに連続9日間、感染者数が減っている。しかし湖北はこれに反して感染者数が激増し、すべての注目者を驚愕させた。その原因はしかしだれもが知り尽くしたものだ。それは専門用語でいえば、バックログ(訳者注:後回しにして、まだやっていない作業のこと)だ。つまり入院できず、自宅で死を迎えるしかなかった人のことだ。現在政府は、各種の方法を屈指して、確定感染者をすべて入院させ、擬似患者をすべて隔離している。今日の数字は、大凡のピークだと思いますか?今後これほど多くの感染者がでるとは思えない。初期の誤りには、様々な客観的理由があるだろうが、市民にとってすべての客観性と理由は人命にある。言い訳ではなく、ネット民は、逐一明確にしてほしいのだ。幸いにも現在天を仰ぎ、地を叩いて救命する動画は、この数日見当たらない。今回は、ネット管理者の仕業ではないと信じたい。
明らかなことは、政府の対策が益々力をえて、その方法も段々と一定の人間性を配慮するものになってきたことだ。多くの公務員がコミュニティ施設に派遣され、現場を支援、我が作家協会のような組織にも、派遣目標を持つ。党員である専門技術者も例にもれず派遣されている。一人は数世帯を分担し政府を援助し身体状況や生活ニーズを把握する。同僚の長江文芸雑誌の副編集長は、名門校の博士課程を卒業したが、公務員に比べても薄給階層だ。彼女は6世帯の分担を指示された。彼女の話す各家庭の現状を聴いて、とても悲しくなってきた。核家族は、独身子女と老人が多い。ある若い夫妻二人は別居して暮らさざをえず、それぞれの老人を介護し、妻は子供の面倒を看て、夫は買い物を担当している。武漢はとても広く、各家族のもとへ行くにも車でも走り廻るのが大変だ。以前は、悲惨な思いをさせられたが、現在は病人や死者を出した家族に比べると幸運と言える。結局、生きていれば、お互いに面倒をみることができるのだ。皆が言うとおり、頑張りを堅持しよう。政府のやることを信じて。
支援物資は引き続き滞りなく湖北に搬送されている。末兄から夜、ピッツバーグ市から武漢に18万枚のマスクが寄贈され、中国機で到着したと聴いた。かれらは引き続き、医療物資を更に手配する計画だという。これについて書いてくれるかと言われてはいと応えた。ピッツバーグ市と武漢市は姉妹都市だ。私も昔二度ほど訪ねたが、街の雰囲気が非常に好きであった。末兄からすれば、姉妹都市であるどうかはあまり興味がない。かれの息子と孫たちがそこにいるからだ。感染地の最中心部に身を置く彼はピッツバーグ市からの寄贈への謝意を表したかったのだ。
ついでに説明しておく。ある出版社の最近出版した絵本で、ジャコウネコを食べることができると書いている。本の書名の編者が「方方」とある。この本の名前を色鉛筆で囲み、私を罵倒していると言う。私が説明したことはこの「方方」と私とは全く関係がないことだ。同僚に自慢しながら、私がいつ出版社の編集長になったと思うと尋ねて、もうとっくになったと言ってやった。
今日はここまで。ナレーターの言葉を引用して締めくくりたい。「霞たなびく三月を揚州に望むのではなく、霞たなびく三月はここ黄鶴楼に降りることを願ってほしい」
正月二十一日(2月14日)
今日の天気は奇怪だ。まず大雨が振り、昼に快晴となり、転じて雨に変わり、その繰り返しで絶えず変わるのだ。先ほど、豊巣の宅急便受取ロッカーに速達(娘がドッグフードを買いたい時に使う方法)を取りにいったところ、大風に見舞われた。戻ってから暫くすると雷が炸裂した。いまは雷と雨が同時に襲い、本来静寂な夜半に入り混じりながらそれぞれの激しい音が満ち満ちとしている。昨日聴くところによれば、寒波が近づき、気温が10度前後急下降し、雪になるかもしれないと言う。政府はきっと隔離病棟に入院する患者への防寒対策を施すことになるだろう。
朝微信を開けると、企業家の友人で彼女の率いるボランティア団体が寄付の要請活動に忙しく動きまわる動画を見た。この数日、彼女が全精力で取り組み、各種団体からの支援物資と寄付金を集めている。私は、彼女がこれ程まで必死に取り組んでいるところをみたことがない。また別の私たちの共通の友人である米国の画家が、10万元(訳者注:150万円)を寄付してくれたという。彼は、「これはほんとに取るに足りない寄付だ。焼け石に水で恥ずかしい。あなたとあなたの率いるボランティア団体のみなさんが昼夜を分かたず、黙々と集めていて、本当に模範になるものだ。私たちが大洋に隔てられて、みなさんとは心も情けも同じ気持ちだが、しかし自ら直接でかけて、力をだすことができない。江東の長老たちの故郷の惨状と甚大な困難への深い懸念、悲しみ、想いとともに日夜第一線で身を棄てて死を忘れて、時間と戦いながら、病魔に命をかけて闘う白衣の天使たちへの感謝と応援、敬意と愛に対する私と妻Judyのささやかな寸志だ」とメッセージを頂いたという。画家は生粋の武漢人にして古くからの漢口人であり、毎日武漢の感染状況に関心を寄せている。親愛なる故郷の人と言うほかない。
感染は、依然として大変な時期を迎えているが、形勢は好転しつつある。幹部に怠りがなければ、一般市民の苦しみは減るものだ。私の高校時代の同窓生が「仕事をしなければ、解任だ」というスローガンを教えてくれた。これはあなたが感染防止対策にしっかり関与しなければ、即刻解任だという意味だという。武昌の二人の官吏が今日解任された。別の隔離病棟にいる幼なじみが、この数日、とても語気のやさしい人を見かけるようになったと教えてくれた。以前は、語気を強めて往来していたという。彼女は、かれらの語気の強さを理解できるという。それは、人があまりに多く、彼らに声をかける人があまりに多く、皆狂ってしまうからだ。しかしよく患者の話を聞く人のことを聴いて、やはり嬉しくなった。緊急時にあっては、患者の要求は配慮したものであり、ただ質問する時に暖かい言葉を使ってほしいのだ。数日前、これらは贅沢なリクエストであった。私は基本的に漢口で育ったが、現在はあまり漢口の友人にあまり連絡をとっていない。連絡すれば、人生の苦難に満ちた苦労話を聞くことができる。私は何度かきいたことがあるが、とても気になって仕方がない。
別のことを話そう。現在、感染防止対策が優先され、その他の疾病患者は譲歩が求められている。しかし期間が長くなれば、譲歩が求められる患者には活路がない。人工透析や急病で即刻の手術を必要する患者は危険であり一刻を争う。感染症患者が非常に多いため、多くの病院は病床を空けて専用のコロナ肺炎患者病床にして収容治療しなけれならない。一般外来の多くは、診断が取り止めとなり、現下のその他の疾病患者が医療を受ける状況にない。昨日腫瘍病院の癌患者が泣いて訴えていた。これは解決できないのだろうか?本当に答えがないのだろうか?これらの患者が自宅に帰ればひとりで死ぬしかないかかもしれないのだ。私たちは、かれらを助ける方法がないとは限らないのではないだろうか?
たとえば、感染症の疑いの強い患者を他省に送り治療することを外省人は承知してくれないかもしれない。そうであれば、これらの感染症ではないが、入院治療が必要な病人を双方の合意を得て、車で送り出したら、外省人は意見を聴かない訳にはいかないだろう?それがすこし大変であれば、費用をすこし払う方法もあるしれない。これらの患者は大局的な見地から、政府からの補填を完全に受けることも可能だろう。つまりこれらのことは命のことであり、人を救うことであり、やるべき仕事のはずだ。たとえ、ボランティアを募集して支援するために、社会からの寄付を呼びかけても、みなさんは了承するだろう、しませんか?午後、人口解析患者の二名がすでに死んだと聴いた。まだ転換点になってはいないが、すでに援軍も到着し、指揮官もここに着任し、私たちの感染防止の取り組みが明らかに軌道に乗っていると思う。事情があれば、詳細を配慮して検討することができないのだろうか?この病もあの病もいずれも人の生命に関わることだからだ。
今回の感染蔓延が、私たちに特別に明らかにさせたことがある。それはヒューマニズムに関する社会全体の到達水準がどの程度かということだ。恐らくだれかがしっかり呼びかけることが必要だ。ヒューマニズム教育を強めることが急務だ。それは本来、基礎的な常識教育に属すものだ。普段テレビで視る戦場における医療スタッフによる救命負傷手当は、民族や国家の帰属をとわず、また敵味方の厳格な区別はない。人である限り全てを救援する対象なのだ。それが最も基本的なヒューマニズム精神だ。現在この感染蔓延がまさに戦場であり、私たちのヒューマニズム水準の低さが露呈した。これ以上に言いようがない。
人びとには常に理由というものがある。私たちがいま公文書を執行するとしよう。しかし現実は変化が常である。諸々の文書はいつもいい加減に公布され、その文書の構成は大ざっぱだ。同時に、文書は大体において常識を基礎にして、ヒューマニズムに反しないように書かれる。執行者がただもう少しヒューマニズム精神をもっていれば、運転手が高速道路上に20日間も留め置かれ、生きることさえままならないということにはならなかったはずだ。また家のだれかが感染したといえば、一群の人びとが殺到し、家の正門を鉄格子で封鎖するようにはならなかったはずだ。また大人が隔離されたために病気の子供が家で餓死するということには至らなかったはずだ。諸般斯くの如しだ。
まだある。もし私たちに充分なヒューマニズムがあれば、この甚大な災害をもたらす大病に打ち勝つためであれば、その他の疾病患者を放置することはできないはずだ。その時ヒューマニズムはあなたに教えるだろう。方法を尽くして、同じように病痛のなかで救いを求めようとする人を継続して治療したい。この方法は、だれにも見いだせないというのだろうか?社会的条件は悪くない、国力も弱くない、この問題を解決するのに難しいことはない。問題は、ヒューマニズムがあなた自身に彼らに配慮すべきことがないかどうかだ。もし思いがあれば、あなたに事が起こるまえにこれらのことをしっかり配慮してほしいのだ。私はいまこれ程までにくどくどと常識について話してきた。ヒューマニズムをもつことは、私たちの最も基本的で重要な常識だ。何故なら、私たちはみな同じ人だからだ。
今日は私の幼なじみで小学校から高校までの同級生が早く恢復することを特別に願いたい。また別の中学の同級生に対して彼女の夫の人口透析はうまくいくように願いこれまでの日々を走り廻り苦労してきた彼女にご自愛して頂くことを願うばかりだ。
正月二十二日(2月15日)
一旦非常事態に直面すると、人のもつ善と悪という人間性の全てが露呈する。その時人は思いもよらないことを垣間見ることになる。ひとは驚愕し、絶望し、憤怒し、そして馴れてしまうのだ。
雪だ。昨晩は凄まじい風と雷だった。今日は雪が降り始めた。武漢のこのような大雪は、冬でも珍しい。火神山病院の幾つかの病棟の屋根がめくれしまう程、昨夜の風が凄かったのかもしれない。患者が安全に移送され、大災害のなかで小さな災害をなくしてほしい。
今日は本当に腐りきってしまった。朝早くに、新浪微博で「飛象網:項立剛」と名乗る者が、私のテキストに一枚の中古市場の画像写真を貼り付け、微博がこの画像を私が掲載したと認定したとし、私がデマを広めていると言うのだ。私の投稿はすべてテキスト データであり、これまで画像を配信したことがない。メッセージで项氏に幾つか注意した人から、彼は完全に私の注意を無視したと告げられた。このような荒唐無稽に人を陥れる人は希だ。この方は、壮年男性で、110万人のフォロワーをもつ「ビックV」(訳者注:膨大なフォロワーをもつハンドルネームユーザー)だという。
彼は知能がないかも知れない。彼を信じる者がいるのだろうか?私が市内に封鎖され、外出できず、私の微博が閉鎖され、完全に発信できない頃、この操作は苦労を重ねてして行われたのだろう。もし少しの善意があるならば、画像をスクリーンショットで保存し、私が2通の投稿を開くのを待ってから,私との関係を精算するのが、男らしさというものだ。そうではないですか?そこで私は微信で声明を書いて、今日友人に弁護士を紹介してほしいとおねがいした。しかし、このような厳しい閉鎖環境のもとで、どのようにして、承認書を送付できたのだろうか?弁護士が公証所にいく前に項さんは早々と彼の微博をすべて削除したのだ。この削除は、彼の告白として法的にも追認したものだと思う。このような人なのだ。
実際に、项立刚に類似したこの手の人が多いが、もともと私は気にかけていない。ただ100万人を越えるフォロワーをもつネットユーザーがいるというのが残念だ。このような人から学べるのだろうか? 案の定、彼のフォロワーがいきなりネット上からメッセージとメールで私に罵詈雑言を浴びせかけたきた。私があたかも前世で彼の父を殺した仇を討つかのようだ。写真家で武漢人という徐浩东は私に長いメールを寄こし、汚い非難に満ちた罵詈雑言を浴びせるために家に押しかけてくるのに等しい。つまりどのようなことが、面識もなく、理解もしていない人がこのような大それた骨髄の恨みが言えるようになるのだろうか?小さな時にうけた教育が善と悪ではなく、仇と恨みだったのだろうか?このような人をもしかして脳障害者というのだろう。
今日は悪いことが次々と続いた。柳凡と呼ぶ看護士が、春節元旦二日に出勤し、不幸にも感染した。この感染が引き金となって、被害が全家族に及んだのだ。両親と弟が悉く倒れた。彼女の両親が先に亡くなり、昨日彼女も逝き、只一人残された弟がまだ救急処置室にいた。午後私の医師の友人から彼女の弟が逝ってしまったと教えてくれた。ウイルスが、一家全員の命を飲みつくしたのだ。私は悲しみを堪えながら、彼らを飲み込んだのはウイルスだけなのかを考えた。
更に私を悲しませたのは、私の中学の長く同じクラスだった同級生が昨日亡くなったことだ。同学年だが、一つ歳下で、おっとりとした上品で、か弱い声の持ち主、とても綺麗でスタイルもよかった。当時私たちは、中学のブランズバンドに所属し、私が扬琴(訳者注:多数の弦を竹ばちで叩く弦楽器)を打ち、彼女は琵琶を弾いていた。バンドに女性は二人だけで、同じクラスで同じ机だった。中学と高校時代の間中、親友だった。今年の正月の中旬に彼女は二度正月用品を買いに市場に行き、感染したのだ。やっと入院することができ、恢復がとても順調だったと言う。しかし突然彼女がこの世に別れを告げたという知らせを受けた。今日の同窓生たちは、彼女のために泣いた。この世の繁栄を高らかに唱ってきた同級生は、「疫病神を討たずして市民の怒りは収まらない。」と語った。
今日一つの言葉を学んだ。「ならず者ウイルス」だ。専門家は、このウイルスが狡猾であり、掌握するのが難しいという。感染の初期に甚だし場合は症状が現れず、これを「無症状感染者」と言う。感染を治癒し、ウイルスを完全に除去したと思っても、それは深く隠されているだけだと言う。リラックスした生活に戻れるかもと思ったら、ウイルスが突然暴発する。考えてみてください。これこそ「ならず者」だ。実際ならず者はウイルスであることに留まらない。ならず者は、人命を草木のように扱い、市民の死活に気にかけない。この輩は、寄贈品の名目で手にいれたという物資をその後ネット上の中古市場で転売する者、故意にエレベータ内で胆を吐き、隣人のドアの取っ手に唾を吐きかける者、病院からの買い物の帰路を待ち伏せし医療用緊急用品を略奪する者、当然ながらあらゆるところでデマで陥れようとする者などである。ウイルスは人間である限り永遠に存在するということは常識だ。そうだ。社会生活と同様に、人間でありさえすれば、これらのウイルス人(脳障害者)も同様に存在する。
平和の時代は、生活は平凡と等しく、日々平穏であり、人間性の善と悪のすべてを覆い隠すものだ。ある場合には一生涯このように覆い被さったまま過ぎ去ってしまう。しかし一旦非常時、戦争や災害になれば、人間性の善と悪の全てのが露呈する。その時全く思ってもいなかったことに遇う。人は驚愕し、絶望し、憤怒し、そして馴れてしまうのだ。このように何度も巡り巡るのだ。幸い、悪が現れると同時に善が暴発することも更に多い。このため、私たちは私欲もなく何者も恐れない人を、己を捨てて、人のために尽くす人、英雄をみたりする。私たちが今日みた白衣の天使のように。
武漢の現在の状況について話そう。これが人びとの最大の関心事だ。私の友人の医師によれば、1月20日前までにもう一棟の1000床のキャビン型病院を増やし、10万病床の備蓄を手配する必要があると言う。当初専門家が予測した感染者の10万人はでたらめではない。感染患者に対して、武漢が収容すべきものだ。人数は多いが、現在の形勢は依然に比べて劣悪ではない。臨床経験を経て医師は以下のことを学んだと言う。
1.現下のウイルスの毒性の衰退が顕著である。
2.治癒後の後遺症がなく、肺の繊維化がない。
3. 新規患者は第3塩基世代か第4塩基世代であり、基本的に軽症であり、治癒しやすい。
4.重症患者は呼吸困難期を乗り越えられれば、基本的に治癒可能である。
結局、現在亡くなる人数はまだ減っていないが、初期段階の治療遅延で重篤段階に至り、起死回生に無力であった。ここまで書いていたら、兄から連絡があった。華技大教授の段正澄名誉教授が午後6時新型肺炎で亡くなったという。これは華技大にとって甚大な損失だ
この他、私は友人の医者に特に以下のことを伝えてほしいと頼まれた。現在武漢市は同済付属病院、協和病院、湖北省人民病院の3病院で非新型肺炎患者の受入が可能であること。その他のすべての病院が新型肺炎指定治療病院として徴用されていること。患者の治療薬取得の利便のために、10の指定小売ドラッグストアを開設し、医療保険カードと重症病歴をもつ方は治療薬を取得するできること。上記の3つの病院は、2つが漢口に一つが武昌にあり、交通手段がない場合は患者にはコミュニティ施設で配車可能であること。
第2号居住区はすでに完全密閉閉鎖令が通達された、私の住む湖北省文連四合院地区は、以前の指示により各職場単位で下達され、現在四合院地区ではグループで管理運営されている。グループは、各コミュニティ施設に連絡し、買い物をし、門の入り口で番号により、受け取る。新しい生活は、新しい管理方式をもたらした。私はいらいらしないで、引き続き、転換点の到来を待ち望みたい。
突然想起海子的一首诗句,稍加改动,留在这里:武汉,今夜我不关心脑残,我只关心你。
突然、海子の一句を思い出した。「すこし動きを改めて、ここに留まる」。武漢よ、今夜は脳障害者に関心はない、私にはあなただけが関心の的だ。
正月二十三日(2月16日)
封鎖されて何日経つかは覚えていない。今日は春に相応しいの陽射しだ。昨日の雪の痕跡は一つも見当たらない。二階から望むと樹木の葉が陽光のもとに輝いていた。
昨日に比べて平常心が保てそうだ。北京からの攻撃は相変わらずである。かれらのこれ程までの憎悪がどのような動機によるものなのかは、理解し難いものだ。彼らは一生歯ぎしりして生きていくかのようである。多くの人、多くのことを憎むのだろう。相手がどこにいるか、どのような状態にあるかに関わりなく、彼らは強烈にそして執念深く、憎み続けるのだ。彼らの憎む私は、逆に彼らのことが分からず、遇ったことがない。
「空飛ぶ象:项立刚」は、昨日早くも彼がデマだと私を陥れた微博を削除し、別の文章を書いてきた。「どこから写真をもってきたのか?貴女は家に閉じこもり、デマを捏造し、社会にパニックに陥れ、だれにも口出しできない大量病死を暗示する。良心をもっているのか?」と。これは、箸にも棒に架からない話しだ。かれは情報通信業界にいると言うが、意外にも幼稚な問いだ。無人機が上空から指名殺人ができる時代とはいえ、家から外部の写真をみることはできないではないか?私の住む街でどのようなことが起こっているのかを知ることができないというのでしょうか?私の投稿した人びとはパニックになっていないが、一体パニックになっているのでしょうか?私は、感染地区に住み、家に閉じ込められているが、インターネットにより友人と同僚と情報交換し、毎日見たこと、聴いたことを記し、必死に転換点を待望しているのだ。あなたは北京で自由自在にして、はかりごとを巡らし、毎日私を罵倒するために時間を費やしているだけなのだ。あなたにこそ良心をもっているのかを問いたい。あなたに教えてあげたい。更に多くの人が私の日記を読んで、読み終わって安心していると。
さらにもうひとりの微博名の「盘索」は、『とにかく「医師転送写真」「同窓生が死んだ」「近所の云々云々」など名前を告げずに,恐怖を煽りたている。あなたの最近の文章には、多くの匿名のキャラクターを捏造しているように感じる。文学の大きな革新とも言える』と書いてきた。これも非常識な輩だ。患者がたった今亡くなり、親族が苦しむ中で、私が名前をどうして補わなければならないのでしょうか?人びとに彼らの苦難を知らせたいのではないでしょうか?私は、同級生も、隣人もここ武漢で学び、暮らしてきたのだ。私の文章は公開されており、私がもし捏造したら、それを知らないとでもおもっているのだろうか?政府の発表する死亡者数を「盘索」は見ているのだろうか?武漢の死亡者数は、一千人余りという。私の文章に一体何人登場しているのでしょうか?端数にも至らない数だ。はっきり言う。大凡当局のメディアは死者の名前を公開していない。私も一切公開するつもりはない。
湖北映画スタジオの常凱一家が新型肺炎で一家全員を亡くす惨劇に見舞われ、今日、彼の同級生たちの書いた記念文集が発行された。常凱の今際の言葉は、悲痛と悲哀に満ち、読めば、心を裂かれ、胸引き裂かれる思いに打たれるものだ。中央電視台と人民日報を読んでいる人には分からないだろう。これも恐怖を与えるというつもりなのだろうか?それから、すでにここに書いた10万元を寄付した私の友人の画家の兄が、今日、新型肺炎でなくなったと言う。項立剛らは、これもまたデマだというのだろうか?
私がよく書く「同級生医師」は一人ではない。これも項立剛らに伝えなければならない。彼らは皆トップレベルの専門家であり、彼らの名前を公表すつもりはない。公表しない理由は、あなたのような人間のクズがいるからだ。当局は無能であり、簡単にあなたたちを騙す。友人を言われなく傷つけたくないからだ。今日午後また友人の医師(彼も専門部門のトップレベルの医師だ。名前は公表しない)から久しぶりに電話を頂いた。私の封鎖日記のことを話すと、彼は湖北以外の人に武漢感染状況を聴かれると、私の武漢日記を見てほしいと教えていると言った。
本当のことはここにあると言うのだ。それから自然と話しが感染状況になった。彼は、現在の感染状況が制御段階にある。ウイルスの毒性が段々と弱る一方で、感染性が段々と強くなっている。現在の患者の容体から明らかなことは、感染者は多いが、軽症であること、治癒率は高い。死亡率が下降しない理由は、やはり初期からの重症者が多いからだ。この話しは、以前の日記で書いていたことだが、重症者は初期のバックログだ。医師らは病院が違っても見方は殆ど変わらないのだ。全体的な形勢は好転している。もう少しだ。
一、毒性が弱毒化していること
二、来援者の到着で、医療スタッフが余裕をもって従事できること。
三、医療用物資を切迫させず、自らの防護環境を保つこと。
四、医師らの長期に渡る臨床治療が投薬の経験を積むことができたこと
雷神山病院の王病院長はメディアに対して、感染状況は正に転換点に達したと述べた。彼らは、新増の発症感染状況を観察して、発熱者数が減少し、暫時下降し、反転することはないと言う。医院長は「私には自信があります」と述べた。
これは私たちの待望していた良い情報ではないでしょうか?
友人の医師が午後動画を送ってくれた。ある若者が普及している医学論文から彼が繰り返して引用するフレーズであった。「自ら理解できないことを、決してスプレーになってはならず、真に受けていけない。」私は、この視点にことのほか賛同したい。
自らの知識と理解度でわからないことがある時、まず良く読み、よく吟味し、急いで結論づけず、すぐに話したり、貶したりしてはいけないのだ。とりわけ項立剛らの様にだ。彼らは私に斎場に家族はいないのだろうか?家族は遺留品を拾わないのだろうか?これを何と呼んでいるのか?とコメントする。しかし彼らがもし通常の災難と同様にしかこの災難を理解できていないとすれば、彼らとはしっかりと話しはできないのだ。
武漢は現在災難の渦中にある。災難とは何か?災難とは、マスクを付けることでも、家に閉じこもることでも、外出できないことでも、居住区を出入りするために交通証が必要になるということではない。災難とは、病院の発行する死亡証明書が、数ヶ月で1枚だったものが、数日で1枚使い終えること。災難とは、斎場の霊柩車が一台に一つの棺に収納された一人の遺体だったのが、遺体を遺体袋に入れて、数遺体をトラックで移送されること。災難とは、一家で一人が死ぬことではなく、一家で数日或いは半月で,家族全員が死んでしまうこと。災難とは病を抱えながら寒風のなかで、至る処を走りまわり、収納可能な病床を捜そうとしても捜すことができないこと。災難とは朝早くから病院の外来受診に並び、一日待っても受診できず、翌日の早朝も予約しても受診して貰えず、そこでどっと倒れてしまうこと。災難とは、家で入院通知を待ち、通知が届いた時にもう息が絶えていること。災難とは、重病人が入院し亡くなったしまった場合、入院したときが家族との別れのときとなり,もう会う日が決して来なかったということである。
当時、故人の遺族は、斎場に赴くことができたのか?引かれて直ぐに火葬されるのだ。感染の早い段階では、人手がなく、病床もなく、看護スタッフの防護施設もなく、広い範囲が感染し、斎場も人手が足りず、霊柩車も足りず、火葬炉も足りず、遺体にはウイルスが付着し、迅速に火葬することが必要だったのだ。あなた方はこのようなことを知っているのだろうか?人びとが職務に尽くさなかったのではなく、災難に対して人びとは全力を尽くし、限界を超えていた。スプレー達がいうようにはなってはいないのだ。その歳月は、災難のなかにあって静かなものではなく、只患者の死への不甲斐なさ、親族の悲しみに苛まれ、生き残った者が死と隣り合わせながら生きていくだけだ。
初期の混乱はすでに終わった。私の知るところではすでに専門家が新型肺炎で亡くなった方とその遺族に対するヒューマンケアと尊厳に関する起草をはじめたという。その中には、死者の遺物とくに携帯電話に関する規定がある。まずは保管し、感染終息後に消毒し、キャリア部門と連絡し、携帯電話の情報に基づき、遺族を捜すことが提案されている。これは親族の記念となるはずだ。実際に無主であっても、歴史の証拠として保存することも可能だ。
私はこの世の中にあって優しくて理性的な人びとが依然として持つ続ける努力と頑張りに期待したいからだ。
正月二十四日(2月17日)
依然晴天。かつては、外に出て、陽射しを浴びていた人がとても多かったが、いまは、あの温もりある陽射しを浴びる場面を見ることができない。これこそが正に非常時だということだ。窓辺から陽射しと戸外の樹木を眺めるのも悪くない。
最も厳重な防護命令が下達された。全ての人は家に待避せよという。外出せざるを得ない仕事と公務を執行する人だけが外出を許可される。但しかれらは通行証の携帯が必要だ。もし通行証を携帯せずに外出した場合、拘束され14日間隔離されるという。本当かどうかは分からない。ジョークマンが、武漢市は良いかもしれないが、たとえば黄岡市は、隔離中に小学2年生用の秘伝の巻物になっている数学の出題を解かねばならないが、しかし彼らの殆どは解けないという。この数日、ジョークマンの動きが少し鈍かったが、これで今日が少し面白くなる。特にジョークマンが活発になり、20日余りに封鎖の憂き目に遭う武漢人を笑わずにはいられないようにしてほしいのだ。
私のような人間には、外出禁止はとてもたやすいことだ。犬も散歩が不要で、中庭で遊ばせればよい。折よく年老いて中庭で何回が往復すれば、それで戻り身体を洗い寝床で寝る。彼に専用の電気ヒーターを用意してやると、進んで巣に俯せて、そこから出ては来ない。今年意外なことがあった。元日中旬に突然ひらめいて、暖房ボイラーを新調した。交換を暖房会社が春節休暇に入る最後の日にした。古いボイラーは、まだ使えたが、長く使っていたこともあり、今年持つかどうかが不安だったからだ。新しいボイラーは、これまでとは異なり、室内温度を常に22度から25度に保つ機能であった。ボイラーが問題を起こすなどとは全く思っていなかったのだが、気温が上昇すると、室内が25度を超えてしまい、暑い感じてしまうのだ。
厳格な外出禁止令のもと、武漢各居住区の買い物グループは急速に大きくなった。ネット取引業者も直ちに自らの取引モデルを見直した。現在の状況ではネット取引業者がいなければ、巣ごもりの毎日を過ごすことが難しいと実感した。一家の食事に関わる全てのことが問題となるからだ。ネット取引業者は現在各居住区に対する提案を用意している。彼らは、取引が中断することなく各地の実情に基づき機敏に見直しを行う。各種の「無接触配送」セット料理が次々と登場し、住民は買い物グループに申請登録し、ネット共同購入配送を利用する。買い物グループの責任者は、随時ネット取引業者と交渉し、より合理的につくりあげていく。
行政の硬直化した文書手順による知恵のない仕事に比べて、民間の人材は優秀で強大だ。これは、事実を把握し事実に基づく実施する方式であり、行政は学習し手本とすべきだ。現実をいれば、各部門が硬直化していなければ、各層で遅延し、各々で事を誤ったために、感染蔓延が今日のような展開にはならなかったはずだ。私の古くから同窓生の耿さんは、私があまり各種の買い物グループに入りたくないことを知っていて、グループで何を買うべきかを直接転送してくれる。一昨日は「千吉パン」を注文したが、沢山過ぎて、三家族分の分量であった。私にとって更に多く、少なくともたべるのに10日かかりそうだ。
今日は、友人の医師に連絡し特に感染状況について、私が質問し、彼に答えて頂いた。まとめれば概略以下の4点だ。
一、雷神山病院王医院長の言う転換点にあるとの発言について。王医院長の転換点はその用語の概念とは異なる。転換点とは、科学用語であり、通俗的にいえば、発病者数が最高点に達することを言う。この概念から見れば、転換点はまだ来ていない。言い換えれば、発病者数はまだ上昇しているからだ。但し彼は2月末から3月初旬に本当の転換点がくるかもしれない。大体、あと二週間程だ。
二、医療スタッフの多数の感染による何人かの殉職について。現在の彼らの状況はどのようなものか。約3000人余りが感染した。但し大多数は完治可能だが、この疾病の発症期間が長く、まだ大多数がまだ退院していない。3000人余りは、政府の発表数だが、実際はもっと多いかもしれない。当時殆どは身体を防護しておらず、医療防護品が極度に欠乏していた時期だった。現在の感染者は、殆どいない。
三、武漢の治療患者のうち、漢方薬を使用しているのかどうか。彼は肯定的に75%の患者が漢方薬を使用し、効果が顕著と言う。私が何故25%は使用していないのかと尋ねると、插管患者には使えない。插管者は重症者だ。これの対比には驚いた。
四、このような重症者はどの位を占め、治癒率はどの位か? 以前の重症者は38%であり、多くの軽症患者が入院できずに重症者になった。現在は病床が増加し、患者は入院し、治療を受けることができ、武漢の重症・重篤者は18%に下降した。また治癒率は、以前に比べて上昇している。しかし6万人に及ぶ感染者はとんでもない数字だ。死亡率は暫く下がらないだろう。
ネット上では、一日中、仔細な記録を投稿しているが、何故解放軍の入城も、全国人民の関心と支持も、火神山と雷神山病院の偉大な建設も、勇敢に支援に来る人びとも投稿しないのかという投稿がある。実際このことをどのように話したのだろうか?それそれに別々だが書いていのだが、読んでいないのだろうか?食事に主菜と副菜があることを分かりますか?全国の数多の政府メディアとネットメディアは毎日人びとの求めるものを報道しています。広い視野、感染のゆくえ、英雄的危害、青春の躍動など、これらの文筆はあまたある。
私は一個人としての作家であり、小さな見方しか持てない。私は、自ら関心を持ち、自ら体験できたこと、身の回りの小さなことを特定の人を通じて書くだけだ。それで私は、些細なことを記録し、感じたことを記し、自分の生きてきたことを書き留める記念とするだけだ。
また、私の仕事は小説を書くことだ。以前小説は落伍者、孤独者、孤立者とともに困難を互いに助け合うことだと述べたことがある。ともに手を携えて寄り添って助けることだ。小説は広く、人情と心遣いを表現するものだ。老いた雌鳥がある時そうであるように、歴史から見捨てられた人、進歩する社会から取り残された人を守ることだ。彼らに寄り添い、彼らを暖かく迎え、彼を励ますことだ。小説は彼らの運命を哀れむ息吹を与え、彼らに寄り添い、彼らを暖かく迎え、彼を励ますことが必要なのだ。
文学は世の強者や勝者に対して意を用いない。強者は殆どの場合、文字で飾りた花輪を添えるが、弱者たちは小説の中に自らの生きる光明、水中で溺れる者の掴もうとする藁、死に直面して命を救ってくれた恩人を見いだすのだ。その時小説は落伍したとしても関わりなく、多くの人と同じように、あなた一人が孤独や孤立を感じ、苦痛と苦難に遭い、焦燥と軟弱を覚えている訳でなくことを教えてくれるのだ。成功はもとより大事だが、失敗は決して悪いことではないのだ。
この小説を書く作家である私は、仔細な毎日を記録しようとするとき、自らの書きたい志向に沿って、監査し、思考し、体験しことを書き下ろす。これが、間違いなのだろうか?
昨日の微信がまた削除された。奈落のなかでこれも奈落だ。封鎖は何処から発したのを記録する。崔顥(さいこう)の謳う「烟波江上使人愁」のように、自分で考え、自分で体験したことを書くことが、間違いなのだろうか?
正月二十五日(2月18日)
何人かの医療スタッフが救いたい一心で、ネット上で叫んだ。多くの命はこの叫びのお陰で、やっと生きる機会を得た。
今日も依然として好天だ。あらゆる場に生きる契機を感ずる。空の雲はあまりにも個性的だ。郊外の村の居民に声をかけて、これはどんな現象なの?鱗雲でしょ?いや違うと言う。去年その村で小説を書き、春節の前にやっと武昌の文連四合院に戻った。村人は、私にここには感染者がいないと教えてくれた。またこの村に戻れるかどうかは分からない。私の家の門前と庭に咲く花はもう枯れたに違いない。私はあまり花を育てるのが得意ではない。殆どの花を枯れさせしまい、その運命があまりに悲しい。成長して死に至るか、決して開花しないかである。
封鎖からはや一ヶ月、最初に封鎖通知を見たとき、まったくこれ程長くなるとは思ってもみなかった。明らかにこの数日、更に強力になった隔離措置によって、武漢は既にその最悪の日々を脱した。今頃になって、誰もが閉門閉室に相応しい生活をはじめたようだ。元気一杯の子供たちさえも受入ている。生命の忍耐力は本当にすごい。
ネット上の救命を叫ぶ声は全くなくなった。逆に如何に買い物をして如何に食材を手に入れるのかの情報がとても賑わっている。人びとは一旦全力で生活に専念すると、毎日がこの天気のように、どこにでも生きる契機が出現する。各スーパーは買い物のセット販売を提案し、緻密に地区毎にそれぞれの関係者の名前、連絡先をすべて把握する。これらは、買い物グループの代表者にとって膨大なメリットとなった。
私たちの文連四合院の買い物グループは大歓迎を受け、付近の居住区も多くの人が加入した。但し各居住区間は、出入り禁止であり、往来の方法がないので、どのようにしているのかはわからない。このようなことを考えていたら、突然私の同僚から買い物の引渡場所に到着したとの連絡があり、その後壁の向こう側からこちら側にロープを使って渡そうとしていました。彼女達は本当にすごいと感じたが、これと同じやり方をする人が少ないないという。
同窓生の耿さん(彼の妻はグループの代表であり、彼はそれを手伝っている)は私に予約注文したパンとその他の野菜を届けてくれた。実際一人で食べるために作る料理は味気ないものだ。いつも麺類や豆腐面など慌ただしくつくり一日を過ごす。私のメニューは相当充実してきた。潘向黎が今日慰めのメールで、私に今後上海に行ったら沢山食べようねと言ってきた。彼女は、何と三人分を食べてもいいよ、これで決まりと言ってくれた。他の人からも、皆同じ様にいわれた。どのレストランの料理がおいしいかを論議することは、武漢人のずっと変わらない好事であり、今も変わらない。
私の参加する微信のグループは少ないが、そのなかの最大のグループが私の大学同窓生網だ。この一ヶ月は、誰もの関心事が感染蔓延だ。私の同窓生は湖北生まれの人を除けば最も多いのが湖南人だ。いつも誰もが湖南人を「弗蘭人:フラン人」と呼んでいる。朝はやく同級生がフラン人を絶賛し、フラン人が応援する指定都市の黄岡市が今日新規感染者ゼロになったという。資料を点検していないが、フランからの援軍が正月元日に黄岡市に到着していた。黄岡市の治癒率が湖北省では最高であり、フラン省の治癒率も全国で最高だ。私の娘は武漢生まれだが、本籍地をまだ「フラン」と記入しなければならない。湖北と湖南両省は、もともと密接な関係にある。同窓生網の内容をここに転送する。公平にみて、各地から緊急支援を求めたことが大きな効果を上げた。援軍は、緊張していた湖北に安堵の気持ちをもたらし、現在の状況は急速に好転し、援軍は絶大な効果を発揮した。
今日、友人の医者から電話を頂き、言葉をぐっと堪えて長い時をかけて話しをした。感染初期の医療スタッフの辛酸が話題となった。患者の看護には身体が非常に消耗する。看護後の防護服にウイルスが付着しており、直ちに着替える必要がある。初期は人手が不足し、設備が足りず、患者が苦しみ死んでいくのをただ茫然としてなすすべきもなかった。医学を学べば死人を見ることが多い。助けることができるが分かりながら、心身ともに疲れ果て、助けることはできない。更に防護備品も殆どなく、救護を施す術がない。彼はこのような感覚は体験した人でないと理解できないと言う。
医師は平素から大変真面目であり、大多数は、自分の専門に没頭し、今回も彼らはなにがなんでもやるべきことをやってきた。私はかれらの見方に同意した。今回私たちがみたきたように、誰をも省みることなく、何人かの医療スタッフがネット上で声を大にして叫んだ。正しいのは、これらの叫びであり、やっとたくさんの問題が明るみになり、あらゆる支援物資が直接病院に届けられるようになった。多くの人の命は、この叫びのお陰で、生き残る機会を得たのだ。またコンテナ型病院の建設も非常によかった。もしもっと早くあれば、もっと早く隔離でき、軽症者を重症者に進む人を更に少なくし、死なずにすむ人をもっと減らすことができたはずだ。
私は、専門家の判断には道理があると感じた。正しかったのはこの数日の果敢な隔離政策であり、感染の狂ったように蔓延する形勢を急速に転換することができた。現在の武漢人は、以前に比して精神的に落ち着くことができた。食材の購入、生活への専念、待機への忍耐へと向かう転換点となったのだ。
二日前、看護士「柳凡」一家の逝去のこと(大変申し訳ない。彼女の名前が柳帆でした。二つの名前のどちらが正しいのかが分からなかった。友人の医師の使う方を選んだ)を書いたが、またデマを広めたという人がいるだろう。常にデマを否定してみせる人が本物のデマゴーグなのだ。湖北映画スタジオの常凱は、柳帆の弟だ。メディアはみなそう報道した。常凱の最後の言葉は、非常に抑制されたものだった。読んだことのある人は、誰でもがその悲痛な思いを感じたはずだ。友人の医師は、彼ら姉と弟は、一人が母の姓を継ぎ、一人が父の姓を継いだと教えてくれた。両親はともに医学界の従事者だ。彼らは、各自の家族が感染を疑われたが、現在身体状況はよいと言う。この悲劇の家庭を武漢人は永遠に忘れることはないだろう。私が幾ら話しをしたとしても、私をなじる人が私をデマゴーグというかどうかはわらない。しかし実際はこの数日私をなじる人は、当時から私の小説を酷評してきた人だ。かつて政府高官に助けを求めた彼らが今回再びそうするかどうかは分からない。しかし私が予想するにたとえ彼らが政府高官に依願したとしても、また同じのように恨んで帰るだけだろう。さらにそれは容赦ないものになるだろう。何人かの名前とともに、彼らの名前が歴史上の恥辱の柱に刻ざまれるようにしたい。
今日、特別に私の心にながく抱いていたことを話そう。中国の極左分子は、基本的に国と国民に苦しみを与える存在だ。彼らは文革に回帰し、改革開放を憎む。彼らと見方を異にする全ての者を彼らの敵とする。彼は一派を形成し、彼らと協力しない人への攻撃を執拗に繰り返した。「それはすべて世界への恨みである」という乱暴な言葉を用い、さらに卑劣な手段は信じられないレベルだ。私が特に理解できないのは、かれらがネット上どれほどのでたらめを言おうと、黒と白を転倒しても、それを訂正することもせず、だれもかれらの行動を止めることもない。彼らの親戚のなかにネット管理職員でもいるのだろうか?
この数日、すごく疲れ、頭が痛い。あるネットの友人から昨日の私の微信に私の文章に疲れが見えるとメッセージを寄こしてくれた。TAさんの直感がさすがにすごい。執筆時間をできる限り短縮して、休息することが必要だ。今日はこれで止める。
ただ、最後に同じ感染区である黄岡市XYMさんのメッセージを書いておく。「都市と世帯封鎖が急であり、市民は感染症のなかで泣いています。これは、同じ災難を受けた者のこと。そんなに急ぐことではない。
方方:現在は基本的に軽症者,転換点が見えてきた(2月19日)
まだ起きる前に、数日前に話した10万元を寄贈した画家がニューヨークから電話(これは利敵行為だという人はいないでしょうね?)を頂き、別のドイツの画家で蘇さんという方も10万元を寄贈したい。また彼はあなたを知っていて、随分前に武漢の自宅に来たことがあり、この数日来、貴女の書いた武漢日記を読み、夫妻で武漢のために支援し、協力したい。そこで友人の寄贈した慈善プログラムが信頼できそうなので、そこに寄付をしたいというのだ。医療物資の支援と寄付を急いでいると聴いて、大喜びだと言う。蘇画家夫妻は古くからの武漢人であり、彼らは言うまでもなく武漢の感染蔓延を憂慮している。多くの人がそうであるようにどんなに遠くでも、またどんなに昔のこととはいえ、武漢は彼らの心の故郷なのだ。蘇ご夫妻に感謝する。
昨日、頭痛がすると書いたら、同僚が彼女の夫に頼み風油精を送ってくれた。彼女の夫は、仕事の関係で、毎日戸外業務をしている。夜、風油精と漢方薬を持ってきてくれた。私は文連会館の門前で受取ろうとした時、そこには多くの人がいることに気がつた。春節以来、このような光景をみたことがない。
よく聴くと、買い物グループの注文した食品が到着したのだという。何人かのボランティアが荷物の荷下ろしを手伝っていた。私はボランティアをここの職員かと思った。思いもかけないことに,隣人によれば、彼女の娘さんも参加しているという。彼女の娘は、ドイツ留学から帰国後、自分で会社を起業した。現在、自宅に閉じ込められて外出できない。そこで自ら登録してボランティアに参加した。国連の「ボランティア」の定義は、自ら社会的公益活動を行い、何らの利益、金銭、名誉を求めない活動家としてして「義工」と読んでいる。ボランティアのこの組織手法は、大変素晴らしく、この組織は善良な心をもつ青年に多くのファンをもつ。社会活動に参加することは、単に労力として貢献するだけでなく、この活動を通じて、社会を見つめ、人生を知り、自らの見識や能力を高めることができる。感染蔓延期間、武漢では数万人のボランティアが各種社会活動に参加している。彼らの強力な援助がなければ、融通の利かない政府機関だけでは更に悪くなっていたかもしれない。
注文食品を除き、門前には沢山のセロリが積まれいた。そこにコミュニティ施設の職員が立っていた。私がそばを通ると、職員がセロリを持って行かないかと言う。我が家にはまだたくさん野菜があるから、要らないと言った。職員は、ここにたくさんあるので持っていってくれというので、私は文連四合院の隣人に充分なセロリを頂くことにした。保安係の王さんは、私に一束を掴んで持ってきて、これは山東省からのものだという。私は少し不思議だと思い、直ぐに聴きてみた。これは山東省からの支援物資のセロリと言う。コミュニティ施設に2トンもあると言う。彼らが各部局に送り、一部に家族に送ったという。職員が、野菜は少し鮮度を欠くが、芯はまだ大丈夫だと言う。
このような大量な青野菜をみて、これが山東省寿光から最近武漢に寄贈された野菜だと思った。どの部門がこの野菜を市場に送ったのかはわからないが、結果として非難されたのだ。ネット上では、政府に苦情を訴える電話録音が流布していた。私は直接病院食堂に寄贈できないならば、貯蔵能力のある部門、更に合理的的な方法として、スーパーに送り、通常価格で市民に販売すればよいと思う。スーパーには保管倉庫があり、輸送能力があり、配布ルートがある。また販売代金は、寄贈先名義を慈善団体に交付し、医療物資を購入するか、或いは相手側に継続して通常価格で送り、武漢市場に供給する。これでウインウインの利益を得ることができる。効果はコミュニティ施設に送るより高い。感染蔓延以降、コミュニティ施設職員の労苦は甚だしく、彼らに寄贈野菜を各地に再分配するのは、難度が非常に高い。しかも現在人手も少なく、車輌も少なく、トラックで送られる野菜を例え2トンとはいえ、これを処理するのは簡単なことではない。たとえ、寄贈とはいえ、実際は事実に基づき現実的に処理することが適切だ。寄贈現品の浪費は、最終的には遺贈者の好意と善意の浪費であり、彼らの財産の浪費だ。
今日、ネット上に武昌病院院長劉智明医師が葬送の車列が出発したときの参列者の泣き叫ぶ動画が掲載された。彼はいまが働き盛りで、才能もあり、権威であり、誰からに頼られる存在だった。医学界にどれ程仕事をしたか、社会のどれ程の人を救ったであろうか?この二日訃報が次々と届く。武漢大学も一人の博士を失い、華科大も一人教授を失った。死の亡霊が、まだ武漢を彷徨っている。
現在、湖北省新型コロナウイルスの患者が7万人余に達した。当初友人医師の予測の数字と大きな差はない。毎日新規感染者は基本的に1500人以上だ。数量は例え多くとも、実際上の増加人数は緩和され続きけている。減っていないのは死者数であり、すでに2000人を越えた。これは当局の統計数値だ。尚、未診断の死者或いは、自宅で亡くなった方、もともと入院が間に合わなかった方などは、この中には多分参入されていない。従って、何人死んだのかは,現在誰も分からない。感染終息後に、関連部門と協力して統計の正確を期すべきだ。
実際、形勢は依然として厳しい。火神山病院と雷神山病院、その他病院に10000人近い重症患者が治療中だ。それは殆ど初期感染による患者だ。治療機会がなく、引き延ばされて重症になった方だ。どれ程の方がこの世を去ってしまったのだろうか?ご家族と同様に、私たちもとても心配だ。
形勢の好転とは、いわば初期の感染拡大状況と対比した言い方だ。その時は救援を求める患者が満ちており、病院には医者を求める人が溢れていた。現在は少なくとも発症者は即収容し、入院したくなくとも、捕捉されて入院させられる状況だ。入院し、直ちに治療を受けることができるため、友人の医師は、入院患者はほぼ軽症者で完治可能と言う。転換点が見えてきた。
武漢の活動モデルの転換に関する情報をみた。4つの班が成立したという。第一は、病床確保班、第二は、疾病制御班、第三は、武漢支援受入調整班、第四に党建設審査班だ。4つの組織が直接各業務を行うことによって、みたところ、実効性は確かに強化されるだろう。ただ、可能なら「党建設審査班」は「党建設監督班」に変えるべきだ。この方が、事実に即した効果の高い仕事になるはずだ。これは、私たちに対して、政府を人命が第一であり、党が第一ではないという見方にさせるからだ。つまりコロナ対策は、全社会的な仕事であり、多くの非党員大衆も第一線で活動し、彼らを脇役にすべきではないからだ。
ついで言えば、極左による私への攻撃は、どうやらその頭数を増やしているようだ。かなり「評価するほどには実力の伴わない者」だ。私は常識について語ることが好きだ。この常識という二文字には話題が多い。常識とは何か?例えば、犬に吠えられた時、棒切れで犬を追い払おうとすれば、犬は、一旦逃げ帰り、大型犬や狂犬などに吠えるように呼びかける。その時の常識は、「すぐにその場離れ、犬に居場所を与えなさい」ということだ。一匹の犬が吠えると、吠え方は、高低や骨格で違うが、お互いに吠え合うのだ。あなたはといえば、家でお茶を飲むか、本を読むか、食堂で食事でもしてれんば良いのだ。ウイルスを隔離するのと同じように、人に吠える犬も隔離するれば良い。これが常識だ。
正月二十七日(2月20日)
方方:家に留まり外出しなければ、私たちの命は無駄にならない。
今日も快晴。晴天は実に堪らない。暖かさ溢れる陽光の全てが静まりかえった街区を包み、荒涼とした中山公園、解放公園、東湖緑道にも射し、贅沢なほどだ。
特に思い出すことは、同僚と一緒に東湖緑道をサイクリングしたことだ。暫くの間私たちは、毎週のように行った。落雁島に向かい、人里離れた方へ、自転車を走らせ、坂を上り、橋を渡り、全工程3時間のサイクリングだ。途中、辺鄙な村の農民から、特別に新鮮野菜を買って家に持って帰ったり、優雅な辺りを探してお喋りをした。私たちは李大釗の「鉄の肩は道徳的正義を担う」ようなつもりは全くなく、逆にいまの自分の生活を享受することを願うだけだった。現在私の二人のサイクリング仲間(私の同僚)は、一人が自ら病を患い、もう一人は家族が病に苛まれている。いずれも新型肺炎ではないが、聞けば、表情を変えるような病気だ。彼女らは私に比べて、苦労が多い。武漢にはこのような患者がどれほど待っているのだろうか?まだいまも待っているのだ。
今日の感染報道は同級生らの論議を引き起こした。みな武漢の新規感染者の急激な減少に驚いていた。これはどんな状況なのか?転換点が今日なのだろうか?医師の友人から朝早届いたショートメールはとても嬉しい情報だった。すでに制御できた!魔法のようだ!病床は増やす必要がない。現在は治療の問題だけだ。しかし少し経つとショートメールが変化した。少し細かく調べて見たら、武漢の感染数値の劇的減少は、診断基準の変更だった。明日のデータが肝心だという。
午後いくつかの情報を見て、質問せずにはいられなくなった。友人は今日のデータから、感染状況の転換点がきたがどうかの結論を得ることができない。この数日の突然の急増と同様に今日の急減の原因は同じ理由だ。しかし大勢は間違いなく好転しているという。もう一度、転換点の確定的時期はいつかと聞くと、友人は自信を持って「一週間位内だ」と回答した。
一週間以内に転換点が来るのだろうか?そう希望したいが、期待はずれにならないか心配だ。
同時に別の専門家の投稿をみた。これは記録すべきと思い以下に記す。専門家は、「新型ウイルスの殺傷能力は、私たちが想像していたよりも更に強い。呼吸系統が攻撃されるだけではない。治癒後の経過の良くない患者は肺炎を併発するだけでなく、心臓、肝臓、腎臓などの損傷を併発し、甚だしい場合は造血系統に影響を与える」という。更に「私たちが防護服を脱がなければ、あなたたちが、自宅で過ごし外出しなければ、私たちは、命を捨てることはない」と告げた。
その通り。新型肺炎はとても手強く、専門家の言うことを聞くべきだ。形勢は好転しているが、少しも警戒を緩めてはならない。封鎖からもうすぐ1ヶ月、私の知り合いにも我慢できない人がいる。扉を破ってでも外出したいと思う人が少ないないと聞く。自分をしっかり防護すれば、感染しないと思うかもしれない。実際は、感染すると、どこで感染したのかがわからないのだ。帰宅し、家族に移してしまっては、後悔してもあとの祭だ。もし人が外出し街に出れば、街は必ず人で溢れるに違いない。私たちの頑張りと苦労の全てが水の泡になってしまう。コロナウイルスの最も凄いところは、その強烈な感染力にある。現在、衰弱の勢いにあるウイルスがいままさにあたなの外出を心待ちにして、東山の再起を狙っているのだ。あなたはウイルスに協力するのか?確かに、私たちは、すでにこんなに耐えてきた。しかし、これまで私ために命をかけてきた人のかけてきた労苦を無駄にしてはならず、このように耐えてきた自らの努力を無為にしてはならないのだ。
今日、隣人居住網で当時黄鶴楼を再建した設計者向欣然さんが書いた「私の感謝、私の祈り」を読んだ。この文章は彼に対して気を遣ってくれた同僚のために書かれたものだ。昨日書かれたものだ。向さんは八十歳近くで、私の居住区唐小禾の友人だ。私は以前会ったことがあるが、往来はまだない。今日、彼の文章を読み、とても感動し、言葉にできない悲哀を感じた。ご了承を頂き、ここに全文を掲載する。
「私向欣然は、現在私たちの居住区昨日の「感染対策告示」を読んでいるところだ。市内の絨毯式一斉検査により、コミュニティエリアの検査で、感染確定者、疑いのある者、発熱者、濃厚接触者など4つの分類で併せて15名が発見された。すべて「収容すべきは収容し、治療すべきは治療する」を実施し居住区を離れた。」
「私の居住区は、市内の区分によって新型感染リスクの最も高いエリアに属している。これまで6名の感染患者が亡くなった。彼らの多数は入院することができずに死んだ。居住区の隔離先は指定病院だが、病床の確保が難しく、患者が夜通し並ばなけれならず、その列が居住区の裏門まで続いていた。(居住区の裏門はすでに閉鎖されている)これが武漢の封鎖初期の状況だ。」
「私の居住区は、基本的に設計院職員の生活区で、皆知り合いであり、全て、古くからの同僚で、隣人だ。彼らとの突然の離別は、私たちをパニックに陥れ、受け入れることができなくなりました。この暗雲がこの街を覆う日々は、空き巣でくらす私たち二人には、どうしようもないものだ。」
方方:私の遺体は国家に捧ぐ。私の妻は?(2月21日)
封鎖から30日。天よ、もうこんなにも経ってしまった。今日の陽射しは、とても良く、暖かい。外に出て遊びたい衝動に駆られれる。以前の漢口人はオヤツを詰めた竹筒を下げて、人力車に乗って後湖に遊びに出かけていた。現在の三鎮、湖の大半は公園になり、ところどころに遊べるところがある。黄色い花の咲く湿地帯は、毎年春には写真を撮ったり、凧をあげたりとたくさんの人が訪れる。また東湖には梅が満ちあふれ、厳寒の中を独り開花する。多分最近は、寒く閑散としておりお詫びしなければならない。ここで私も懐かしく思い出しみた。
すこし我慢できない人たち(遊び心のある子供たち)のことを実際に想像できる。これは残念だが仕方がない。安全、生存、長期的な視点から、私たちは、門を閉ざし扉を閉めて自宅で待機しなければならない。この感染蔓延の中で私たちができることは、この一事なのだ。
昨日のデータは、新規患者の増加が急速に減少したために民衆の大きな論議を誘発した。私の友人医師が、これをこの算出方法の違いが引き起こしたものだと教えてくれた。数字をよく見せるだけとのこと。ただ意外だったのは、今日の当局は、瞬時に訂正したことだ。しかし、数字のみえ方であって、感染防止に意味のあることではない。ただ当局がこのように早く修正したが、その仕事の仕方を本当に換えたのだろうか?結局、事実に基づき、真実を追求することが必要であり、各種の誤った判断を直ぐに調整し、各種の漏れをすぐに補うことによって、感染を制御することができるのだ。
新たな政府首脳の着任以来、湖北省の感染防止方式は、これまでの緩慢で下手な方法を一変させた。感染状況に大鉈を振るい、明らかに転換が図られた。対策は、概ね効果を上げている。ウイルスを前に蔓延を阻止し、死に至らしめず、時間を稼いだことが重要だ。特に武漢は最近の仕事の集中度は高く、迅速だ。人びとの動画や投稿を見れば、それがよくわかる。
また、現在の指導部はあまり大声で話さないように感じる時がある。市民が政府を信任している限り、彼らに時間を与え、指導方針を決定し、以下のような仕事をする職員に時間を与えるべきだ。急ぎ過ぎるとプラスにならない。例えば、網をひく方式、武漢の全員PCR調査は、非常に重要だ。この方法を通じて、全ての市民を4つ、感染確定者、疑いのある者、発症者、濃厚接触者として割り出す。ただしこれを3日間で実施できるのだろうか?これがたぶん現実の問題であろう。武漢は広く、都市区画構造が大変複雑で、非居住区の住民も何人もおり、また都市と農村の隣接部分の混乱もあり、実施人員が3日間で走り回ることは難しいと思う。精査となれば、言うまでもない。しかし3日間走り回ってもできなければ、区長は首になるかもしれない。区長もだが、部下の職員も首になるのだろうか?
今日、どんなにお願いしても頑固に隔離されたくないという老人の動画を見た。武漢は元々港湾業から発展した都市であり、いつも纏まりがなく、狡賢い人も老人や子供だけではない。この老人も狡賢い人という人というより少し頑固なだけだ。狡賢い人よりこのような根っからの頑固者が多い。警察もなす術もなく、ただ強硬手段で連れていくしかない。辛抱強い説得から隔離の強行までの一連の過程には多くの人も時間も不可欠だ。三日で足りるかな?私は、これらの区長のことが心配で、三日後に、首になって残っていないもしれない。省政府首脳が、ハンマーでドラムを叩くような、性急な対処をしないことをひたすら望みたい。
いまごろになって悪い知らせが絶えない。私は吉報だけで心配事を報告せずというつもりはない。悪い知らせは自ずと死の知らせになってしまう。死神がずっと私たちの間を彷徨い、毎日つきまとう死神の影が見える。29歳の彭銀華医師が昨夜亡くなった。彼は正月8日に結婚式をあげる予定だったが、感染蔓延に伴い、式を延期し、第一線の現場で従事した。しかし不幸にも感染し、不幸にも逝去され、彼は婚約者の彼女をお嫁さんにすることがなくなってしまったのだ。若い伸び盛りの才能だけにとても悔しい。更に悪い知らせは、感染の広範囲に渡る蔓延だ。以前この記事で、図を示し、刑務所は現在最も安全な場所と言った。しかし今日伝え聞くところでは、全国の多くの刑務所の服役者が感染し、感染させたのは刑務官という。酷いことだ。刑務所は反人道的な傾向を持っていて、治療に当たって面倒な要素がある。微信で医師に問い合わせると、少し面倒だという。ついでに現在の感染状況について好転しているのかと聞くと、状況は良い方向に向かっているが、まだゆっくりだと言う。
他に特に記録しておかねばならないことがある。武漢で肖賢友という患者がなくなった。彼は臨終前に2行11文字の遺書を残した。しかし新聞にはこのような表題で報道されたのだ。それは「曲くねった7文字の遺書に涙す」。報道は、涙の対象は次の7文字だった。「私の遺体は国家に捧ぐ」だった。しかし実際の肖賢友の遺言は、別の4つの文字「私の妻は?」と書かれていた。多くの庶民は、この後段の文字に涙を流した。臨終前に遺体を国家に捧げると書いたことも感動させるが、臨終前の最後に残された気力で、老いた妻を気遣うことも同様に涙を誘うはずだ。報道は、何故「曲くねった11文字の遺書に涙す」と書かず、後段の4文字をわざと付け加えなかっただろうか?編集者は、愛国を大事とし、愛妻は小事とみなしたのだろうか?メデアは、愛妻は愛する価値と見做さなかったのだろうか?今日、若者が、このことに触れて、このメデアの扱いに同意しないとの感想を語っていた。若者の考え方を学んでいく姿に人びとの共感が集まった。当局は前半の一行に、庶民は後半の一行に好意を示したのだと思う。メデアはことを愛し、庶民はひとを愛す。これは人の価値観のなせる技だ。
武漢にきた支援隊のことを思わざるを得ない。彼らは出発前に指導層から訓示を受ける。一般的には3点だ。第一に全力で患者を救え、第二に、自分をしっかり守れ、第三に支援隊に栄誉あれだ。指導層からの訓話はこの3点で大差はない。しかし、何を第一にするのかは価値観次第だ。やはり訓示は自らの生き方を語るものなのだ。
私は、寝るのが遅く、末兄は普段から早い。しかし昨晩はずっと眠らずに、ネットでメールをよこし、お前は、文章を書いているところだが、ワシは、ネットで買い物をしている最中だという。私は、なぜこんな遅くまで、ネット購入をしているのかが奇怪だった。彼は各種ネットサイトで情報が見られないのや、有ってもすでに完売したものが多いという。在宅31日となれば、食料品を殆ど食べ尽くした。数日前に少し慌てたという。閉店前で向かいのスーパーは、商品の取り合いで混み合っていた。ネット注文は夜11時半に締め切られる。彼は早々と買い物を決めて、ショッピングカートに入れたが、11時半になっても、その先の確定まで行かないという。待って見たが、全て売れ切れだという。その夜、兄と兄嫁は慌ててしまったというのだ。私はちょうどこの両日で米、麺、油、薬草、野菜などを購入していて、使ったものもあるが、まだ余っているものもあった。彼に安心して、人の食べるものがなくなるということはないと言った。中国はそこまでにはなっていない。末兄の居住区は、漢口で最も危険なエリアで、長期間、危険度第一位だった。末兄は元々身体があまり強く人ではなく、一端感染すると酷い目に遭う危険が高いのだ。従って私たちは一歩も外出するなといつも言っていた。社宅に籠ること30日余り、本当に不愉快な毎日だ。
私はまだ末兄に比べて少し幸運かもしれない。ずっと職場の同僚や隣人が助けてくれる。昨日同僚の夫が突然私に缶詰のチキンスープをいくつか送ってくれ、非常にびっくりしたが、有り難く頂いた。同僚とはまず最初に1日の記録を転送している。私にとってこれはメリットとして返ってくるのだろうか?ためらうことなくそうだと思う。私の作家協会の同僚とは、とても親密な関係にあり、仲の良い人が多く、その成長を育んできた。これが同僚との関係だ。彼女が作家協会にきたとき、恐らく20歳になっておらず、可愛くも、気の強い子だった。瞬く間にもうずく50年だ。
ここまで書いて、同窓生から転送されたメールをみた。武漢では引き続き19棟のキャビン型病院を作るという。これを見て、数日前に武漢植物園の劉さんが私の微博に書きこんでくれた提案がある。そこでここに書き留めておく。劉さんは、もしこの新型ウイルスとの戦いが一時的なものでない場合、武漢の長期に渡る封鎖が、国家の経済回復への影響及び武漢市民の封鎖による精神的ストレスなど付帯する一連の影響を与えるとすれば、「長江隔離方式」しかないとして、具体的な方法として、長江の白沙洲、天興洲と現役を退いた客船などが役に立つという。患者1万人が収納可能だ。加えて天興洲の面積は22平方キロ、これはマカオに比べて2平方キロ大きい。マカオは現在人口約60万人であり、天興洲だけで15万人収容のキャビン型病院を作ることができる。この他にまだ白沙洲、退役大型客船もある。もし武漢の全ての患者を中洲に移し、ウイルスを上陸させない措置を取れば良い。そうすれば、武漢を順次開放することが可能だ。武昌、漢口、漢陽で時期をわけ、地域を分けて進めれば良い。もしキャビン型病院の建設速度の遅延が懸念されるのあれば、先に10万張のテントを収容することもできる。つまり封鎖を長期の計画にしてはならない。国家も市民ももう耐えられない状況にある。
これはとても大胆で、奇抜な発想だ。長江中洲のこのような場所で、汚水排水の問題をどう解決し、厳寒の中のテントに住むことができるのかどうかはわからない。私には理解できないが、専門家には何か方法はあるのかもしれない。
現在、経済回復の時期に関する論議が始まった。すでに多くの時間を感染防止に割いてきた。多くの企業は、倒産の危機に直面し、多くの人は収入がなく、死活問題だ。これらは直接的に社会の安定に関わる問題だ。私たちは感染患者を隔離してきた一方で、健康な市民を閉じ込めてきた。このような長期間に及べば、付加されるあらゆる災害が、必ず次々と引き起こされることに違いない。
すでに多くの声として健康な市民も生きていかなけれればならないとの訴えが聞こえてくる。私はその方策を捻出できない。ただひたすら記録するのみだ。
方方:感染蔓延は制御し難い。本当にこれは難題のようだ。(2月22日)
天気は、依然として好天。暖かい。床にいながら携帯を見ている。
最初に武漢女性のコミュニティ施策を批判する音声を聞いた。彼女の生き生きとした武漢口調、拍手喝采、単刀直入、成語がとても小気味が良い。人々を笑わせ、人を引きつける。私が楽しんでばかりではいけない。この口調は、聞き覚えのあるものだ。多分私が年少のころに住んでいた江岸区27路一帯の住民のなまりに違いない。純粋な武漢方言でもなく漢口中心部の地元の正統な武漢方言とも少し違う。しかし私より話がうまい。多くの友人がこの音声を転送して聞いている。みなさんは武漢の女性を理解していますか?ここには粗野な言葉が極めて少なく、道理を話し、まさに武漢人らしい気品のある罵声だ。
好天に加えて、この痛快な罵声で、今日は心持ちの良い一日のスタートとなった。
封鎖から1ヶ月。再び中国新聞社副編集長夏春平の取材を受けた。記事はネット上で完成し、午後写真撮影に訪れ、少し雑談した。文連会館のゲートで、当直職員が律儀な人で、彼らは、記者証などを全て所持しているのだが、全ての項目の記入を求め、発熱の有無を検温した。笑ながら記者に、あなた方はまさか密偵ですか?と言うと、彼らはなんでもないと答えてくれた。夏春平は、今回、マスクだけでなく、ヨーグルミルクを持ってきてくれた。帰宅後なんと、チョコレートも入っていることがわかった。すぐに同僚に連絡し、今度の宿直の時に持ってゆくから、子供のご褒美に使ってと伝えた。私は、いつも頂いたチョコレートを同僚の子供にあげている。ある日、その子供が突然私を「生ける雷峰(訳者注:人名、文革の時に毛沢東が雷峰から学べと呼びかけられた殉死した共産党員)」だと言い出した。この一言から、私は喜んでチョコレートを送るようになり、道理がいかに重要かを実感した。
夏春平一行と別れてから30分も経たずに米国に住む同級生から私にこの取材記事が転送され、上段にさっき撮影した写真が掲載されていた。ほんとにびっくり仰天した。ネットの伝播は非常に早く、ほんとに不思議だ。私の親族が殆ど、理系男子で、私も影響を受けたために、高度な科学技術への適応時期が早く、1990年代には早くもコンピュータで文章を打っていた。しかし現代科学技術の高速な進歩には追いつくことができず、いつもそのパワーに驚かされる。「今日頭条(今日のヘッドライン)」に参加させてもらい、「微頭条(マイクへッドライン)」に日記を書いていた。結果は、翌日のアクセス数が2000万人に達し、その後3000万人になった。本当に死ぬほど驚いた。私のような少数の読者しか持たない作家にとって、多すぎる読者は、恐れ慄くばかりで、少し書き続ける感覚をもてなかった。同窓生に励まされて、やっと継続することができた。
私は、当局メデアのやり方を熟知している。面談して多くの質問をしても使える回答が極めて少ない。理解を深めるために私は可能な限り詳細に答え選択肢を与える。その内容を付け加えることに努め、諦める迄、私の本意を貫くことができる。一般的には中国新聞社の発言許容度は比較的広いが、当然慎重を期すことが必要だ。私自らのメデアのようにリラックスして自由に発言できるわけではない。比較すれば、新浪微博の発言許容度が最も広い。私は、この微博のコラムに書くのが好きで、都度一気に加勢に書けて、とても気持ちが良い。微博も極左分子からの組織的投稿を耐えられず、私の微博を閉じることになった。あなた方は本当に私の愛情に背きましたねと書いた。
今日早朝、友人医師から感染状況の見解が寄せらたので、午後その状況を伺った。概要は以下の通り。この3日のデータから、趨勢は好転しているが、質的な変化はみられない。現在の感染蔓延は、まだ完全に制御できていない。疑いのある患者数がまだとても多いからだ。ただ病床の切迫状況は少ない。病床の空きは退院と死亡の二つによる。死亡人数は、毎日100人近い。
これは、悲しませる知らせだ。武漢市の検査はすで十分過ぎる能力を持っており、多くの市民は、もううんざりと感んじている。しかし蔓延は依然として、制御しがたい。このために19箇所のキャビン型の病院を作るのかも知れないと言う。これは、病床を増やし、入院待機者に提供し、軽症から重症に発展する患者のためだ。友人医師は、以前から話していたことに再び触れ、初期の遅滞による重症者と危篤者が、1万人近くいると言う。従って、死亡者数の減少は難しい。危篤者は呼吸困難に陥るので、主要には呼吸の問題を解決することであり、酸素吸入装置に頼るしかない。昨夜財新記者の記事でみた通り、どうやら呼吸器が生死の分かれ目なのだ。
友人医師によれば現在漢方医が一定の効果が上げているという。ネット上の漢方医の効用に関する質問を思い出した。そこでこの問題を友人医師に投げてみた。彼は西洋医学の専門家なのでこの問題をどう見ているのかを知りたかったからだ。
彼が言うには現在の多くの病院では全て漢方医が所轄しており、治療効果は良好と言う。当然漢方医も西洋の医薬と医学の方法を用いる。西洋と漢方の統合の効果は非常に明らかであり、国家の各レベルでの認可を取得している。最初は、西洋医学医師がとても反対し漢方への嘲笑もあった。現在は効果も上がり、反対していた医師も声を潜めてしまった。国家もこの感染の終息後に必ず漢方医の発展を強力にサポートすること、漢方医がこの感染治療に目を輝かせていていることは明らかであり、西洋医学が従わないのはおかしなことだ。漢方の利便性はとても多いと言う。私個人は漢方医学のことはわからないが、これまで漢方医学を排除することなく、中華文明五千年の間、絶え間なく生き続けており、西洋医学は中国で主導的位置を占めたのはまだ十数年であり、漢方医学の効用は肯定できる。上述の話は、数段に別れて記述されているのをまとめたものだが、原文通りだ。
私の同窓生が現在漢方医大で教鞭をとっている(中国文学系が漢方医学で古代中国語を教えているだろうか?私はまだ確認してしたことがない)。感染蔓延以降、彼は漢方医学で治療にあたり、とても良い効果を得たと言う。同時に一貫して、この視点で宣伝してこれを継続していると言う。同時に武漢では漢方医学をしっかり活用していないと怒っていた。私はこの友人医師の話を大学同窓生網に投稿した。メデイア勤務の同窓生から、これは、ある意味ではウイルスが漢方医学を救済していて、この話は、少し怖いと感じていると言う。
果たして漢方医大の同窓生から返事がきた。曰く、今回のウイルスに感謝している。漢方医の存在感を示すことができた。漢方医学の考え方は、西洋医学とは異なる。「漢方医学は、患者に生きる活路を知らせ、患者を彼岸へと導き、彼岸後の自分を自在にする(一般には生きてはいない)。西洋医学はウイルスを撲滅しようとするが、殺そうとしても死なず、呪いはない。」という。これが彼の見方であり、面白いが、私は偏っているに見える。彼の理解は、漢方医の持つ哲学的意味であって、彼の理解する西洋医学は歪んでいるようだ。
夜、同窓生網でも再び、漢方医学が話題となった。クラスの同窓生だった黒漢方医も小さいとは言えないと言う。漢方医大同窓生は、観点を明確にして、厳密に言えば、漢方医と西洋医の結合方法はない。理論面でも完全に異なり、これは二つの道を走る車だ。漢方医と西洋医の結合とは、実際は、漢方薬を用い、それに加えて西洋医の機材と装置と薬などを使い、それぞれの長所を生かしいる。実際には大きな問題があり衝突もある。
漢方医の話題について、私は完全には理解できないが、原文のまま掲載する。いつも、私の治療は西洋医だ。但し日常の健康管理は、漢方薬を使う。例えば、冬になると、色々な薬草を煮たお湯を飲む。私はこの薬草湯を私の同僚に楚国方式として紹介している。飲んだ後とても良い感覚だと言ってくれる。
ここまで書いたら、突然早朝の「漢口の罵声」を各部門が重視し、対応しているとの情報が寄せられた。居住区の首脳、共産党紀律委員会が調査に乗り出し、中百スーパーも早速改善を約したため、この罵声は効果があったと言える。友人の情報によれば、この「漢口の罵声」はすでに英訳版もあると言う。私もまた笑い転げてしまった。
「漢口の罵声」は、雑多なところに影響を与えている。実際、長期間故に市民の飲食問題が突出してくる。団体購入期間も長く、このモデルにも欠陥が表れてきた。各居住区の入口は、毎日団体購入商品の引き取りで混み合っている。団体購入品は一回で全てが届く訳ではなく、何度も取り行く必要性が生まれる。本来であれば、一日一回外出で済むはずだが、結果は一日に何度も往復しなければならない。必需品の購入だけでなく、ケース入り商品やビールの購入など住民への行き届いたサービスが難しい。団体購入のボランティアによる小分け対応の疲労も限界にきている。たとえ、燃料、米、油、塩などの必需品であっても管理の肝は科学だ。しかしどのように科学的な管理をすれば、感染制御に有効なのだろうか?一小説家として、定かにはわからない。
今日のネット上に第一の感染者は、昨年の初期患者であり、第二は、病院で感染した患者であり、第三は、市場で感染した患者であり、第四は、団体購入で感染した患者だとあった。
友人医師は言う。感染蔓延を制御するのは難しい。これは本当に難題だと。